表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/21

 んー。まあ日本酒の味だな、くらいにしか思わない。やはり俺は日本酒にこだわりがないのだと改めて思う。日本酒も美味しいとは思うが、ビールやチューハイとかの方がいい。

「康幸さん、あんまり日本酒は好きじゃない感じですか?」

俺は浮かない顔でもしていたのかもしれない。心配そうに俺を見てくる。

「や、嫌いじゃないけど、小林みたいに感動しないってだけ」

「そうですか。康幸さんは、日本酒よりワインとかの方が合うのかもしれませんね」

ワインか。そもそも俺はそこまでお酒が好きなわけではない。月に一回くらい、一杯のビールで満足できる。それよりも、この料理達を早く食べたい。箸を取り、手前にある鶏皮ポン酢をいただく。鶏皮のパリパリと生の玉ねぎのシャキシャキとした歯応えとポン酢の酸っぱさが堪らない。意識を強く持たないと、そのまま完食してしまう中毒性がある。獺祭を口に運び、一呼吸する。久しぶりのお酒だ。もう酔いが少し回ってきている気がする。次はジャガイモとイカの塩辛の炒め物にしよう。ジャガイモが塩辛の主張を優しく包み込むように、塩辛単体で食べるよりも食べやすい。ニンニクやバターも効いていて、日本酒をキュッとやりたくなってしまう。そんなに強くないのに、もうコップの半分以上を飲んでしまっている。

「イカの塩辛って、実は二日酔いにもいいし日本酒とも相性抜群なので、康幸さんが日本酒を持って来てくれるって聞いた時、真っ先に塩辛が頭に浮かびました」

「へぇ。二日酔いにいいの?」

「はい!タウリンって成分が肝機能を助けてくれる働きがあるので、アルコールの分解に役立つらしいです。美味しいし、二日酔いにもいいなんて最高過ぎませんか?」

「あ、あぁ」不意に小林から同意を求められて、歯切れの悪い返事をしてしまった。小林は特に気にすることなく、獺祭を堪能しながら飲んでいるが、もう一杯目の獺祭を飲み干そうとしていた。おい、ペース早過ぎないか。グビグビ飲めるようなものじゃないぞ。しかし、小林はケロっとした顔で

「いや〜美味しくて、もう一杯目飲んじゃいました。おかわり、いただきますね?」と言い、獺祭をコップに注ぐ。俺は、後で小林が酔い潰れないか多少不安になりつつ、ナスとミョウガの和え物をつまむ。口いっぱいに広がるカツオ節の旨味とゴマ油の香り。これはおそらく昆布茶も入っているだろう。味に奥行きがある。俺がナスの味噌汁が好きと言ったから、今回もナスを使った料理を作ってくれたんだろうなと思うと、小林に愛嬌を感じる。小林と目が合い、ニコッと笑顔を返される。俺はどう反応していいか分からず、下を向く。下を向くと、酔いが回っていくような気がして天井を見上げる。そこで犬のクッションのことを思い出す。名前、何だったっけな…。辺りを見渡すと、ベッドの上にぷっくり太ったあのクッションがちょこんと座っていた。俺の目線に気が付いた小林は

「あ、ジョン君、復活しましたよ」と笑った。

「あぁ。よかった」

よかった。ちゃんと直って。今まで忘れてしまっていたが、あの時の小林の表情は鮮明に思い出せる。無理して笑ったような表情。思い出して、胸がきゅっと痛む。

 コンッ。

 急に小林が、俺のコップに自分のコップを当ててきた。

「ふふぅん。康幸さん、乾杯!梅雨みたいな顔してないで、楽しく飲みましょっ!もう梅雨は明けましたよ?」

「あ…あぁ」

言われるがままコップを手に取り、残り僅かな獺祭を飲み干した。それを見て小林も獺祭を(あお)る。

「うん。美味しいですね〜」

ニタァと笑う小林。おいおい、酔っ払ってきたんじゃないか。酔っ払いの面倒なんてごめんだぞ。小林はおかわりを飲もうと、獺祭の入った一升瓶に手をかける。

「康幸さんも、おかわり飲みますよね?」と言いながら、俺のコップを取っている。どうやら選択肢は無いようだ。なみなみと獺祭を注がれ、俺自身が酔い潰れないよう気を付けようと心の片隅で思う。小林も、自分のコップに獺祭を注いで満足げだ。

 俺は、まだ手をつけていない一口サイズの揚げ物を口に運ぶ。サクッと心地良い食感と、衣に粉チーズとパセリが入っているようで風味も最高だ。揚げ物の正体は、鶏肉だった。鶏皮と鶏肉で二品作っていたのか。小林の工夫を凝らした品々には脱帽だ。

「今回の料理の中で、何が一番よかったですか?」

顎に手を当てて、小林が聞いてくる。俺が全部の料理に手をつけるのをちゃんと見ていたのか。てことは、まだ酔っ払ってないのか?少しゾッとする。しかし、どれもこれもいい塩梅に仕上がっていて、全て美味しかった。一番とは、なかなか決めがたいが…。

「…鶏皮かな」

「ホントですか?!絶対ナスだと思ったのにぃ〜」

きっと小林の中では、俺はペペロンチーノやナス料理が大好き人間になっているのだろう。

「はぁ〜。ニヤけてる顔も、知的でクールでイケメンですよね〜」漏らすようにつぶやく小林。

「…」

「竹野内豊みたいに渋くてイイ声で、切れ長の目に細長いメガネも似合ってますし…。初めて会った時から、イケメンだなって思ってましたよ」

小林は獺祭をゴクッと飲んで、コップを握ったまま続ける。

「康幸さんって奥手っぽそうですけど、…チューしたことあるんですか?」

「ない」

「そしたら、僕としてみます?チュー。ハチミツ味のリップつけてるので少し甘いと思いますよ、僕の唇」

小林とチュー。男とチュー。しかもハチミツ味って…。何だそれ。しかし、小林はゆっくりと目を閉じて唇を差し出している。プルプルのハチミツ味の唇を。気持ちよさそうな小林の唇に、俺の心臓が早鐘を打つ。ベリー系の甘い香りに誘われたのか、アルコールの力で大胆な行動ができてしまったのか…。あれこれ深く考えるより先に、俺は身を乗り出して小林にチューをしていた。男に。


 初めてのチューは、柔らかくて酒臭くて、ほんのりハチミツ味だった。そして後から滝のように溢れ出す罪悪感。男とチューをしてしまったという後悔。負の感情にさいなまれ、誤魔化すように酒を飲む。ゆっくりと目を開けた小林は、俺の表情を察したのか無言だった。しばらくお互い無言のまま、酒を飲み、料理を食べた。ほとんど食べ終わった頃に小林が言った。

「康幸さん。僕は、今後も康幸さんが感動するような料理を作っていくので、また食べに来てほしいです。今日は獺祭を持って来てくださって本当にありがとうございました」

俺は返事はせず、鶏皮をつまんだ。


 帰りは、小林に見送りしてもらうことなく、一人で帰った。帰る間際に、小林からタッパーを渡され、「今日の夕食で余った鶏皮入れておいたので、よかったらお家で食べてください」と言われた。無言で受け取ったが、嬉しさよりも、これ後でタッパー返さないといけないの面倒だなと思った。それなら最初から受け取らなければいいじゃないかって言われそうだか、懸命にタッパーに鶏皮を詰めている小林の後ろ姿を見て、そんなことはできなかった。

 家に帰り、母に鶏皮の入ったタッパーを渡す。

「あら、いただいてきたの?」

「あぁ。食べていいよ」

「いいの?そしたら、お父さんといただくわね」

母は嬉しそうにタッパーを開けて、お皿に移し替えだした。父はテレビでニュースを見ていた。手元には、獺祭と個包装されたミックスナッツが置かれていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] チューしたー!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ