10-2.
マリアを送り出して、刺繍も完成してからほどなくして、家の外で慌ただしい馬車の車輪の音が聞こえた。なにごとかと思いきや、その馬車の音は我が家の前で止まったのだった。
「……なにかしら?」
私はなにごとかと思って窓から通りの方の屋外を見る。
すると、エッドガルドさんとお使いに出したはずのマリアが一緒に馬車から降りて来るではないか。
私は出来る限り急いで玄関ホールへ向かう。そして家の扉を開けた。
「こんな早足の馬車を出して、急いでどうしたんですか?」
私は驚いてエッドガルドさんに尋ねる。すると、彼は、がしっと私の両肩を掴んで捉えた。
「お嬢様が、次はどんな発明をなさるのか、この目で見たくて……! 駆けつけて参りました。ご依頼の品は、りっぷすてぃっくけーすとやらだけはありませんが、他の品は全て揃えて参りました! りっぷすてぃっくけーすのほうも、お嬢さまに設計の概要を、技師が直に聞いた方が良いと考え、連れて参りました!」
「良い仕事しました!」みたいな感じで、報告するエッドガルドさんの後ろから、頭を下げながらひとりの若い男性が馬車から降りてきた。
「今回のりっぷすてぃっくけーす開発に携わらせていただく、ドミニクと申します。お嬢さまのお望みどおりの品を再現できますよう、がんばらせていただきます」
そういって頭を下げる。
「エッドガルドさんが連れてくる技師にしては若いのね?」
何気なく聞くと、ドミニクがうろたえる。
「あああ、やっぱりこの外見じゃ頼りないですかぁ?」
そして、ドミニクは眉を下げて「だから、ボクじゃない方がいいっていったんですよぉ」といって、エッドガルドさんにすがりついている。
「えっと……?」
そのドタバタ劇に私はただ、なにごとかと見守るばかりだ。
「ドミニク。私はお前が一番適任だと思ったから連れてきたんだ。自信を持て。新しい発明には若く柔軟な頭を持った技師が適任だ。そこで、お前が良いと思って連れてきたんだからな」
「……はい」
それでもまだ自信が持てないのか、ドミニクが身体を小さくして居心地悪そうにしている。
「ドミニク、私、アンネリーゼと申します。私だってあなたと同じく若いじゃないですか! お願いです。私の発想を実現するお手伝いをしていただけませんか?」
私は、彼の両手を取って頼み込む。
家柄が上で、しかも異性の私に手を触れられたことに驚いたようで、はじかれたようにドミニクは私から身体を離す。それと同時に手も離れていった。
「確かに、俺はエッドガルドさんのもとで色々仕事させてもらってます。でも、貴族のお嬢さんの化粧品のことなんてさっぱり……」
「いやさあ、だからね? 何度もいっているように、化粧品の中身の試作品はお嬢さまたちが作るの。で、お前は、くるくるっとその円形で固形の化粧品が回って出てくるような仕組みを作ってやれば良いだけさ」
「あ、そうなの?」
「だから、あれだけ散々説明しただろう!」
どうも、ドミニクは女性向けの化粧品自体を作れといわれたのかと勘違いし、そうだと思い込み、エッドガルドさんと話が合わなくなっていたようだ。
「……それで、お願いできますかしら?」
話が収まった様子のふたりの間に入って、私はドミニクに向けて首を傾げてみせる。
「あー。オーケーっす」
「おい! 言葉!」
ドミニクは貴族相手の仕事はあまり……というかもしかしたら一度もしたことがないのかもしれない。平民が普段使いで使う言葉をうっかり使ってくる。
なんだか、エッドガルドさんを中心とした商会の商人たちや技師たちとのやりとりが垣間見えた気がして、私はなごんでしまう。そして、つい、クスクスと笑ってしまった。
「あー。すんません。以後気をつけます……」
ドミニクの口調は次に試作品を見せてもらうときには少しは直っているのだろうか? と、少しいたずらな楽しみができたのだった。
「それじゃあ」とお願いして、みなで机を囲む。
「こうして、中に香料と蜜蝋を混ぜたものを練り込んで詰め込んで、そして、冷やして固めます。そして、底を回転させると、自分の好きな量だけ筒状になった蜜蝋が出てくるんです。それで、出したままじゃあ蓋を閉められなくなってしまいますから、反対に回すと、蜜蝋がもとのようにしまえるって感じです」
私はリップクリームケースに欲しい機能をドミニクに説明する。すると、さっきからは一転、真剣にうんうんと頷きながら話を聞いていたドミニクが、あっさりとその構造を考えついてくれた。
「こうやってこう……そう、これとこれで、らせんが……」
紙にするすると構造が描き出されていく。
「うわ、凄いわ! 私はアイディアと機能をいっただけなのに、すぐに分かるなんて!」
「いやぁ……。大がかりな魔道具でもないですし、これくらいなら俺じゃなくてもいけると思うっすよ? ……あ、いや、また口調が……すみません」
──あら、やっぱりついぽろっと……。
後頭部をガシガシとかきながら、口をへの字にして肩を落とすドミニク。
「部屋の中だけならいいわよ。私が良いってことにするわ。気にしないで」
「ありがとうございます」
すると、私の言葉を聞いたドミニクの表情が明らかに柔らかくなったのを感じた。
「じゃあ、まず、このケースを作ってもらいましょう。どれくらいでできるかしら?」
「うーん、肌に付けるものを入れるんですよね……。だったら、人体に無害なものがいい。そういえば、ジェルの木から取れる透明な樹液を加熱して硬化すると、好きな形状で固定できるんだっけ……」
──ジェルの木。プラスチックの樹液版って感じかしら?
あっちの世界でのゴムの木とか、メープルシロップが固まるみたいな感じなのかしら?
それにしても、あっちの世界にも同じ「ジェル」って言葉。
偶然かもしれないけれど、この今の世界と、前の世界って、微妙に重なるようで、重ならなかったりするのよね。どちらかというと、都合が良いほうの感じで。
だって、本来なら、中世とか近世なんて、とっても不衛生だったのよ?
女子的に一番気になるもののひとつはトイレ!
中世なら、トイレはしたものは路上に投げ捨てだったり、敷地の決まった場所に投げ捨てていたのよ!
びっくりよね?
ただ、違和感はあって、なんていうか、こう、見た目はいいんだけど、内実的には不便さがあるっていうか……。
気になる点がひとつ。
食べ物はあんまり美味しくないのよね。
食事も保存環境が良くなかったから、腐りかけたような肉を食べているのが実情だし(そのためにスパイスが貴重とされているんだけど)。
それはそのまんま……って、これって、魔道具にできる!?