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7-4.

 ──ん? ということは?

 アンネリーゼの頭にひとつの疑問が浮かぶ。

「ちょっとそちらの山になっている書類、見せてください!」

 一枚、二枚、三枚……と、書類を順にめくっていく。

「ない、ない、ない、これもない……!」

 アンネリーゼの形相がやや怖いものになってきたのを見かねて、父バルタザールが、アンネリーゼの肩に手を添えて声をかける。

「おいおい、なにがないというんだい?」

「全部、宛先が書いていないのです!」

 気色ばむアンネリーゼを宥めながら、バルタザールは尋ね返す。

「宛先?」

「はい、宛先です」

「それならこれ、『公主閣下へ』とどれも書かれているじゃないか」

「それじゃあダメなんです! じゃあ、国中の書類を全て閣下が決裁なさるというのですか! そんなことをしたら、過労死してしまいます!」

 そこまでいい切ると、アンネリーゼはいいたかったことをいい終えて、肩で息をした。

「「カロウシ?」」

 当然そんな言葉はこの国にはないわけで、アルベルトもバルタザールも揃って首を傾げた。

「彼女の父ならば知っているか? バルタザール」

「いいえ、ちっとも」

 顔を向かい合わせて横に顔を振る二人。

 ──はっ。しまった。ごまかせ、私!

 アンネリーゼはにっこり笑って有無を言わさぬ態度で話の方向の転換を試みる。

「カロウシ、については忘れて下さい。本題に戻りますよ。全部の書類は、本来、全てが公主閣下が直々に見るべきとは限らないでしょう?」

「そうだな」

「そうだ」

 アンネリーゼが二人に問うと、仲良く揃ってふたつの首が縦に振られる。

「例えばこれは軍務大臣か、その配下で実務を取り仕切る将軍……、こちらは宰相閣下か文部大臣かしら? あとは……」

「なるほどね」

 ぽん、とアンネリーゼはアルベルトに肩を叩かれた。

「宛先がただ一番の上役の私だけで、具申したい、具体的な部署が書かれていないと」

「そう! そうなんです! 申請書はみなそうなんです。その上、一定の形式もなく、手紙のように自由にだらだらと書き連ねているんです」

「……確かに。ではアンネリーゼ、そこまで分かっているということは、これをどのように変えたいとか、意見があると思って良いか?」

「はい! 申請したい部署を筆頭に、申請の概要、そういった、一見して書類の宛先がどこでなにを承認して欲しい申請なのかがぱっと分かるよう、書式を統一してみてはいかがでしょう? そうすれば、なにもかもが公主閣下宛てに来ることもないでしょう!」

「なるほど! そして、その書類の事前審査をする文官をおけば、私を筆頭とした上官の負担も減る、ということか!」

 すんなりと意図が通じたことが嬉しくて、つい、アンネリーゼはアルベルトに向かって身を乗り出してしまう。なんなら、少女漫画であったなら瞳がキラキラと光っていたかもしれない。

 ただし……。

「……っ」

「あっ……」

 その至近距離で一瞬ときが止まる。

 ふたりははしゃぎすぎて、お互いにあまりに距離を近づけすぎた。

 ──私よりも頭ひとつ分も背が高く、剣術かなにかで鍛えられた身体はたくましい。黒い短髪はサラサラとつやを持ち、灰色の瞳に私が映る。

 アンネリーゼはまるで彼の瞳に吸い込まれるような感覚を覚えて、胸が高鳴る。

 ──睫は長く、「青い宝石」と称される美しい瞳に影を落とす。頬は先ほどとは打って変わって朱に染まり、その透明で白い肌が血色良く艶を帯びる。

 アルベルトは彼女の美しさと初心な反応に、感嘆と同時に庇護欲といったものをを感じた。

 だが、それとは違う感情も同時に生まれた。

「はしゃぎすぎだよ、アンネリーゼ。まだ未婚のお嬢さんが男性と近づいていい距離じゃない。……忘れているかもしれないが、私もまだ未婚の異性なのだよ? 君のような愛らしい女性を目の前にしたら、その場で自分のものにしたいと思うかもしれない」

 最後は、少し彼女に対して意地悪をしてみたいような、反応を見てみたいような嗜虐心(しぎゃくしん)がわいて、アルベルトがアンネリーゼの細い手首を引いて捕まえ、捉えた彼女の耳もとにささやきかける。

 ……が、それは戯れとばかりに、アルベルトは当惑しているアンネリーゼの手をすぐに離して解放し、穏やかに笑ってみせる。

「冗談だ。……とまあ、悪心を起こす男もいないとは限らない。以後気をつけなさい。君は魅力的な女性なのだから」

「はい。ご忠告ありがとうございます。以後気をつけます。閣下」

 そういって、二歩ほど下がって頭を下げるアンネリーゼ。

「魅力的な女性」といわれたことは、不意を突かれたように胸を打つ。それは、他の女性に婚約者を奪われるという理由で婚約破棄され、自尊心が下がっていた彼女に喜びを与え、下げた頭の下で密かに笑みを浮かべた。

 緊迫したときが、穏やかなものに戻る。

「いや、途中で止めなかった私も悪かった、済まない」

 アルベルトは彼女に応じるかのように、紳士な態度で一礼した。そして、ゆっくりと頭を上げた。

「バーデン卿。大切なお嬢さまをお借りしての悪ふざけ、済まなかった」

「……いえ、こちらの娘が失礼しました」

 すると、場をあらためようと、アルベルトが、パンパン、と高い音で手を叩く。

「戯れが過ぎた。一度解散しよう。そして、書式に関しては再度集まって協議しよう」

「「はい、失礼します」」

 アンネリーゼと、彼女をハラハラと見守っていた父バルタザールが一礼して執務室を後にした。


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