2-2.
この大陸には、バウムガルデン王国と隣接した、デラスランド公国という独立国がある。周囲を湖に囲まれた、いや、湖の真ん中にできた島を国土とする、古き公爵家が治める中立国である。
そこは大陸でもっとも高い教育レベルを誇る学園都市を抱えており、各国の王子、王女や、貴族の子息、子女の中でも優秀な者たちが通うのだ。
その中でも、デラスランド公立大学がもっとも有名だ。
もちろん、その大学の入試の競争率は高い。しかも、どんな大国の王子王女ですら、立場を利用しての入学は叶わず、あくまでその能力をもってしか入学を許されない。だから、デラスランド公立大学出身というだけでも、後々のキャリアのステイタスになるのだ。
そんな学園に若かりし頃のアンネリーゼの父、バルタザールは通っていた。そして、その同級生として、同時期にのちの女王アレクサンドラが通っていたのだ。
「なによ! また一位を逃したじゃない! ……そして一位はまたあの……」
当時のアレクサンドラ王女が貼り出された成績表を前に地団駄を踏んでいた。そこにお父さまが通りかかる。
「おや、王女殿下。また目標達成ならず、ですか?」
王子王女、どんな貴族といえども、この学園内ではその貴族としての立場は通用しない。あくまで一学生同士として卒業までの四年間を過ごすのだ。
そうして、バルタザールはその慣習のとおり、アレクサンドラ王女殿下に声を投げかけた。
「バルタザール! 貴様、誰のせいだと思っている!」
アレクサンドラ王女は、怒り心頭に発するとでもいうように顔を真っ赤にして、お父さまをファーストネームで呼び、彼の方に向き直る。家名でなく、ファーストネームで呼ぶのは、アレクサンドラとバルタザールが勉学において互いにライバルとして認め合った学友であり、その気安さからだ。
アレクサンドラ王女の名前の上には、いつもバルタザールただひとりの名前があった。
「私なんて、弱小国家のヴューラー王国の貴族の三男の上に、その武力すら人に劣るからといって、『武門の道がダメなら、女々しく文官の座でも得てこい』といわれて、半ば放り出された身なんですけどねえ……」
バルタザールは飄々と告げて肩を竦める。そうして成績表とアレクサンドラ王女を見比べた。その態度が、アレクサンドラ王女殿下の怒りに火に油を注ぐ。
ちなみにヴューラー王国とはやはり同じ大陸に存在する、武力でもってその国力を誇示している小国である。
そんなふたりを、定期テストごとの恒例行事とはいえ他の生徒たちがハラハラと見守っていると、その群衆の中に一切の配慮もなしに飛び込んできた身体の大きな男がいた。
「俺の成績~! 赤点は、補習はぁ~!」
そういった大男が、バルタザールとアレクサンドラ王女を無視して成績表に食いついた。群衆の中の何人かは不幸にも、彼の体格の良い身体に吹き飛ばされていた。
「ああ、ちょうどいいところに来たな、ライナルト」
ライナルトと、そう呼ばれた巨漢の青年は、ここデラスランド公国の伯爵家長男である。父親が将軍職を賜っており、ライナルト自身も恵まれた体格と、それに見合った優れた武力を有しているため、家督も将軍職も彼が継ぐであろうと期待されていた。
……が、問題は彼の学力であった。
彼の父は、「将軍たるもの、武力だけではダメだ。知略も重要である」とそういって、彼をデラスランド公立大学に行くよう命じた。
「デラスランド公立大学に入学すらできないようでは、お前が就いている嫡男の座を他のものに与えるかどうか考え直す」
父親に半ば脅されて、猛勉強の末に滑り込んだのだ。
そうして彼は、かろうじて狭き門をくぐったのはいいものの、大学の勉学に付いていくことに、早々に躓いた。その知らせは学園から彼の実家にすぐに伝わり、彼には父からの叱責の手紙が次々と舞い込んだ。それを手に、ライナルトは肩を落として廊下にしゃがみ込んでいた。そんなときに彼の前を通りかかったのが、バルタザールであった。
ライナルトは、普段から巨体を縮こまらせて、それでも頭をかきむしりながら真剣に授業に取り組んでいた。バルタザールは、そんな彼の姿を好意的に見ていた。
なので、バルタザールは彼に手を貸すことにした。
要は、彼の日々の復習と、テスト対策に手を貸してやったのだ。そう。最低限赤点を取らずに、無事に卒業試験を通過できるように。
「うん、うん!」
ひときわ背の高い彼は、成績表の下部にある自分の名前を、人混みをものともせずに易々と見つけた。
「赤点は一つもなしだ! これで父上にも報告できる!」
そういって顔を紅潮させながら破顔して、これまた大げさにバルタザールに駆け寄って彼を抱擁する。
「バルタザール! やったぞ、また君のおかげだ! 礼をするぞ、なにが良い?」
ぎゅうぎゅうと羽交い締めされるバルタザールは苦笑交じりにライナルトを宥めるようにその背を叩く。