命
「では・・芥川亮介くん」
「はい、答えは・・・です」
講義、バイト、の大学生活を繰り返すこと1年が経過した。華やかな大学生活に胸を膨らませていたが現実は普通だった。大学は学問を追求する場所なので多人数で騒ぐ行為や遊びに時間を浪費する気にはなれない、と言いたい所だが実際は、自身の社交性の無さが原因で輪に入れないだけなのだ。自身で手を伸ばす努力が出来ない者が華やかな環境を手にする事が出来ないのは、どの世界でも同じなのだろう。それでも、自分はどの環境でも勝手に楽しめる、という建前の元、本日まで楽しく生きてきた。
講義終了後からバイトまでには、3時間の空きがあるので僕は迷うことなく病院に向かった。
305号室と表記された個室に入ると、中には僕の大好きな祖母が書き物をしていた。祖母は、僕の存在に気づくと笑みを浮かべた。
「ばあちゃん、リンゴ食べる?」
「うん、お願いしようかな」
僕の両親は、幼少期に母の不倫が原因で離婚した。僕は不倫相手の子供だった事が判明し、父は当然親権を拒否、母は実家から勘当され、母方の祖母が僕を引き取ってくれた。子供に罪はないと口で言うのは簡単だが、育てる筋合いのない僕を大学にまで進学させてくれた祖母には、感謝の一言では済まない。
「大学では友達とはどうだい・・? 上手くやれているかい・・?」
「まあ、遊び過ぎない様に気を付けているよ」
「亮ちゃんは真面目だね~」
友達が全く居ない、などと言ったら祖母は絶対に心配する。身体が弱っている祖母には、極力心配をかけたくない。これは、噓も方便だ、と自身の言動を正当化させた。
「亮ちゃん、これ・・」
祖母は、小タンスの引き出しを開けると、ブレスレットの様な物を渡してきた。
「誕生日、おめでとう」
「ありがとう・・っていいの?こんな高そうな物」
それは、海よりも澄んだ青、という言葉がピッタリな位に澄んでいた。祖母はそれを僕の手首に巻くと、似合うね、と一言呟いた。
「これは家の家宝なのよ、貴方に託すわね」
「まだ早いよ、ばあちゃん・・」
祖母に心配事をかけたくないので、普段は笑顔以外は出さないようにしているが、今日ばかりは悲しい表情をしてしまった。それに気づいた祖母は僕を促した。
「ほらバイト、遅刻しちゃうよ?」
時計を見ると本当に遅刻しそうだったので、直ぐにバイト先に向かった。
そして、普段通り機械的にバイトをこなした。
帰り道、人気の少ない夜道を歩いていると、ふと考え事をしてしまった。
このままバイト・講義を繰り返していく人生・・それって退屈じゃないか?・・先が殆ど予測出来てしまう漫画は詰まらないが、人生も同じ事が言える。しかし、過程に変化があれば、ありきたりな設定でも旨味が出てくる。つまり、今の人生には刺激が足りない、僕は刺激が欲しいのだ。
自分なりに考えを巡らせていると、前方に人影の様なモノが見えた。普段、すれ違う人に顔を向ける事など無いのだが、深夜帯に、この道で人を見かけるのは初めてだった。それほど人気の無い道だったのだ。
僕は、急いで通り過ぎることにした。明確に理由を説明する事は出来ないが、身体が身の危険を感じている気がしたのだ。でも、それは勘違いではなかったのは直ぐに分かった。気づくと、僕の身体は宙に浮いていることが分かった。
厳密には、何者かが僕の胴体を掴んで空を飛んでいたのだ。それには、頭上に輪の様なモノ、背中には翼が付いていることから、それは恐らく天使なのだろう。
「一緒に・・行こう」
「え、嫌です」
何処に行くの?と思ったが天使の行く所で連想されるのは、あの世しかない。自分の命にそこまで価値があるとは思ってはいないが、ここで死んだら祖母の身体に悪影響を及ぼす可能性があるので、丁重にお断りさせていただいた。
しかし、僕の発言に耳を貸す様子はなく、天使は更に高度を上げようとした。生存本能的に危機を察知した僕は、天使の腕に本気で嚙みついた。すると天使は、ああぁああぁ!!!、と気持ち悪い叫び声をあげると僕を抱えていた手を離し、僕は垂直に落下してしまった。
地面までの距離は約50m、大怪我か死か・・痛いのは嫌だ・・目を瞑りながらそんな事を考えていると、着地寸前にフワッとする感覚に襲われた。
目を開けると、僕は知らない男性にお姫様抱っこをされていた。それは、顔も体も人間に近いのだが、背中から黒い翼が生えているのが特徴的だった。先程の天使と比較すると明らかにこちらの方が柄も人相も悪いが、それでも助けてくれたことに変わりはない。
「ありがとうございます」
「いえいえ・・当然の事をしただけです」
人相の悪い顔で人助けをした上での謙虚な振る舞い、恐らく女性はこの様なギャップに惹かれるのだろうと思った。そんなことは置いておいて、僕は浮かび上がってきた疑問をぶつけた。
「すみません、貴方達は何故翼が生えているのですか?」
「まあ、普通はそうなるか」
男は、お姫様抱っこからの状態から僕を下ろすと、僕達の頭上で羽ばたく天使を指さした。
「あれは天使、人間の命を天に運ぶ使者だ。そして・・俺は死神、人間の命を死から守る神だ」
僕は、死神の発言に少しだけ驚いた。そもそも、人間から命を奪うのは死神だというのが人間の共通認識だからだ。天使が人間を死神から守るのはありそうな展開だが、死神が人間を死から守る、というのは衝撃的だった。
「なるほど・・」
「まあ、話は後だ・・逃げるぞ!」
え?と疑問の表情を浮かべる間もなく、死神は僕をお姫様抱っこすると、とんでもない速度で低空飛行を開始した。
髪をボサボサにしながら後ろを振り向くと、天使も低空飛行でこちらを追っていた。
「あの天使が僕に拘る理由は何ですか?」
「天使は人口調整の為、無作為に人を殺す。けど、私情で人殺しをする者も居る、そいつに目を付けられたのだろう。」
「・・天使って悪魔ですね」
「悪魔の方がまだ優しい」
僕は、執拗に命を狙ってくる天使に対しての怒りが段々と沸き上がってきており、苛立ちを覚えてきた。そして、我慢出来なくなった僕は叫んだ。
「バー―――カ!」
天使は理解したのか、更に速度を上げてきた。
「バカ、煽るな!あいつ、強いから!」
「あ、すみません」
死神はキリがないと思ったのか、急に速度を落として天使の方に振り向いた。
死神が僕の方を見ると、耳を塞げ!、と言ってきたので全力で耳を塞いだ。
次の瞬間、死神はけたたましい“発狂”をあげた次の瞬間、天使は白目をむいて倒れた。
その隙に、僕と死神は逃げた。
僕が祖母と暮らしている住宅に帰ると、自室のテーブルで死神と向かい合っていた。現状分かっている事は、天使は人口調整の為に人間の命を狙う存在、死神は人間の命を助ける存在、僕の命が狙われていることの3点だ。
「俺は芥川黒見だ、宜しく」
「僕は芥川亮介です、宜しくお願いします」
死神の名前は芥川黒見、偶然にも苗字が同じだったので、互いを名前で呼ぶことにした。
「天使が人口調整をする目的は何ですか?」
「一部の天使達の娯楽だよ。あの世は、想像を絶する位に暇らしい、だから暇を持て余した天使達の遊び・・それ以上でもそれ以下でもない」
それを聞いて、そんな茶番に人間が付き合わされている事に怒りが込み上げてきたのだが、同時に仕方がないのかもしれないと思った。戦争も軍事力の無い国が大国に蹂躙されるのは、歴史が証明している。それが摂理なのかもしれないが、やはり蹂躙されるのは癪に障るので抵抗はしてやりたい。
「対話で何とかなりませんよね・・」
「アレに話が通じると思うか?」
ふと、あの美しさと残酷さが入り混じった顔を思い出し、悪寒がした。アレに話し合いが通じる訳がない、平和ボケし過ぎた自分に呆れた。
「天使は一度決めた標的を殺すまで絶対に諦めない。つまり、天使を殺すしか道が無い・・けど、俺が居るから心配ないよ」
「そうですか・・ありがとうございます」
実際、一番の疑問はこの死神だ・・現状、死神が人間を助けるメリットが全く見えない。正義のヒーローで見返りが要らないなど、仮面ライダー的な事は恐らくない。
「死神が人を助ける理由は何ですか?」
「・・何だと思う?」
聞かれる事を想定していたのか、死神は全く動揺していない。
「・・助ける事で油断させておいて、どさくさに紛れて寿命を奪っているとか?」
「・・死神は寿命を奪うのではなく、預けているのです・・人間に」
予想外の返答に、意味を理解出来なかったが黒見はそのまま続けた。
「死神の本来の寿命は一年・・ですが、寿命を迎える前に人間に預ければ、その人間と同じ年数を生きることが出来ます。」
「もしかして、僕に寿命を預けている?」
黒見は、首を縦に振った。
「そして人間が死ぬと、その人間に命を預けていた死神も死ぬ・・ということです」
これで死神が人間を守ることに納得がいった。命を奪うイメージのあった死神が、まさか人間に命を預けているとは予想外だった。それと同時に、死神の命を預かっている人間が天使に狙われやすい、ことがあるのか?という懸念を抱いた。黒見に聞いてみると、分からないけど・・天使と死神は仲が悪い、とだけ返ってきた。どうやら、僕はとんでもない面倒事に巻き込まれているのかもしれない。
翌日、僕は普段通りの生活を歩んでいた。昨日の非現実的な一日は刺激的だったが、それが終わればまた日常が戻る。昨日、あれから黒見は、他の人間を助けに行く、と言い残し家を出て行った。黒見の話によると、命を預けていない人間の命もなるべく助ける掟があるらしく、その掟は遠い昔、最初の人間と死神がきっかけで作られたそうだ。
講義を終えて病院に向かう頃には、時刻は夕方になっていた。脳内が祖母の事で埋め尽くされると、昨日貰ったブレスレットの事を連想した。そのブレスレットが手首に無い事に気がつき冷や汗をかき、ポケットを探しても見当たらない。
絶望してはいるが、脳は冷静だったので心当たりは見つかったので、直ぐに走り出した。恐らく、天使や死神とのゴタゴタに巻き込まれた際に落としたのだろう。
天使による殺人未遂+黒見との逃亡は約5キロにも及んでいた為、かなりの時間周囲をキョロキョロと探していたために不審者だと勘違いされる始末だった。交番を訪ねるも不発に終わり、気付けば時刻は夜の8時を回っていた。普段なら諦めるのだが祖母からの贈り物を諦めるわけにはいかないので、懐中電灯を取りに帰ることにした。
人気のない道を通っていると、天使の不気味な笑顔を思い出して少し怖くなった。
静かな風が微妙に茂みを揺らし、カサカサと聞こえる音によって、より不気味な空間へと移り変わっている気がした。
数分歩くと、道のど真ん中に人影の様なモノが視界に入った。デジャブな気がしたが流石に無いだろう、と吸い寄せられる様に近づいていくと影は巨大になり、僕は目を丸くした。それの手には、祖母がくれたブレスレットと同じ物があった。ただ、似ているだけで自分の物ではない、と思ったので通り過ぎようとすると、そいつは大きな翼を広げた。
「黒見・・?」
恐る恐る確認すると、白い翼・頭上の輪・不気味で美しい顔が見えたので、黒見ではなく天使だと分かった。これが映画のシーンならば、早く逃げろ、と言いたい所だが動けないのだ。不敵な笑みによって身体中を氷漬けにされているのではないか、と錯覚を覚えるほどに動けない。
天使が腕を振りかぶったと思った時、僕は数メートル先の電柱に背中から叩きつけられていた。顔や背中が激痛に襲われ、僕は吹っ飛ばされた事を自覚した。衝撃的な痛みに頭が混乱して吐き気さえも覚えたが、天使が迫ってきている事に気づき、必死に身体を起こして逃走を試みたが今度は地面に叩きつけられた。
それ以降は、数十分に渡って腹や顔を執拗に暴行された。僕を痛めつける事が狙いなのだろう、まだ死なせないように本気で手を出していないように感じた。朦朧とする意識の中で見上げると、残酷なまでに美しい表情でこちらを見下ろしていることが分かった。
「何故、僕を・・ここまで狙う・・?」
天使は、一瞬だけだが間抜けな顔で、ポカーン、とした表情を浮かべた。
「貴方は祖母が好き、でもそれ以上に祖母は貴方が好き・・貴方を殺せば祖母が悲しみに暮れる、その表情を見たいだけなの・・」
「・・お前、友達居ないだろ」
吐き気がする程の下劣な返答に、薄れゆく意識が戻った。天使の中には、己の私情で人間を殺害する者も居ると黒見が言っていたが、僕は、最悪な私情をもつ天使に命を狙われている事を自覚した。けど、理由を知った以上は死ねない。僕は、生まれたての小鹿の様に立ち上があると、天使は少し驚いた反応をしたが、直ぐに元の冷徹な顔に戻った。
「痛めつけすぎて、すみません・・直ぐに楽に致しますね」
「おばあちゃん孝行するまで死ねないんだよ・・!!」
祖母は、老後の資金を削ってまで僕のサポートをしてくれた恩人、恩返しをするまでは死ねない。老後の援助は勿論の事、温泉旅行、ディナー、自宅のバリアフリー化・・様々なプランを用意している。それに、ここまで手塩をかけて育ててくれたのに、天使の気まぐれで死ぬなど不孝以外の何者でもないのだ。
肉弾戦では勝機が皆無なのかもしれないが、それでも行くしかない。
携帯のコールが鳴り響く、恐らく誰かからの着信だろう・・
コールが鳴り止むと同時に殴りかかろうと、天使に突進しようとすると背中をトントン、と叩かれた。
振り返ると、背後には黒見が居た。
「遅れてすまない」
黒いローブは汚れており、何か面倒事に巻き込まれていた事は容易に想像がついた。
「大丈夫? 何かあったの・・?」
「別の天使と交戦していた、恐らくお前に接近できないようにするための刺客だったのだろう・・ってかお前の方が大丈夫か・・?」
生きているから問題ない、と伝えると黒見は、後は任せろ、と言い残して天使の方へ歩いて行った。ゆっくりと天使の方に歩み寄っていると思ったが、いつの間にか天使や僕の目では追えない速度で通り過ぎていた。黒見の手を見ると、巨大な鎌を持っていた。
「回れ右・・」
黒見の声に反応した天使が振り返ると同時に、天使の血しぶきが飛び散った。
恐らくあの大鎌で切られたのだろう、血しぶきを上げた後、天使は地面に倒れた。微かに身体がピクピクと揺れているは、先程まで命が存在していた事を実感させてくれたが、罪悪感にも苛まれた。自分が直接殺した訳ではない・・ただ、目の前で生物が殺されること、しかも、自分が関係している事を踏まえると何とも言えない気持ちになった。
「お前は悪くない、これが生きるという事だ」
僕の考えていることを察したのか、黒見は励ましてくれた。
僕は、その言葉に頷くしかなかった。
少し落ち着いた後に携帯を確認すると、病院からの着信履歴があった。掛けなおすと、祖母の容態が急変している、との連絡を受けたので直ぐに病院に向かった。
病院に到着すると医師からは、今夜が山場です・・傍に居てあげてください、とだけ言われた。僕は抜け殻の様な顔で、祖母の病室に向かった。
祖母の顔が見える位置に腰かけると、祖母がよく書いていた日記の様な物が目に入った。手に取って中身を拝見すると、そこには僕の事について記してあった。
「この前、私が前から行きたかった温泉に行く計画を亮ちゃんが考えてくれていた。早く身体を治して行きたい・・・」
「いつまで生きられるか分からないけど、亮ちゃんが社会人3年目になるまでは見届けたい。嫁さんや子供作る事が幸せとは限らないけど、あの子なりに幸せになっている姿を見届けてから死にたい・・」などが記されていた。
「おばあちゃん・・」
「亮介、来たぞ!」
何が来たのかと顔を上げると、祖母の腹部に羽をバタつかせた天使が座っていたのだ。反射的に退かそうとすると、黒見に制止された。
「駄目だ」
「何で・・!?」
「死神が天使の妨害をするのは、寿命を迎えていない場合の話・・寿命を迎えている場合の妨害行為は禁止とされているんだ」
寿命、という言葉が脳内で何度も繰り返された・・ルールならば仕方がない、本当にそれでいいのだろうか。ルールを順守するのは人間社会でも重要な事、しかし、ルールを守るだけの人生は幸せなのだろうか、後悔は無いのだろうか、そもそも天使の邪魔をしてはいけないなんてルールは人間界のルールなのだろうか。
僕は気が付くと、祖母の腹部に居た天使を勢いよくぶっ飛ばしていた。
勢いよく吹き飛んだ天使は目を丸くすると、驚きのあまりか急いで何処かへ飛んで行った。
僕が完全に禁忌に触れた事は、黒見の表情を見れば一目瞭然だった。
「亮介、お前・・」
「寿命なんて誰が決めたの、誰の都合なの?」
「それは天使が・・」
「ここは人間界、天使の都合は関係ない。僕の祖母がまだ生きたいと思っている、生かす理由はそれで充分だよ」
黒見は、岩綿蒼白で少し頭を抱えていた。
「とんでもない面倒事に巻き込まれたな・・」
「それはお互い様でしょう」
先程まで少し苦しそうだった祖母の顔は、落ち着いた顔になっていた。
禁忌を破った亮介、それに自身の命を預けている黒見・・両者、特に亮介には厳しい試練が待ち受けている。それでも、その選択をしたのは自分であり、自分が自分らしく生きられるようにする為にした選択である。人生において選択をしている全ての者に幸あれ。