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 俺は、小林のアパートで冷やし中華を食べている。


 小林にまた夕食に誘われたからだ。タッパーを返すためにも会わなきゃいけなかった訳だし、この蒸し暑い時期に冷やし中華を食べない理由はない。しかも、ただの冷やし中華ではない。手巻き寿司みたいに、大きな皿の上には錦糸玉子、きゅうり、ハム、大葉、海苔、ナスの煮浸し、もやし(ひげ根は取り除かれている)、トマト、カニかまぼこ、白髪ネギ、キクラゲ、メンマと非常に種類豊富に盛り付けられている。大体の食材が細切りにされていて、見た目も綺麗だ。タレも、醤油ダレとゴマダレの二種類に、好みで使えるラー油、七味唐辛子の小瓶もある。これだけの準備をするのは大変だっただろうと、料理をしない俺でも容易に想像できる。赤いギンガムチェックのエプロン姿に、麦茶とコーヒー牛乳(もど)きをお盆に乗せた小林が「何だかパーティーみたいで楽しいですね」とキッチンからやって来た。こんなにたくさん色とりどりの食材を目の前にして、おそらく表情には出てないと思うが、俺の心も踊っている。

「今、中華麺も持って来ますからね」

再びキッチンに消える小林。おやつを前に出されてお預けされている犬の気分が今なら分かる気がする。

 中華麺も用意され、それぞれ好きな物をトッピングしていく。俺は錦糸玉子、きゅうり、ハム、大葉、カニかまぼこに醤油ダレをかける。小林も好きなものをトッピングしている。全体を混ぜて、思いきり(すす)る。暑い季節にはピッタリだ。小林は上品に(すす)らず食べている。


 小林に会うまで、俺は何回も葛藤した。男とチューをしてしまった、汚い事実。しかし、小林とのチューで興奮した俺。俺自身ももしかするとゲイなのかという不安。今まで好きな女性と出会わなかっただけだと言い聞かせる。たまたま、小林とのチューが相性よく感じただけ。たまたま。

 俺の部屋の机に置いてあるタッパーを眺めては、小林の唇を思い出して高揚し、何度も俺自身を軽蔑した。

 このままでは精神衛生上よくないと思いつつも、小林に自分からメールする勇気などあるわけもなく、ただ時間が過ぎていった。だから小林から『冷やし中華食べませんか?』とメールが来た時は、目の前の霧が晴れたように喜んだ。タッパーを返せば、こんなふうに小林を思い出すこともなくなるはずだ、と期待した。小林と会った瞬間にタッパーを返し、肩の荷が下りた気がした。と同時に、物寂しさも覚えた。


 小林が上品に冷やし中華を食べている姿を見て、小林の唇の感触を思い出す。口の中に入っていく中華麺が歯でプチプチと噛みちぎられている。何でもない、ただ食事をしているだけなのに、その動き一つ一つが妖艶に見える。俺はどうなってしまったんだろう。ぼんやりと頭ではそんなことを考えつつも、小林から目が離せないでいた。

「ん?僕、なんか顔についてますか?」

キョトンとした顔で小林が聞いてくる。カマトトぶったり、いやらしい感じは無く、純粋な質問だった。

「いや…」

俺は自分の冷やし中華に視線を落とす。ごまかすように、ごちゃ混ぜになったそれを(すす)る。

「康幸さん」

一呼吸置いて、小林が俺の名前を呼ぶ。

「来週の日曜日、ウチの地区で花火大会があるじゃないですか。もしよかったら、一緒に行きませんか?」

「ごちゃごちゃしたの好きじゃないし、行かない」

「そんなぁー…」

小林は唇を尖らせて下を向く。子供じみた態度が可愛らしく見える。小林は何かを閃いたように顔を上げて、

「屋台で、りんご飴とかわたがしとかかき氷とか食べたくないですか?」と言ってきた。

「甘いもんばっかりだな」

「うぅ。そしたらそしたら、たこ焼きとかお好み焼きとか焼きそばとか!」

どんどん前のめりになって顔が近付いてくる。こんなに近付いて来られると、変な拍子にチューしてしまうんじゃないかと焦る。「分かった分かった。じゃあ行くから」と両手で小林の顔の前にバリアを張って、ついそう言ってしまった。

「ホントですか??ヤッターーー!!!」

小林は両手を上げて喜んでいるが、俺は花火大会に行くと言ってしまったことを後悔した。小林が変に近付いて来なければ、俺は冷静に断れていたはずだ。たぶん。



 日曜日。憂鬱な気分で十五時過ぎに起床する。テレビゲームを二十三時頃から朝四時くらいまでやり続けていたせいか、体も重い気がする。約束の時間は、小林の最寄り駅に十七時。急ぐほどではないが、今から支度をしないと間に合わない。シャワーを浴びて、母が冷蔵庫に残しておいてくれたサンドウィッチを食べる。花火大会で屋台飯を食べることを考えると、サンドウィッチはちょうどよく小腹を満たせるのでありがたい。アイスコーヒーと共にレタスとシーチキンのサンド、玉子サンドを食べ、歯を磨き、財布と携帯を持って家を出る。

 予想より大分時間に余裕を持って駅に着いた。周りには、浴衣姿の女性や甚平の男や浮かれた人達がどんどん数を増やしていく。冷めた目でそれを見ながら、駅の近くにあるカフェで時間を潰す。カフェも人で溢れていて少し吐き気がした。早く小林が来ないものかと待ちわびる。

 アイスカフェオレをちびちびちび飲みながら、携帯を見る。十七時まで、まだ後二十分くらいある。きっと小林は時間通りか、早くても五分前くらいに来るだろう。もしくは遅刻して来るか。遅刻だけは勘弁してほしいものだ。

 カランカランと、カフェの扉が開く。入って来たのはまさかの小林だった。しかも真っ白な浴衣姿だ。こんな目立つ格好をした奴と一緒に行動するのかと思うと少し恥ずかしいが、小林の美形な顔に白の浴衣が映えていてモデルのようだ。他の女性客達も小林のことをチラチラと見ては、目がうっとりしている。小林は辺りを一度見渡して、俺を見つけると発狂したように

「えーーーー!何で康幸さんここにいるんですか??」

と近寄って来る。大声で俺の名前を呼ばないでくれ。ずっと見ていた女性客達も、俺と小林を交互に見てくる。穴があったら入りたい。小林は小走りするように俺の元に来る。生憎、俺が座っているカウンター席は満席で小林が座るスペースは無い。

「え?絶対康幸さんは早めに来てると思いましたけど、まさかここで会えるなんて!すっごい偶然ですね?」

「時間潰せそうで改札の近くって、ここのカフェくらいだから、そんな偶然でもないだろ」

「そうですか??でも、チョー嬉しいです!」

小林が笑うと、ベリーの香りが鼻をくすぐる。店員が気を利かせて、空いていたテーブル席に俺と小林を案内してくれた。

 小林は、注文したメロンクリームソーダのアイスを長いスプーンで器用に掬いながら、「いつからここに居たんですか?」と聞いてくる。

「十六時三十分頃には居たな」

小林が予想より早く来てくれて助かった。

「かなり早くから来てたんですね。僕、この日の為に浴衣買っちゃったんですけど、似合ってますかね?」

「あ…ああ」

似合ってはいるが、浴衣姿の男なんてあんまりいないわけで、その隣を一緒に歩けば絶対に注目されるだろう。しかも整った顔立ちで、立ち居振る舞いも綺麗。それが誇らしくもあり恥ずかしくもある。

「これ、食べ終わったら屋台見に行きましょうね」

小林はさくらんぼを口に放り込み、ストローでメロンクリームソーダをゴクゴク飲んだ。俺は飲み終えたアイスカフェオレをぼんやりと見つめた。汗をかきながら屋台飯を食べ花火を見ることの楽しさよりも、人混みに揉まれる方が何倍も苦痛だ。あぁ、億劫だ…。

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