10-4.
数日後。
ようやく、リップクリームケースの試作品を携えて、ドミニクとエッドガルドさんが我が家にやってきた。さらに、初見の女性が同行していた。
「こちらの方は?」
尋ねると、領都から少し離れた村の村長の娘さんなのだそうだ。
「ティーナといいます。私の村、男たちには仕事があるんですけど、女たちにはなかなか報酬のいい内職がなくて。それで、エッドガルドさんにお嬢さまが発案されるりっぷすてぃっくに詰め物をする作業をしないかと誘われて……。一生懸命学んでいきますので、よろしくお願いします!」
「わかったわ。しっかり覚えて、村の人たちにきちんと伝えてね」
「はいっ!」
少女はがばっとお辞儀した。それだけ必死なのだろう。
「で、本題だけど、ケースのことだけどね、ただの蜜蝋を使って試してありますから、大丈夫だと思いますが……」
といいながら、ドミニクが私に、リップクリームケースに蜜蝋が詰まったものを手渡された。容器は透明なプラスティックケースといった形状をしていた。
「ここを回して下さい。すると、中の蜜蝋が回転して上がってきます」
と、説明してくれるんだけど、そもそも私は前世でそれを使っていたので、それの要領は知っているんだけどね。
私はいわれたとおりに底の部分をくるくると回す。すると、固形の蜜蝋がするすると上がってきた。そして、反対側に捻ると、もとの逆の工程を経てケースの中に収まっていった。
「ドミニク、完璧よ! ありがとう!」
「良かった、ご期待に沿えて」
となると、次にやることは、蒸留器を使って、ハーバルウォーターと、オイルを摘出することだ。蒸留器に今回はバラの花びらをたっぷりと、そして綺麗な水を入れる。そして加熱していくと、水の中にバラの花の成分の混じったもの、つまりローズウォーターができる。ローズウォーターは清潔な瓶にそのまま中身を移して出来上がり。それとは別に、ほんの少しローズオイルが抽出されるのだ。ハーバルウォーターはそのまま化粧水、オイルは当初の予定どおりに蜜蝋に混ぜる予定。
「蜜蝋をほどよく加熱して……」
あちらの世界と同じであれば、蜜蝋の融点、つまり、液体になる温度は六十度くらい。そこまで温めたら、少なく貴重なローズオイルを垂らして混ぜる。
少し待って蜜蝋が柔らかさを取り戻したら、今度はドミニクが作ってきてくれたケースの中に、底の方にまで十分に埋まるよう詰めていく。これをいくつか作った。その中には、紅を混ぜたものもある。赤いリップクリームなら、唇に自然な赤みを補ってくれるだろう。
一連の作業を、ティーナは真剣に見つめている。
「これで、完全に冷えたら完成よ!」
そういうと、いつの間に集まったのだろう。女性たちが歓声を上げる。お母さまに、お母さまのお友達、侍女頭にその配下の侍女たち……と、たくさん。
きっと、お母さまは、私の作るものが女性向けだと聞いて、宣伝になるようにお友達を招いて下さったのだろう。まだ引っ越して間もないというのに、お母さまはしっかり地に根付いてお友達作りに余念がない。お父さまの大学時代からの親友のブラデンブルグ卿の奥様を筆頭にして、そこから奥様ネットワークを広げている。さすがは、バウムガルデン王国で公爵令嬢をしていただけはあるのかしら?
……とまあ、お母さまの状況は置いといて……。
「そろそろ完成かしら?」
蜜蝋の固まり具合を確認してから、リップスティックをくるくる回してみると、中のクリームが出たり戻ったりする。
「どうしようかしら。はじめに実験的につけるなら責任を持って私自身が……」
といいかけると、「私にお願いします!」と侍女も奥様方からも手が上がる。
みんな新しい美容品に興味津々みたい。
ここまでみんなが希望を出してくると、どなたにしようかなぁ、と困っていると、お母さまと目が合った。心の中で「困っています」と伝えると、お母さまがにっこりと笑った。
適任者がいるのかしら?
「ユリアーナさま、娘の作った品を試しに使ってみて下さるかしら?」
四十代くらいだろうか。お母さまと同年代と思われる奥様が嬉しそうに「光栄ですわ」と答えて、人々の輪の中から抜け出して、私のもとにやってきた。
「では、こちらの椅子に腰掛けて下さい」
少しお化粧をしているみたい。取ってもらわないといけないわね。
「失礼ですが、今施されているお化粧をとってもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。あなたのお母さまから、基礎化粧品だと聞いておりますもの。最初からそのつもりですわ」
と、問題なく願いは許されて、マリアにユリアーナさまに施されている化粧を取ってもらう。
「まあ。素顔で十分お美しいじゃないですか!」
私は感嘆の声をあげる。もちろんお世辞なんかじゃなく。
「やだ。エミーリアさま、お宅のお嬢さまったら、お世辞がお上手なんだから」
奥様方の間からクスクス笑い声が上がる。
「だって、本当にお綺麗。肌のきめも良くて、皺もまったくありません。これはなにかいつもケアされているのでは?」
「あらやだ、お上手。私をいくつだと思っているの? それに、この国は肌を隠す化粧品はあっても肌そのものを整える化粧品なんて発想がなかったから、たいしたことはできてないわよ。でも湯浴みは好きね」
私は興味津々になってユリアーナさまに尋ねていると、コホン、と私を諫める咳払いが聞こえた。
「アンネリーゼ、本題からずれているわ。他のみなさんが結果を見たくてうずうずしていらっしゃるわ」
「あっ。みなさま、失礼しました。では、試用に移りますね」
私が周囲のみなさんにそう伝えると、わっと歓声があがる。女性たちの、初の基礎化粧品への期待は高いようだ。
「まず、瓶から手の平にパシャパシャと数滴載せます。それを両手でなじませます。そうしたら、パッティングというんですけど、手の平で軽く撫でたり叩いたりして、お顔のお肌になじませてあげて下さい。……こんな感じです」
私がやってみせると、観衆たちは熱心に学び取ろうとする。中にはメモ書きまでしている人がいて、びっくりしちゃった!
「それが終わったら、次にリップクリームです。くるくるっと適量出して、唇に塗ってあげて下さい。あんまりたくさん出し過ぎると折れちゃうので気をつけて下さいね」
すると、もともと厚みのあるユリアーナさまの唇が、より、ぷるんと艶を帯びる。
「肌も凄く触り心地が良いわぁ。もちっとしていて、手が頬に吸い付くような感じ!」
ユリアーナさまがそう感想を述べる。
「そして最後にハンドクリームです!」
別にドミニクに作っておいてもらったチューブ状の容器に入った、リップクリームを溶媒でのばしてより伸びやかにしたハンドクリームを披露する。
「はんどくりーむ?」
「手専用の美容品です。張りを持たせ皺やあかぎれの予防に役立ちます。ユリアーナさま、試させていただいても?」
「ええ! もちろんよ!」
そして、ユリアーナさまがこっそり私の耳元に唇を寄せる。
「……実は最近手の小じわが気になってきていて……」
──分かります。私もアラフォーOLでしたから(ぐっ!)
私は丁寧に爪の先から関節の節の隅々まで丁寧にハンドクリームを塗り込む。
「はぁ、顔も唇も手も、つるつるのすべすべ……。少女の頃に戻ったようだわ!」
そうしてユリアーナさまが夢心地で感想を述べると、「私も私も」と声が上がる。