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ちなみに王太子殿下と私の婚約は、この国の女王陛下アレクサンドラさまが、私が十歳を過ぎたときにお決めになったことだ。その女王陛下のお決めになったことを、王太子殿下が独断で覆そうというのだろうか。それとも、女王陛下もご存じということだろうか。
──いや、それはないだろう。
だったら、女王陛下からの命で婚約が解消されるはずだ。もしくは、女王陛下の御前で王太子殿下が代弁なさるだろう。
そして私に落ち度があるのであればそれを糾弾されて破談とされる。そうでなく、私に落ち度がなく、王家の問題であるのであるならば、我が家へ多額の謝罪金と共に申し出があるのが普通なのだ。しかも、婚前交渉のあげくに他の女性を身ごもらせたのだから。
そうして当の女王陛下は今、国の祭事で王配殿下と共に国の辺境にいらっしゃる時期だ。今年の豊作の祈りを神々に捧げるための祭司として、女王陛下及び王配殿下揃ってお出かけになっている。
だから、そのタイミングで婚約解消の話など出るはずがないのだ。本来なら。この国の重要事項を決めるべき女王陛下はご不在なのだから。
女王陛下はとても美しい方。けれど、とても苛烈な女だ。それこそ身内の血の粛清すら厭わないその性格から、「赤の女王」と呼ばれるほどに。そしてそれを受け入れる豪胆さ。
彼女の命令は絶対。そしてそれを覆そうとするものがいれば、躊躇なく断罪する。それは身内であってもだ。今王位に立っているのですら、兄君の血の上になりたったものだ。彼の退廃的で浪費の激しい生活は、やがて国を滅ぼすと、彼を王に値しないと判断し、自分を支持する貴族たちと共にクーデターを起こし、彼を退位させ、高い鉄塔の上にある牢の中に永久幽閉したのちに断罪──粛正していた。
ちなみに、兄君が政治への興味がないことをいいように利用して、国で定めた税率以上の課税をかけ、稼いでいた貴族たちは、総じて断頭台へと送られている。
そうして「赤の女王」と恐れられる反面、女王陛下はとても有能な方でもあった。だからこそ、家内での血で血を争った上で在位していることを黙認されているのだ。
そう。女王陛下に逆らうことはとても恐ろしいことなのだ。
だから私はとても迷った。
「殿下。そのご下命は、女王陛下もご了承のものと受けとめてもよろしいでしょうか?」
違うだろうと、薄々思いながらも、私は相手の様子を探ってみることにする。
すうと深呼吸をしてから、なんとか頭の混乱を鎮め、問いかけた。
「ははう……、いや、女王陛下にはお帰りになった際にこのサラサの引き合わせも兼ねて報告をする。母上だって、我が王族に、希少な聖女の血が混ざることを心から喜んでくださるに違いない! しかも、すでに我が王国の跡取りが希少な聖女の身に宿っているんだ!」
──は? 事後承諾? しかもできちゃった婚? あの女王に? って、馬鹿──!?
息子なのに、自分の母親である女王陛下の恐ろしさを知らないの?
私でもことの顛末は想像がつきそうなものなのに!
私は人前にもかかわらず思わぬ返答──いや、想定どおりだろうか──の返しに、ぽかんと開いた口が塞がらない。
彼が側に抱き寄せたのは、茶色い髪の頼りなげな愛らしい少女。サラサ・カガミ。彼女の腹部はまだ妊娠したと分かるほどの膨らみはない。
けれど、周囲には儚げな表情を見せるものの、私と目が合うと、好戦的な、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
私の婚約者を奪えたことに、優越感を感じているのかもしれない。
彼女は招かれ人──要は異世界からの転移者としてこの国に降り立ったのだという。あくまで世界が呼んだものであって、召喚術などを使って意図的に呼ばれたわけではない。ただ、その希少さから、聖女や聖人とあがめ奉られるのが恒例で、この国の有名人だ。
なぜそんなに重用されるのかというと、異世界からの転移者というのは、世界と世界を移動する際に、特別な力を神から授かることが多いからだという。
サラサの場合、一般人では使いこなせない人々を癒す光の魔法を行使することができるそうだ。
そんな彼女が、王太子殿下と親しくしているのは知っていた。けれど、それも彼女がまだこの世界の常識を理解できていないからだと思っていた。
そのことを、確かに私はサラサに注意したりしたことはあったが、糾弾するようないい方をした覚えはない。
「あの、今、国には女王陛下はいらっしゃいません。それでもこれは決定事項、と認識してよろしいでしょうか」
私は、この事態の収拾を試みた。
いや、このあと女王陛下が戻ってくるまで、これをうやむやにしていたくない。火を見るより明らか、逃げるが勝ちだ。なんとかして逃げたい。
そしてできるだけ、この大勢の人々の前で、この婚約破棄の決定者は王太子殿下だということを明確にしてしまいたかった。
今ここで王太子殿下が「決定ごとだ」といってしまえば、責任は全て彼のものとなる。苛烈な女王陛下からお叱りを受けるのは、王太子殿下とサラサ、そしてその取り巻きたちだろう。
──今は、ここで私に非がないことをはっきりさせなければ。
そうでなければ、私を含め、お父さまやお母さま、可愛い双子の弟妹にまで累が及びかねないのだ。
私は、嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、今か今かと王太子殿下の口が開かれるのを待つ。
「ああ、決定事項だ。女王陛下並びに王配殿下のいない今、国の裁量は私に委ねられているからな。私の王妃はサラサに、そして私の跡継ぎはサラサの子とする。その私の子を宿しているサラサを階段から突き落とした罪により、そなたをこの国から追放する。この国から早々に出て行くが良い」
──よし、言質はとった。
なにかあっても、責任は全て彼に取ってもらおう。






