9-1.幕間③ 赤の女王の怒り
そうしてときは遡り女王の帰還の日。
「女王陛下、並びに王配殿下のご帰還です!」
女王一行の先発隊を務める騎士が、高らかに女王の帰還を知らせる。
──いよいよだわ。
王太子カインと並んで王族たちの並ぶ列に交ざって待つサラサは、緊張と期待に胸を高鳴らせる。王太子と並んでいるのは、カインから「母の帰還した際に、新たな婚約者として紹介したいから」と請われたからだ。
サラサは自分の下腹部をそっと撫でる。
──きっと、女王陛下も、初孫ができたことを喜んでくださる。
ただ、「聖女のための協奏曲」は、全年齢向けの乙女ゲームだったので、サラサとカインの間で事前にそういう関係を持つことはないはずだった。だが、ある夜にカインに忍んでこられ、強く請われた結果、そういう関係になったのだった。そして、一度許してしまえばずるずると関係は続くもの。そうした結果、サラサの懐妊となったのだった。
──大丈夫よ、大丈夫。イレギュラーはあるけど、ゲームのヒロインは幸せになると相場は決まっているんだから──……。
サラサは自分を鼓舞し続けた。そして、女王アレクサンドラがやってくるのを待つ。すると、行進していた馬の列が止まった。
「……そなた、誰じゃ。それに、そこにいるべきアンネリーゼはどこにいる」
馬上から冷たい声がした。
サラサは顔をあげる。
アレクサンドラ女王陛下と思われる、隊列の中で一番豪奢な身なりの女性が、馬に跨がっていた。
「私はサラサ・カガミと申しまして──……」
サラサが語りかけかけると、すぐにアレクサンドラに言葉を遮られた。
「誰がそなたに頭を上げることと発言することを許した? カイン、そなたに聞いている。アンネリーゼはどこにいる」
ぞっとするような冷たい声で女王アレクサンドラが王太子カインに尋ねた。
「はっ。アンネリーゼは、私の『真実の愛』の相手、サラサに無体を働いたため、婚約を破棄しました」
王太子カインが握った拳を震わせながらアレクサンドラの問いに答えた。
「は? 『真実の愛』?」
理解できないといった様子でアレクサンドラがその言葉を繰り返す。
「聞いて下さい女王様、私たちは……」
「そなたに聞いてはおらぬ! カイン、わたくしの問いに答えよ!」
「あ……ええと……彼女は、聖女サラサ……と申し……」
「聖女サラサ? 教会で保護したとかいう招かれ人の娘の名がどうして今出てくる」
「……そのサラサが、私の隣にいる女性です! 私はっ! 彼女と『真実の愛』を見いだしましてっ!」
やけになったカインは叫ぶように事情を語り出す。
「はぁ? 『真実の愛』、だと……?」
女王はあっけにとられた様子で目を見開く。
「サラサは聖女、尊い存在です! ですから、私はサラサと一緒になるべきだと! ですので、アンネリーゼに婚約破棄をいい渡しましたっ! そして、サラサに無体を働いたので国を出るよう申しつけましたっ!」
カインは振り絞るように女王に回答した。聖女サラサ。その存在が自分を助けてくれる、そう思って返答したのだが──。
「はぁ? 聖女サラサが将来の国母にふさわしいと!? わたくしに代わって!? そなたが判断したというのか!? そなたには私が決めた事柄を覆すほどの権限があるとでもいうのか!?」
女王の声は怒気に満ち満ちている。
アレクサンドラの怒りにあてられて、もはやカインは泣きそうですらあった。
「アレクサンドラ。……その辺で、落ち着いて……」
彼女の配偶者である王配エドワルドが仲裁に入る。だが、彼女の怒りは収まる気配を見せない。
「それでどうしてバルタザールまでいないのだ! あれはわたくしが見いだした逸材ぞ! 誰か、説明せんか!」
その言葉に、侍従長が女王に一枚の封書を差し出した。
「宰相閣下におかれましては、陛下宛にお手紙を残しておられます」
「開けよ!」
「はっ」
侍従長が、ペーパーナイフとともに盆の上に置かれた封書をピッと開ける。そして、盆の高さよりも頭を下げ、再び恭しく封書を差し出した。
「祭事でわたくしが王都を離れたと思ったら、どういう事態なんだ、全く……」
怒りが収まらないのか、荒々しく手に取った手紙をバサリと広げると、中にしたためられた字を追った。
「なんの罪もない我が娘との婚約を破棄されたこと、及び国外追放を命じられたことについて、バーデン家のものは全員納得しかねます。よって、一家全員、貴国からお暇させていただきます……だと?」
手紙を手にする手が震える。
「やってくれたな、バルタザール! 誰か! バーデン卿の屋敷を調べろ!」
アレクサンドラが命じた。
そこに、間が悪くカインがさらなる真実を女王アレクサンドラに告げる。
「我々は『真実の愛』で結ばれております。お喜びください、母上! その結果、サラサの身体には既に我々の間の子が──……」
子供の存在を口にした途端、周囲が青い顔をして女王アレクサンドラの様子をうかがった。
「子だと? 王族と結ばれるつもりの娘が? ……婚前に?」
冷たい声の温度がさらに下がった。
「それと婚約破棄といったか? あれはわたくしが決めた婚約。それを一介の子に過ぎぬそなたが覆したというのか?」
場の空気はどんどん下がっていく。
するとそこへ、ひとりの男性が声を発した。祭事に女王一行と同行していたこの国の国教の枢機卿だ。
「女王陛下、とんでもないことですぞ! 王太子の花嫁は、初夜に純潔であることが必須条件です。さらに、婚礼時に純潔だった王妃、王子から生まれた子にしか、我ら教会は洗礼を与えられません。洗礼を受けていない子など、王子、王女として認知することは不可……」
「そこまで説明せんでもわかっておるわ!」
女王アレクサンドラが一喝する。
そのただならぬ様子に、王太子カインとサラサの顔が青くなる。そして、互いが抱える恐怖を宥めるために、他人から見えぬよう互いの手を握った。
「……カインさま、この子は……」
サラサは他に漏れ聞こえぬよう、カインの耳もとにささやく。
「しっ……」
カインに制されて、サラサは口を閉ざした。
「アレクサンドラ。一度場を仕切り直してはどうかね?」
女王アレクサンドラを恐れるでもなく、そう提案するのは、彼女の夫である王配エドワルドだ。すると、その言葉に怒りがようやくおさめられた様子で、ひとつ息を吐いた。
そして、女王アレクサンドラがその場にいる全員に指示をする。
「ひとまず、旅路の帰着にあたって、身を清め、休みを取る必要があるだろう」
そう指示すると、祭事に赴いていた面々から、安堵のため息が上がる。
「そして、カインとそこの娘」
女王アレクサンドラは、サラサの名を呼びすらしなかった。
「私の婚約者です! 先ほども申したとおり、彼女にはサラサという名があります!」
そこに、場の空気を読めないでいる王太子カインが女王アレクサンドラに向かって抗議する。
「……わたくしが覚える必要のある名か? それと、この国の王太子とその婚約者はわたくしが決める」
「そんなことをいって、我が子を虐めてはいけないよ、アレクサンドラ」
そこに、助け船を出したかのようにみえるのは、王配エドワルドだった。
「……君のそのいいようだと、王太子はカインでなくとも良くて、婚約者もまだ未定ということになってしまうよね?」
王配エドワルドは穏やかで優しそうにみえて、平然と女王アレクサンドラの横に立てるくらい、現実的で冷淡とも言えるほど沈着冷静な人物だった。
そのふたりのやりとりを聞いて、王太子カインとサラサがふるふると身体を震わせた。
「私は、アンネリーゼ・バーデンをこの国の王太子の婚約者と決めた。あの娘はどこだ」
当然誰もこたえようとはしなかった。いや、答えられない、が実際のところの状況なのだろう。
その間に、イライラと怒りを募らせてきた女王アレクサンドラが、まっすぐに王太子カインに向かって問いかける。
「カイン。アンネリーゼはどこにいる。王都を出たあとどこへ向かったのだ!」
「……知り、ません……」
当然、答えるべき情報は持ち合わせていなかった。婚約破棄をした後、彼らははしゃぎじゃれ合っていただけなのだから。
「アンネリーゼ・バーデンと、宰相バルタザール・バーデンの居場所を突き止め、わたくしのもとに報告するよう命じよ!」
「「「ははっ!」」」
そうして、バーデン家がすでにデラスランド公国についてから、バーデン家の捜索が始まるのだった。