幽霊列車と死にたがり
日付を跨ごうとしていた深夜の人気の少ない鬱蒼とした密林を、私は縄を手に握りしめて歩いていた。出来るだけ人目に付かない、もっともっと奥の方を目指して暗い林道を歩き続けた。そしてある程度奥地へと進んだ私は足を止め、手ごろな木の枝に縄をかけた。
そうだ。私は自殺するためにこの密林に入ったのだ。クラスメイトに虐められていたから?それとも親が嫌いになったから?はたまた務めていた会社の労働環境がブラックだったから?別に理由なんてない。ただ単に私は疲れたのだ。生きている事に疲れた、それだけの事だ。
死ぬ前に何か一言でも残しておこうと思ったけれど、何も思いつかなかった。私には友達も恋人もいないし、両親は私が高校を卒業する以前に死んでいる。さらに私は一人っ子だし親しい親戚もいない。だから私が死んで悲しむ人間など一人としていないだろう。そんなことをしばらく考えていたが、ようやく私は意を決して縄に首をかけ、首を吊ろうとした。その時だった。何処からか列車の音が聞こえてきた。
(こんな時間に列車が通るはずがないのにどうして?)
そう思って音のした方へと近づいた。
そこには見たこともないデザインの列車が止まっていた。こんな時代に蒸気機関車が走っているなんて。しかもこんな真夜中に……。辺りを見ると何の疑問を抱かずに列車へと乗り込む人々の姿があった。私も彼らの流れに乗って列車へと乗り込もうとした。しかし、何故か扉の手前で車掌らしき人物に止められた。よく見ると彼は車掌服を身に纏った骸骨だった。
『当列車は生者のご利用をお断りしております』
「えっ?」
状況が呑み込めていない私をフォローするように、今度は作業服を着た赤髪の二人組の男性が現れた。
『悪いな、お嬢さん。この列車は死人専用でな』
『お前、まだ生きてるだろ?切符を持ってないみたいだし』
『この列車は死者の魂と死に際に立った人間しか見えない筈…』
『じゃあ切符を持ってないのに俺達が見えてるってことはお前……』
まるで示し合わせているかのように2人は交互に話した後、声を揃えてこう言った。
『『ひょっとして自殺しようとしてたんじゃあねぇか?』』
(図星……)
私は恥ずかし気に俯く、がすぐに気が付いた。今すぐに自殺してしまえばこの列車に乗ってこの世とおさらばできる。
「ちょっと待っててください!今すぐ死んできます!」
そう言って私はさっき首吊り用縄をかけていた木の方へ走っていこうとしたが、骸骨の車掌に腕を掴まれて止められた。
「何で止めるんですか!?」
私の問いに骸骨車掌は淡々とした口調で言う。
『自殺による駆け込み乗車は危険ですのでおやめください』
そんな事を言われても、もう引き返せない所まで来てしまっている。私は強引に振りほどいて走り出そうとしたが、今度は青い乗務員の制服を着た小柄な女性に阻まれた。目はくり抜かれて空洞になっており、その代わり目玉は彼女の両手の平にあった。さらに彼女の下半身は透けており浮いていた。彼女は両腕を広げて私の進路を阻みながら言う。
『駄目って言ったら駄目です!』
「どうしてそこまで止めようとするの?私が死んだらお客さんが増えるんだし、あんた達からしたら得しかない筈でしょう?」
女性は少し困り顔になりながら黙ってしまう。それを見かねた作業服姿の二人組が言う。
『最近お前みたいな自殺者が多くてな。まぁ死因がどうあれ、死者の魂を運ぶのが俺達、幽霊列車の役目なんだが……』
『ただ、病気や事件とかの外的要因で死んだやつと自ら命を絶ったやつとで降ろす駅が違うんだ』
『ここ数年、後者の利用率が阿呆みたいに高くてな……本来魂が逝くべき場所はそっちじゃないから俺達も心苦しくてよぉ…』
『先に言っておくが、自殺者の魂が逝き着く駅は―――虚無だ』
『この世ともあの世とも言えない何もない場所』
『そこに着いた魂は二度と輪廻に戻れない。つまり……』
そこまで言った後、2人はまた声を揃えて言う。
『『二度と生まれ変わることすら出来ず、永遠に何もない世界を彷徨い続けるんだ』』
その言葉を聞いて私は背筋が凍るような感覚に襲われた。人生に疲れて、来世への期待を込めて自殺を目論んだのに、まさか死後の世界にすら行けなくなるなんて。そういえば昔読んだ本に書いてあった気がする。自殺した人間の魂は天国にも地獄にも行けないと。私は絶望に打ちひしがれ、その場に座り込んだ。すると私の元に目無しの幽霊がゆっくりと近寄り、両手を私に向けて言った。
『私には見えます。笑顔で前を向いて生きている貴女の姿が……貴女はまだ死ぬべきじゃない。希望を捨てたら駄目ですよ』
そして彼女は私に優しく微笑みかけた。それはまるで天使のような笑みだった。私も涙目で彼女に微笑み返した。すると、今度は先頭車両の方から声が聞こえてきた。
『おいおい、客は全員乗ったんだろうな!?早く出発してぇんだよ!時間押してるぞ!!』
『悪いな、先頭車両!ちょっと取り込み中で……』
『大丈夫だ、もうすぐ終わるから待ってろ!』
先頭車の怒りを作業服の二人組が宥める。骸骨車掌と目無しの幽霊も慌てて持ち場に付き始める。そして骸骨車掌は私を見ると帽子を深く被り直すと言った。
『それでは……然るべき時に、またのご利用をお待ちしております』
「えっ?あっ、はい……」
私は戸惑いながらも返事を返す。すると、骸骨車掌の発車合図と共に列車は汽笛を鳴らして動き始めた。私は遠くへと走り去る列車を黙って見送った。最後尾の車両に乗っていた目無しの幽霊が笑顔で私に向かって手を振っていたのが見えた気がした。
あれは夢だったのだろうか?でも、何だか自殺しようと思っていた自分が馬鹿らしくなっていた。そして、もう少し頑張って生きてみようと思った。私は林道を引き返し、家に帰ることにした。私の未来を照らすかのように、朝日が昇り始めていた。