8-2.
それから、お父さまがハイデンベルグ国王陛下に向かって慇懃に語りかけた。
「格別なるお言葉、ありがとうございます。ただ、まだ我ら家族はデラスランド公国に移住してきたばかり。こちらの国にもまだまだ慣れてはおりません。ハイデンベルグ国王陛下の格別なるご提案については、落ち着いてからゆっくりと考えさせていただきたく……」
そうして、お父さまは丁重に礼をした。
「全く。頭が良い上に弁も立つ奴め」
ハイデンベルグ国王陛下が、チッと舌打ちした。
きっと、引き抜きの提案を安易に断るでもなく、やんわりと丁重に濁したことをいっているのだろう。
「兄さん、あまりバーデン卿を困らせてはなりませんよ。さ、我々は本来の目的地に向かいましょう」
「へいへい」
興は冷めたとばかりに、ハイデンベルグ国王陛下はマルク王弟殿下に連れられていった。
「全く肝が冷えました」
私は、大きく息を吐くとともに、お父さまに今の一連の出来事の感想を漏らす。
「お父さまはハイデンベルグ国王陛下ともお知り合いなんですか?」
「ああ、大学の先輩だ」
肩を竦めながらお父さまが答えた。
大学とは、お父さまの出身のデラスランド公立大学のことだろう。
「まあ、自慢するつもりはないんだが、私は歴代最高の成績で首席で卒業してね。まあ、結局アレクサンドラに引き抜かれてバウムガルデン王国に行ったんだ。だが、その一方でハイデンベルグ国王陛下も私を引き抜こうと思っていたらしくてね……。前の国にいたときから、実は度々引き抜きの誘いを受けていたんだ」
お父さまは、「頭が痛い」とこめかみを指で押さえて、ため息をついた。
──やっぱり私のお父さまって凄い。
◆
その一方、ハイデンベルグ国のふたりが、対面の予定の入っているデラスランド公国アルベルトが待っているはずの客間に向かって歩いていた。
「全く、手に入れるチャンスが来ても、いつも横からかっさらわれて気に入らねえ」
ハイデンベルグ国王が舌打ち混じりに愚痴をこぼす。
「今回は『かっさらわれた』訳ではないですよ? バーデン卿と親しいブラデンブルグ将軍との伝手から、こちらのデラスランド公国に身を寄せることにしたらしいですし」
「ライナルト・ブラデンブルグか……。学生時代にゃ、バルタザールにくっついて歩いてたからなあ。……それにしてもお前、今回の事情に詳しいな」
「兄さんがハイデンベルグ国王で王国の剣ならば、私は王国の諜報部ですからね。バウムガルデンの王太子(馬鹿息子)がやらかしたと聞いたので、その辺を探っていたのですよ」
「だったらすぐに俺に教えてくれれば良いじゃないか。だったらすぐに手を打って、バルタザールを手に入れられたってのに」
「あ──……、そこはすみません。バウムガルデン側を中心に調査していたので」
マルクが素直に謝った。
「で、あっちの動きはどうだ? あんな茶番劇、女王アレクサンドラが激怒しそうなもんなんだが」
「ご明察」
王弟マルクがにっこりと嬉しそうに笑って人差し指をかざす。
「ちょうど女王と王配が祭事から戻ったようで、面白いことになっているんですよ」
「……お前、性格悪いな」
「おや、そうですか? 私は物腰も柔らかですし、兄さんと違って親しくしたいという女性に事欠きませんが……」
「……そういうところもだよ。全くこの美形インテリ眼鏡が」
そういって、ハイデンベルグ国王がため息をついた。
「ああそういえば、面白いといえば。もうひとつあるんですよ、兄さん」
「ん? なんだ?」
もう用はない、興味はないとばかりに適当にハイデンベルグ国王が相づちを打つ。
「さきほどの、ご令嬢の方です」
「確かに噂どおりに才気煥発、その上見目もいいと、噂どおりの令嬢だったが、なにかあるのか?」
「ええ、あるんです」
王弟マルクがにっこり笑う。
「なんでも、子供に語学を遊び感覚で学ばせるための本、『絵本』を発明したんだそうです。これが売れに売れている。ちなみに、うちの上流貴族たちの一部にも新しいものに目ざといものたちは手に入れはじめていますね」
「ほう? 令嬢が、発明をね。って、あの令嬢の家はそんなに金に困っているのか? だったらバルタザールへの勧誘の方法も変えるが……」
すると、ゆるゆると王弟マルクが首を振る。
「そうじゃないんです。彼女はまず自分の幼い弟妹のために作ったと。それを、家のものだけにするのは惜しいと周りから特許を取れとアドバイスされたらしいんですね」
「まあ、もっともな意見だな」
「彼女、その絵本を貧民街にある教会の学び舎に寄付したそうですよ。それから、衣食住の不足を補うために、定期的に、絵本の収入から教会にも寄付をしているらしい」
それを聞いて、感心したように「ほう」とハイデンベルグ国王が相づちを打つ。
「それからですね……」
「ちょっとまて。まだあるのか!?」
「ええ、そこが彼女の凄いところなんです」
王弟マルクがかけている銀色の眼鏡をくいっとあげる。彼の容貌はもともと知性を感じさせる、男性ながら美しい容姿なのだが、彼のかけている眼鏡は、その魅力をさらに押し上げている。
「普通、我々が計算するときは、暗算か紙に書いて計算しますよね?」
「……ああ、そうだな」
「彼女は、それを改革したんです。単純な木細工の計算機と、魔道具式の計算機のふたつ。このふたつも発明し、文官に普及させ、業務改革をした。それにより、デラスランド公国では、煩雑な書類確認の効率化をしたばかりでなく、計算ミスをあえて混ぜ込む手法での予算のごまかしをすぐに見つけることができるようになったそうです……」
それを聞いたハイデンベルグ国王はあっけにとられたような顔をしている。
「……それは、女がやることか?」
貴族女性といえば、楽器演奏に刺繍、茶会での話術……といったものを嗜むものが一般的だ。国の事務、しかも予算関連にかかわるなど、しかも業務改革をするなど、異例のことだった。
「兄さん、ひとつお願いがあるんですが」
「おう、いってみろ」
「もともと、明日には二人揃って帰国する予定でしたが……、なにかしら上手い理由をつけて、私をここデラスランド公国に残していってくださいませんか?」
そういって、王弟マルクはハイデンベルグ国王に微笑んで見せたのだった。




