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「今日からお世話になります、瀬野優太です。よろしくお願いします。」
光が当たると少し茶色に見えるふわっとしたパーマヘアーに、クリっとした目。中肉中背で清潔感があり、犬みたいに人懐っこそうな顔立ち。可愛い。心の中でつぶやいた言葉に自分で驚く。俺は、やはり男にしかドキドキしないのか…?小林と別れてから付き合った人はいないし、良いなと思うような人とも出会わなかった。だが、今回は、瀬野を一目見た瞬間から、俺の中の何かが騒ぐ。
「じゃあ、年齢も近いし、瀬野君に色々教えてもらえるかしら?康幸君」
主任から声をかけられたが、気付かなかった。
「康幸君?」と肩を叩かれ、「はい?」と間抜けな返事をしてしまった。
「話聞いてなかったでしょ?もー…仕事は真面目にしてくれてるからいいけど、瀬野君の教育よろしくね?」
「え?あ、はい」
瀬野と接点を持てる嬉しさと、同時に不安を抱く。俺は、今まで人に何かを教えた事はない。更に、瀬野と上手く会話できるのだろうか。俺の不器用で無愛想な態度に、瀬野は怖がらないだろうか。
「よろしくお願いします。瀬野です。康幸さん…で、よろしいですか?」
「あっ。…あぁ」
瀬野が近くに居て、心臓が飛び出そうになった。さっきまで主任の近くに居たはずなのに。
「ああ!彼、無愛想に見えるかもしれないけど、仕事は丁寧だし、若い子同士の方が瀬野君もいいわよね?」
「お気遣いありがとうございます。是非、よろしくお願いします」
スッとお辞儀し、柔らかく笑う瀬野。何て眩しいんだ…。
「あ。まだちゃんと自己紹介してなかったわね。瀬野君、こちら近藤康幸君。二十五歳。二人ともピッチピチねぇ〜。おばさんも若返りたいわぁ〜」
「今年二十六です」
「僕は先月二十歳になりました」
「若い子が入るなんて珍しいし、私達も嬉しいわ〜。うふ。よろしくね」
その後、掃除用具の説明や掃除の手順など、慣れないながら教えていった。
そしてトイレ掃除をする為、清掃中の看板を立て掛ける。
「トイレ掃除だけど…
「何か、緊張しますね、こういうの」
俺の話を遮るように囁く瀬野。スッと俺の方へ近付き
「密室に二人っきりですもんね…」
と甘い笑みを浮かべる。どういう意図で発言しているのか…ありえないが、瀬野もゲイで俺を誘っているのか…想像し心臓が痛いくらいに早く動く。
「や。この建物の社員達が、清掃中と知っててもたまに入ってくるから…」
搾り取るような声で返事をする。俺の緊張が瀬野に伝わってなければいいが…。
「それもまた、スリルがあっていいですね」
右側の口角だけ上げて笑う瀬野。その悪魔的な微笑みも可愛すぎる。ゴクリと生唾を飲む。
まさか、あり得ないが、ひょっとして瀬野は俺を誘っているのか…?いや、あり得ないな。勝手に妄想して瀬野の言葉を良いように捉えているだけだろう。
「康幸さん?」
「あ?」
「眉間に皺寄ってますよ」
眉間に手を当てる。確かに皺が寄っていた。ふと洗面台の鏡を見る。間抜けなポーズを取る俺と、その様子を見る瀬野。
「ふふ。可愛いですね」
口元に手を当てて笑う瀬野。可愛い…?俺がか?意味が分からない。可愛いのは瀬野の方だ。仕草一つ一つ、何もかもがが可愛い。ああ。好きだ。
俺は初めて会ったその日に瀬野に恋をした。恋愛経験の疎い俺が、こんなにすんなり自分の感情を理解できるとは思わなかった。それだけ瀬野は可愛かった。
自分の感情が理解できたところで、相手にどうアプローチすればいいかも分からないし、そもそも瀬野がゲイやバイである可能性は低いと思う。小林みたいに分かりやすいタイプだと助かるが…。
俺は、勝手に瀬野の一挙手一投足に舞い上がって浮かれているのかもしれない。先日、こんな事があった。
昼休憩でご飯を食べている時だった。俺はコンビニで買った海苔弁当と、新発売と書かれていたブラックの缶コーヒーをテーブルに置くと、隣に座っていた瀬野が声を上げる。
「あ!そのコーヒー!新発売ですよね?僕も気になってたんですけど、家から麦茶持って来てたので買わなかったんです。康幸さん、もしよかったら、一口もらえませんか?」
もし瀬野が犬だったら、絶対に尻尾をたくさん振って可愛らしくアピールしているだろう。上目遣いで潤んだ瞳が可愛くて堪らない。
「あぁ。いいよ」
平静を装って答えるが心臓はバクバクだ。それを見ていた主任が「若いっていいわねぇ〜」と声を漏らしている。
カチャッと爽快な音を立てて缶コーヒーを開ける瀬野。喉仏が軽快に上下する。
「あ!?これ、美味しいですよ!何か、爽やかでキレがある感じのコーヒーですね」
無言で瀬野からコーヒーを受け取り、瀬野が先程まで口をつけていた飲み口を見つめる。妙な緊張感に包まれる。
「飲まないんですか?」
上目遣いの瀬野。目が合い、心臓が波打つ。
「飲むよ」
俺の気持ちが悟られないよう、コーヒーを飲む。味なんて感じなかった。それより、これって所謂間接キスだよな…。どんどん激しく鼓動する心臓。そして、瀬野がスッと俺に近寄り
「間接キス、しちゃいましたね」
と耳元で囁いた。一気に俺の顔は赤面した。どう反応すれば良いのか分からず、聞こえないフリをした。そんな俺を瀬野はクスリと笑う。相変わらず可愛い。どこか、あざとい感じもするが、好きになるとそういう所も可愛く見える。
「私も今度そのコーヒー買おうかしら」
主任がボソッとつぶやく。




