眠るのは幸せの中だから
午前二時。
深夜には普段の自分が感じ得ない、特別な雰囲気がある。
夜更かしをしていると、自分が特別なことをしているつもりになる。
何かを頑張っている気持ちになって、何をするではなくとも、その時間を過ごすだけで謎の達成感に包まれる。
翌日眠くなったら、「昨日夜更かししちゃってさ」とカッコつける。
何もカッコよくないし、何もしていなくても、とにかく、カッコつける。
何をしていたのか訊かれても、「やることあってね、色々」とでもはぐらかしておけば、大抵「お疲れ様」と返事がきて、「私頑張ったんよ」とまた得意気になれる。
何もないのに、何かを得たような気になる。
実際は減っているだけなのに、何か増えたような気になる。
それが夜中。
午前三時。
人生には心無いと思えるような、お節介焼きがいる。
早寝をしなよって言ってくる。
体に悪い。効率が下がる。学校に遅刻する。
そんなのわかってる。誰だってわかってる。言われなくてもわかってる。
皆、そんなデメリットを抱えたくて夜更かしをするわけじゃない。
もっと別に理由があることを、誰も考えてはくれない。だって考える義理がないから。
自分も本当は皆と同じ、普通がいいんだ。
でも、上手くいかない。それが苦しくて、でも言えなくて……。
言わなきゃわかってくれない。言わなきゃ伝わらない。言わなきゃ考えてくれない。
所詮他人は他人だから。
目についた問題を指摘するお節介焼きはいても、その奥まで考えてくれる超お節介焼きはいない。
それが人生。
午前四時。
友達にはなんとも言えない、特別な力がある。
一緒に居ると楽しくて、話をすれば心が軽くなる。
午前零時のSOS、違う学校に通う驚くほど早寝早起きの友達が返信をくれる。
おつかれ、から始まる電話に心地よさを覚える。
所詮他人、でも、友達。
全部わかってくれるわけじゃないけど、「どうしたの?」と聞いてくれる。
そうやって喉で閊えた言葉をつるつると引き出してくれる。
それだけで心が救われる。
「友達でしょ」って、直接言葉にはしないだろうけど、それが理由で話を聞いてくれる。
心の奥を聞いてくれる。
励ましてもらって、どうでもいい話に変わって、気付けば笑顔になっている。
単純かもしれないけど、それをとても幸せに感じる。
それが友達。
午前五時。
自分には想像以上の、可能性がある。
友達に元気を分けてもらったからそう思うだけ、かもしれない。
私は、自分を消したくない、猫を被るくらいなら関わりたくない、それでもやっぱり寂しい、社会から必要とされていない、と思っている。
そんな弱音が自分を覆って正当化していることを、無意識によしとしていた。
だって、怖いんだもん。もっと気楽に生きていたいんだもん。
でも……、「自分に芯があるのと同じように、相手にも芯がある。それをお互いに認められたら笑顔になれる」って言葉が、「大丈夫、上手くいかなくても一人になるわけじゃないから」って言葉が、自己中心的な心を見つめ直す勇気をくれたんだ。
友達の言葉に背中を押されてだけど、前を向こうと少しでも思えた。
小説や漫画のような綺麗な生き方が出来るわけじゃないし、頑張っても上手くいくとは限らない。痛い目は見てきた。相手が自分を見てくれる保証もない。
それでも、少しでも、可能性があると信じたくなってしまう。馬鹿みたいかな?
それが自分。
朝焼けだ。
眠くなってきたな。
「話、聞いてくれてありがとう」
「これぐらいなんてことないよ」
「今日、ちょっと、頑張ってみる」
「うん、私も頑張る!」
通話を終える。
少し休もう。
アラームを正午前にセットする。
今日は、学校に行ってみよう。
何が出来るか、わからない。
でも、たぶん、きっと、少しでも、何かを変えられる気がする。
私には、可能性があるから。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「お節介焼き」が悪いわけじゃないのはわかるし、その人の言うことも正しい。
でも、何故「(お節介焼きにとって)問題(だとされるような)行動」をするのか、理由を一度分析してみてください。でないとただの意見の押し付けになって、反発し合ってしまうだけだから。
私も気を付けないと……。
次回作もぜひ読んでください!
私の作品があなたの気晴らしになれば幸いです。