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 真っ暗な自分の部屋に明かりを点ける。本やゲーム機など綺麗に整頓されている。父の言葉が頭の中で反芻する。父は、いつも正しいことを言ってくるので反論など出来ないが、俺は憤懣(ふんまん)やるかたない。反論したところで正論で返され、行き場の無いもどかしさが増強され、俺の精神を蝕むのみだ。

 俺が、父に反抗的な態度をとったことは一度も無い。父は、新聞を静かに読んでいたり、将棋のテレビ番組を黙って見ているような男で、普段寡黙な人物が怒る時の衝撃は一入(ひとしお)だ。俺が五、六歳の頃、青椒肉絲のピーマンが嫌で、床に一つ一つ並べて遊んでいた。それに気付いた父は、火山が噴火したように

「食べ物で遊ぶんじゃない!」

と怒号を発した。

 俺は、突然のことにビービー泣いた。最初は父の言っている意味も分からず、父がとんでもなく怒ったことが怖かった。母も父の怒号に動転したが、泣いている俺を優しく抱きしめて

「ビックリしたねー。でも、ピーマンを床に置いたりしたら、ピーマンさん可哀想だよねー」

と、あやした。その一件以来、俺は食べ物で遊ぶような事はしなくなった。父の逆鱗に触れるのが怖いからだ。

 幼い頃から、父イコール怖い、という形が出来上がっていて、今でも俺の中では、父は取っ付きにくい存在だ。


 テレビゲームの電源を入れる。ストレスの発散はゲームに限る。今俺がハマっているのは、シューティングゲームだ。敵を倒す爽快感がたまらない。父もゲームみたいに倒せればいいのに、と子供じみたことを考える。そんな自分を嘲笑う。

 俺はまた寝落ちしていたらしい。画面にデカデカとゲームオーバーと表示されている。母の声が遠くから聞こえてくる。

「康幸ー!そろそろ起きないと、大学遅刻するわよー」今何時だ?

時計を見る。七時五十六分。あー。そんなに寝てたのか、俺。重ったるい体を起こし、部屋を出る。キッチンから良い匂いが立ち込める。母が、俺の為に朝食を温め直していた。父は、大体毎朝七時過ぎには家を出ているため、もう居なかった。少しほっとした。


 テーブルの上には、ご飯、焼き海苔、目玉焼き、ウィンナー、焼き鮭の切り身、納豆、きゅうりの浅漬け、そしてナスの味噌汁。俺の好物のナスの味噌汁を用意してくれたのは、母なりの気遣いだろうか。実は、昨日の夜もナスの味噌汁を食べたなど、母は知る由もない。まぁ、好物は何度食べても飽きないし、俺は嬉しい。

 沈殿している味噌を均一にするため、箸をくぐらす。ズズズっと啜ると、ほんのり甘い優しい香りが広がる。母の味噌汁には玉ねぎと彩りに青ネギが入っていて、玉ねぎが甘みを引き立たせている。ナスの食感と玉ねぎの食感が飽きさせない。いつもの味だ。安心する。

「康幸、今日はホット?アイス?」キッチンから母が訊ねてくる。

「アイス」

俺はきゅうりの浅漬けを飲み込んで答えた。ご飯を海苔で包んで口の中へ放り込む。続いて納豆を。鮭は皮ごと食べる。んー美味い!朝から精力が出る。母が、良いタイミングでアイスコーヒーをテーブルに置く。すぐさま手に取り、喉に流し込む。

「最近は、アイスばっかりね」

「暑いから」

毎朝、母は俺にホットかアイスかを訊ねてくる。大学に入ったくらいから朝はコーヒーを飲んでいるが、その日の気分でホットにしたり、アイスにしたりしていたため、事前に聞いてくれるようになった。当たり前のように種類豊富な朝食とコーヒーを出してくれる母。昨日、父から言われた言葉を思い出す。俺は、今まで「いただきます」や「ありがとう」など言ったことは無かった気がする。朝食が出て来て当然だと思っていた。母に、少し悪かったなと思う。

 半熟のトロっとした目玉焼きとパリパリのウインナーも食べ終え、幸福感に満たされる。最高の朝食だった。

「ご馳走様」

いつぶりだろうか。俺が「ご馳走様」なんて言うのは。照れくさくなって、頭を掻く。母もやはり驚いたようで、昨日「夕食は要らない」と伝えた時と同じように目をまん丸にし、そのまま暫く動けないでいた。そんなに驚かれてしまうと、逆に俺に失礼じゃないかとさえ思えてくる。まあ、日頃の俺の行いが、母の態度となって現れているのだろう。

「母さん?」

「…え?あ、ごめんなさい!何だか、ちょっと感動しちゃって…」

ポケットから、レースで(あしら)われたハンカチを取り出して目元に当てた。どうしたらいいのか分からず、今度は俺が動けなくなった。まるで太いロープでぐるぐるに拘束されてしまったようだ。母ははっとしたように

「康幸、時間大丈夫なの?」と言い、俺が食べ終えた空の食器を片付けだした。ロープの紐が解かれたように、俺は動けるようになった。洗面台で歯を磨く。ぴょこんと寝癖がついているが、直すのも面倒だし気にしない。いつも大学に持って行くリュックを背負い、家を出る。カラッと晴れた日差しに目を細める。今日も小林に会えるだろうか。足取りは軽い。



 午前の退屈な授業を終え、お昼ご飯はどうしようかと考える。いつも母の弁当を食べているのだが、朝、取り忘れてしまった。母は、弁当を冷蔵庫に置いていてくれて、それを俺が保冷剤と一緒にしてリュックに入れているのだか、今までも数回忘れたことがある。忘れた日は夜に弁当を食べていて、小林にペペロンチーノを作ってもらった日も、母の弁当は夜に食べた。

 大学の学食は、安くてボリュームがあるが、母や小林の料理に比べると見劣りしてしまう。しかし、大学から出て飲食店を探すのも億劫だ。外に出る面倒の方が勝ち、結局学食を食べることに決め、廊下を歩く。ふと、窓の外に目を向けると見慣れた二人組を発見する。ペペロンチーノを食べた、あの中庭のベンチに小林は深く座り、両手で顔を覆っている。両足は綺麗に揃い、足先は内股だ。落ち込んでいるように見えるが、落ち込む様もオカマみたいだなと右側だけ口角を上げて笑う。カナエはベンチに座らず、小林の隣で立っている。少し呆れたように首を振っている。何を話しているのだろうか。しばらく見ていると、カナエは小林から視線を外し、辺りを見渡しだした。見つかる、と思ったのも束の間、カナエに捉えられる。わざとらしく溜息をついてみせたかと思うと、左手をまっすぐに伸ばし人差し指で手招きをしてきた。この女、何様か?と(かん)に障ったが、小林のことも気になったため、中庭に行くことにした。


 中庭に着くと、カナエが

「ほら、ともちゃん、康幸さん来たよ。うじうじしてないで直接聞きなよ」

と小林の肩を叩いた。小林は、両手をパッと離し、

「え?嘘?どこ?あ?!いた!!!」

と立ち上がった。先程まで負のオーラ全開だったのが、今では小林の周りにはお花畑が見える気がする。切り替わりの速さに笑えてくる。

「えーーー…。でも、康幸さんに直接なんて聞けないし、怖いからカナエが聞いてよ」

小林は、カナエの後ろに立ち、陰からチラチラとこちらを見てくる。不愉快だ。しかし、俺に聞くこととは、何だろうか。

「めんどくさっ。まーいいわ、康幸さん。単刀直入に聞くけど、あんた、ともちゃんのメール無視してんの?」

「は?メール?」

「そ。メール。ペペロンチーノの時に、アドレス交換してたでしょ?」

そういえば交換していた。普段父や母とはメールや電話することもないので、まず見ない。小林からメールが来ていたことも知らない。携帯を開く。メールが二通来ていた。

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