13:ピリオドを打つ
緩やかな勾配を、二人で手を取りゆっくりと登っていく。夜風は涼しく、頬の横を心地よく通り過ぎていった。空にはぽっかりと満月が浮かび、そのせいか光の強い星だけがキラキラと輝いて見えた。
空気は澄んでいて、誰の気配もない。ありきたりだが、まるで世界で二人だけになったような気分だ。本当にそうなったらいいの。ぼんやりと考えているうちに、丘の上に着いてしまった。
「着いたよ、ランカちゃん」
そんな声を聞き、落としていた視線を上げる。正直なところ、そんなに期待していなかった。世の中の煌びやかな物はだいたい見てきたし、そもそも身の回りには一級品しか置かれていない。家の庭園だってずいぶんと綺麗なものだ。
それなのに、目の前に広がっていた光景は、想像をはるかに超えるくらい、美しく繊細でこの世のものとは思えなかった。
「すごい、きれい……」
薄く白い花が、満月の光で照らされて青白く揺れている。暗い夜空と、明るい花のコントラストは、ここがまるで空想の中だと錯覚させる何かがあった。
「来れて良かった?」
ルークが薄く笑いながら、覗き込むような形で聞いてきた。あざといその仕草は、絶対にわざとだと分かっていても、どうしても好きだと思ってしまう。なんて愚かだ。
それでも、今この時間くらいは楽しもうと、いっそ晴れやかな気持ちで頷いた。
「ええ、もちろん。こんな風に眺めることが、私の夢だったから」
「それなら良かった。夢を叶えられて光栄だよ」
それからしばらく、会話をすることもなかった。ただひたすらに、夜風に吹かれる白い花を見つめていた。綺麗だとか、すごい景色だとか、そんな感想はもうなかった。ただ、この一瞬を忘れないようにしたいと、必死に記憶の中に閉じ込めていた。不可能だと分かりながらも、そうすることを止められなかった。
そんな時にふと、これで最後だろうなと思った。こうやって会うのも、二人きりでのんびり話をすることも、もうないだろうと思った。そう言われたわけではない。しかし、確信めいたものが自分の中にあった。
「ランカちゃん、もう会うつもりないでしょ?」
そして、それら全てを見透かしたようにルークが言った。どことなく悲しそうな目で、だけど悟ったような表情で言われたその言葉は、たしかに心が張り裂けそうな程苦しかった。
「うん。そうね、もう会えないかなとは思ってた」
それでも、この気持ちに嘘は付けなかった。もう会えないと言う事実が悲しくはあったが、すとんと腑に落ちたのも、たしかだったからだ。
「俺の気持ちには、応えてくれないんだね」
「いえ、そんなことないわ」
今なら言えるなと、思った。今しか言えないなとも思った。せめて最後くらいは、誰よりも可愛く綺麗で可憐な私でいたい。そんな私だけを、記憶に留めて欲しい。だから、真っ直ぐ目を見て伝えよう。そう思った。
「私ね、あなたのことが好きよ」
大丈夫、笑えている。だって今この瞬間が、生きてきた中で一番幸せだと思えたから。大好きな人と二人きりで、尊いばかりの景色の中、お互いの想いを確かめ合えている。こんな素敵な瞬間は、これまでも、そしてこれからもきっと訪れない。
「初めてあった時から、好きだったの。見た目が好みだったのはたしかだけど、でもそれだけじゃないのよ」
こんなにはっきりと、素直に伝えてしまってもいいものかと思ったが、話し出してしまったのだから仕方がない。これが最後だし。それを分かってか、ルークも、話の腰を折ることなく聞いてくれている。
「あなたといると、いつだって飾らないで私でいられたの。取り繕わなくても、素直な感情を露わにしても、それでも受け入れてくれるって思えた。そんな風に思えたのは、ルークだけだった」
笑うことも、茶化すことも誤魔化すこともなく、ルークはただ話を聞いてくれている。今、全てにけじめを付けようとしている身としては、それがとても有り難かった。
「あなたといる時の私が、どんな時の私より好きでいられた。だから、あなたとずっと一緒にいたいと思ったし、これから先も隣にいたかったと思ったわ」
そこまで言って、地面を目線に落とした。伝えたいことは伝えられた。これで後悔はないだろう。そう再確認したかったからだ。
「でも、俺とはもう会えないんだね」
「うん。だから、もう会えないの。だって会ったら、ずっと好きなままでい続けてしまうもの」
好きな気持ちは本当。ずっと一緒にいたいのも本当。ルークといる時だけは、心の底から自分を好きでいられたのも本当。
だけど、そんな自分よりも、役目を果たさない自分はもっと嫌いだと思った。この顔で、この地位で、この時代に生まれてきてしまった。その責任は、自分の人生をかけて、国のため、国民のため、ひいては未来のために、果たさなければいけないと思った。それが、譲れない思いだった。
「ランカちゃん、一つだけいい?」
「ええ、もちろん。何でも聞いて」
今なら、何だって答えてしまうから。そんな冗談を付け足してみたが、珍しくルークは乗ってきてくれなかった。彼としても、自分の中で整理をつけようとしてくれているのだろうか。本心は分からないが、それほど奥深くにまで自分を置いてくれたことが、少しだけ嬉しかった。
「もしも、王太子妃になんて選ばれてなかったら、俺と一緒に生きてくれた?」
瞳が揺らいだのが、自分でも分かった。そうであったのなら、どれだけ幸せだったことか。あり得ない未来を想像して、どうしようもなく胸が痛んだ。それでも、一度決めた覚悟だけは揺らがなかった。
「もちろん。王太子妃になるなんて選択肢がなければ、全てを捨てたとしとも、あなたと共に生きたと思うわ」
その言葉を聞いてすぐ、ルークがひどく苦しそうに眉をひそめた。そんな表情すら、好きだと思ってしまう程に愛していた。
「……ルーク」
「ごめん、最後だから」
耳元で声が聞こえる。彼の体温が、体にそのまま伝わってくる。そのはずだ、だって抱きしめられているのだから。
どちらのものか分からない鼓動の音だけが、耳の奥に響く。心はどこまでも痛いのに、気持ちはやけに落ち着いている。ただ、視界いっぱいに広がる白い花だけが、泣き出したいくらいに綺麗だった。
「さよなら、ルーク。大好きだった」
たぶん、人生の最後に思い出す瞬間は、今だろうと思った。これから先に、どれだけ幸せなことが起きたとしても、きっとこの感情は超えられない。
それくらい純粋に、真っ直ぐに、大好きだった。
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