雨女が高じて婚約破棄されたと思ったら異教徒に拐われました。えっ、砂漠の国の王子様なんですか?
タイトルは風風風虱さまから提供して頂きました。
今日も雨。
クリューは窓の外を見て、ため息を吐いた。
きめの細かい肌を包むのは、白と薄紫のドレス。髪は絹糸を青で美しく染め上げたよう。ピンクの唇はみずみずしい。長いまつ毛も髪と同じ色。
水の女神の化身とうたわれる彼女には、悲しいほどため息が似合っていた。
「悪いがクリュー。君との婚約は破棄させてもらう」
「はい」
クリューはうつむいた。青い前髪がさらりと落ちる。
また駄目だった。
クリューの前に腰かける男も、叩くように窓を濡らし続ける雨を眺めてため息を吐いた。
季節は夏。もちろん雨季ではない。それなのにこの領地では、十日に渡って雨続きだった。
「これ以上雨が降り続いたら困るなんてものじゃない」
「そうですね」
「いくつか川の氾濫と、土砂崩れの報告も上がっているんだ」
「……そうですか」
しとどに降る雨は男爵の屋敷の庭に小さな川を作っている。男が机に肘をついた片手で額を押さえた。
「『雨女』なんて迷信だと思っていた」
「そう思いますよね」
「噂はおおげさなものだとばかり」
「分かります」
男の気持ちはよく分かる。普通は『雨女』なんて、たまたまイベントの時に雨が降ることが多いだけの人、くらいにしか思わない。
「まさか君がいる十日間、一度も晴れないなんて」
「そうですね」
クリューは小さくなって頷いた。
貴族の結婚は、一般的に婚約と結婚の二段階で進められる。社会的契約としての婚約を経て、適齢期になれば子を成す結婚へと進む。婚約が決まった時点で相手の家で暮らすのが一般的で、クリューも例にもれず男爵家で暮らし始めて十日になる。
今回は迷信なんて気にしない、ぜひ来てくれと言ってくれたものだから、ちょっとはしゃぎすぎてしまったらしい。男爵も男爵夫人も優しかったし、婚約相手の子息も朗らかな人だった。今度こそいける! とつい舞い上がったのがいけなかった。
おかげでいつもより雨が大盤振る舞いになった。なんでだよ。
「婚約破棄をお受けします。短い間でしたが、お世話になりました」
なんとも申し訳なさそうな男爵と男爵夫人、子息に頭を下げて、クリューは男爵領からお暇した。
「はあぁ」
帰りの馬車の中。何度も隠しきれないというか、隠そうともしない溜め息が漏れる。
雨の降っていた男爵領からさらに二つの領地を抜けた。途中前方は明るかったはずなのに、どの領地も雨。
「しかも後ろは晴れている」
きつく結い上げすぎて引っ張られる髪を、独りなのをいいことにほどいた。馬車の窓に行儀悪く手を頬をぴたりとつけると、まつ毛がガラスに当たる。構わずに後方を覗けば青空が見える。クリューがいた時は雨だったのに。
「帰っても困らせるだけなんでしょうね」
もう一つ領地を越えた先にある、懐かしの我が家の方角を眺める。明るい。けれどクリューが帰ればきっとどんよりと暗くなる。今から気が重い。
はあ、とまたもや溜め息を落とせば、窓ガラスが曇った。冷たいガラスから離れて座り直すと、湿気でほどいた長い髪が頬や首筋にまとわりついて鬱陶しい。
「もうどうせ結婚出来ないんなら、切ってやろうかしら」
クリューは自分の髪を束にして掴み、笑った。公爵家に戻ったところで迷惑に思われるだけ。流石にもう他家に嫁がせるのは諦めて、一生幽閉というところか。
せっかくの王家に連なる公爵という血筋も、雨女という災厄が台無しにしてしまう。流行にのって伸ばしている髪も、美しく着飾るのも、全て未来の婚約者へのアピール。婚約話がこない、きても破棄されるクリューにそんなもの必要だろうか。
「うん。要らない」
雨を思わせるような色あいの髪なんて、なおさら要らない。長いせいで視界に入るから、その度に憂鬱になるのだ。この際、バッサリ切ってやろう。
「ねえ。悪いけど、ハサミを持っていないかしら」
そう結論づけて、外にいる従者に声をかけた。
「ハサミですか?」
従者の困惑の声の後、馬車が止まる。しばらくして扉が開いた。
クリューの気持ちが少し落ち着いたからか、雨は小降りになっていた。
「裁縫用のハサミならありますが」
侍女の一人が、手のひらより小さなハサミを差し出した。裁縫用といっても、携帯できる小さなものしか持ち合わせていないらしい。これでは髪の毛を切るのは無理だ。
「ごめんなさい。私が欲しかったのはもっと大きなハサミなの。次の町に入ったら調達してもらえるかしら」
「はあ」
「お困り、デスか。女神サマ」
顔を見合わせる従者たちの後ろの木から、背の高い男が現れた。頭にたっぷりとした布を巻き、口元から首も覆っている。身を包むのは、見慣れないゆったりとした長い衣装。露出しているのは浅黒い肌の手首から先と切れ長の目元だけだが、その瞳は神秘的な金色だった。
「女神様?」
クリューは不機嫌に聞き返した。婚約破棄されたばかりの男爵領ならまだしも、実家の公爵領とも離れたこの場所でさえ、『雨女』『水の女神』の噂を出されるなんて。
「えーと、この国の人じゃないですよね? どうして『雨女』の私がここにいると知っているのです?」
たまたま婚約破棄されて、公爵領に戻る最中なのだ。しかもおそらく男は別の国の人間。
異国の人間は、珍しいが時々やって来る。商人や劇団、大道芸人、吟遊詩人、異教の宣教師などだ。
「オー、やはり女神サマ。姿、拝見するのはハジめて。ワタシの女神様はトテモ美しい」
「は?」
嬉しそうに腕を広げた男が、地面に膝を着いた。盗賊では、と警戒していた護衛騎士たちが、毒気を抜かれてクリューに戸惑いの視線を送る。
いや、そんな風に見られてもクリューとて分からない。
「失礼しまシタ。ワタシは雨の女神をあがめてイマス。神託ウケて来まシタ」
「雨の女神。神託」
どうやら男は異教の宣教師のようだ。
それにしても雨の女神信仰なんて、そんなものがこの国にもあったら、婚約破棄なんてされなかったのに。
「ずっと、探してマシタ。遅くなってスミマセン」
「神託があったのでは」
「場所、分かりませんデシタ」
クリューの突っ込みをさらりと流した男が、目元だけでにこりと笑った。金の瞳が綺麗に陽光を反射する。
陽光?
違和感を覚えてクリューは空を見上げた。
「……うそ。晴れてる」
いつの間にか、青空が広がっていた。
「信じられない」
大人しく家の中にこもっている時なら、晴れるのは分かる。けれど今は外にいる。生まれてこのかた、クリューが外に出掛けているときに晴れた日はなかった。
完全な晴れは長続きしなかった。晴れたまま、さあっと霧のような雨が降ってくる。
「雨……」
空から視線を下ろせば、目の前で膝まづく男が、先程のクリューとおなじように空を仰いで感激していた。違うのは、晴れに驚いたクリューに対し、男は雨に感銘を受けていること。
「貴方、もしかして」
「アア、ホントに、伝説トウりデス」
男の金色の瞳が潤んで光った。笑っているような、泣き出す寸前のような。そんな瞳に、クリューは魅入られた。視線を離せなくなる。
きっとクリューも、男と同じような表情をしている。だって今のクリューは泣きたいような気持で笑っている。
男の浅黒い手が、差し出された。吸い込まれるように、手を重ねた。
「迎えに来まシタ。女神サマ」
「迎えに……? ひゃっ」
重ねた手をぐい、と引かれたと思ったら、次の瞬間男に抱えられていた。
「うそっ」
男が木陰に隠していたらしい、馬ではない動物の背にクリューごとひらりと飛び乗る。あっけにとられた護衛と侍従たちが、ぐんぐんと遠ざかっていった。
「え? えっ? えええ」
急な展開に思考が追いつかないけれど。
誘拐。多分、誘拐されている。
「一体何なのー!」
心からの叫びと共に、クリューは異教徒?に拐われた。
異教徒、もとい誘拐犯、もといサーフィは、ラムル国の王子様でした。
「これが砂漠」
短くなった髪とドレスを脱いで軽くなった体を、サーフィと同じ衣装で包んだクリューは、辺りを見渡した。
金色の砂が遥か向こうにまで広がっている。容赦ない太陽の光が砂を焼いていた。
「すごい。太陽がまぶしい」
祖国を抜けていくにつれ、緑が減り土が露出し、ついに砂地になった。
サーフィにさらわれて一緒にいるようになってから、外でも晴れを体験できるようになったけれど。刺さるような日差しが珍しくて、嬉しい。心が浮き立つ。
「あ」
しまった。つい興奮してしまった。クリューの気持ちに反応して、空に雲が湧き立つ。太陽を隠した雲はもくもくと成長し、重たい灰色になった。
ぽつぽつと雨が降り始める。ぱさりと頭と顔を覆っていた布を払い、視線を落として溜め息を吐く。
「アア、雨ダ」
クリューの横で、嬉しそうにサーフィが目を細めた。くいっと顔を覆っていた布を引き下げると、シャープなラインを描く顎と漆黒の髪が覗く。
「私は晴れた砂漠が見たかったのに」
「それはこれカラ嫌というホド、見える。ワタシの女神サマ」
「もう。その女神様っていうのやめてよ。私と貴方は同じでしょう。ただ、体質が正反対なだけで」
サーフィの体質はクリューの反対で『晴れ男』だ。しかし砂漠で晴天続きは嫌われる。王子だというのにサーフィがいればオアシスも枯れると、国を追い出されたらしい。
「女神サマだよ。ただし、ワタシだけの」
恭しくクリューの手を取り、口づけた。
「国には戻らなくていいのね」
「アア。クリューも戻らないのダロ」
『雨女』のクリューを連れて戻れば大歓迎を受ける。サーフィも王子として認められるだろう。クリューだってサーフィを連れて戻れば、普通の令嬢として過ごせる。しかし、戻りたいと思えるような扱いは、二人とも受けてこなかった。
「ええ。戻らないわ、私だけの王子様」
白馬の王子様というのが、女の子の幻想で憧れであるけれど、クリューにとってサーフィはその王子様だった。サーフィにとってクリューが女神サマであるのと同じで。
「クリュー」
とろけるように甘い笑顔と声でサーフィがクリューを呼ぶ。眩しい光に引き寄せられる蝶のようにクリューはサーフィの胸に飛び込んだ。
「ア」
今度はサーフィの方がクリュー以上に心を浮き立たせたらしい
雲が千切れ、ぎらつく太陽が顔を出す。雨の残滓を陽光が捕まえ、七色のアーチを作った。
「ふふ」
「ハハハ」
布を被りなおした二人は、おかしくて笑い合い、手を繋いだ。
この後、砂漠に最大のオアシスが現れ。同時に最大の国が出来上がった。晴れの男神と雨の女神の二柱の神が仲良く祀られたその国は、今も隆盛を誇っている。




