業務命令
「うむ、そうしてくれると私としてもありがたい。
それでは、残りの時間目一杯、獅子谷君と楽しんできてくれ。」
「獅子谷」という言葉が耳に入った瞬間、美月は少し顔が赤らみ、一瞬ときめいた。
「それではまた、支部で会おう。」
「は…はい…。」
美月の返事を聞くなり、尾上は電話を切った。
通話終了音が耳に鳴り響く事を理解すると美月は携帯電話をポケットにしまう。
そして、後ろの方で控えている昇太郎の方へ向いてそのまま近付いていった。
昇太郎の様子を一目見ると、先程焼いていた山兎の肉を食べてしまったようで、木の枝に刺さっていた肉はすっかりなくなっていた。
物憂げな表情で佇んでいた昇太郎だったが、美月が近付いてくると笑顔で出迎えた。
「あっ、美月さん電話終わったんですか?」
「ええ、そうね。
仕事の完遂報告とそれについての過程報告をしただけ。」
(普通…そう普通よ。
支部長から言われた言葉をそのまま何も改変せずに伝えればいいだけ。
一言一句真似てそのまま伝えれば何もダメージは受けない。
いつも通りの冷静然とした立ち振る舞いでいればいいわ。)
そう心中で自身を鼓舞するとすぐに冷静とした面持ちで昇太郎に声をかけた。
「昇太郎、私達思ったよりも早く仕事が終わったじゃない?」
「えっ?
はぁ…それは美月さんがいたからじゃないですか?
そもそも、どこら辺から『仕事が早い』という基準なのかが全く分からないので何とも言えないです。」
「実はこの仕事、支部長の想定としては夕方頃までかかる予定だったのよ。
それをこっちに来て早々、30分で済ませてしまったから時間がかなり余ってしまったの。
その上、軍資金としてお金を支給されていたんだけど、そのお金も使う余地がないくらい早めに終わらせてしまったから想定外の中の想定外で支部長いつもよりかなり驚いているの。
それに、このお金は勿論決裁を入れた上での物だから支部の経理部としては何も使わないというのは困るし、何よりも私達がかなり怪しまれてしまうわ。」
「はぁ…えと、つまりどういう事ですか?」
美月は極めて冷静沈着な表情でその恥ずかしさに満ち満ちた言葉を昇太郎に喋った。
「支部長からの業務命令。
私と一緒に洋前で遊び歩いて。」
「えっ…!?
え、えっえぇぇぇえええ………!!!」
その歓喜にも困惑にも聞こえた絶叫は雑木林の中で響き渡り、木々に止まっていた小鳥達は次々に驚いて飛び立ってしまった。
その後は美月は依然冷静な表情のまま、昇太郎は状況を全く理解出来てない間抜けな表情で雑木林を抜けていった---




