12
俺は龍一郎ママを睨みつけた。龍一郎ママは全く動じず「飲み物は?」と聞いてくる。小林は慌てて「じゃあ生で」と言ったので、俺も頷く。龍一郎ママが料理と酒を注文し、生ビールが三つ届く。
「乾杯」ボンレスハムのような腕が揺れる。
「かんぱーい」小林は無理やり明るい声で言っている。この空気感を変えたいみたいだが、俺は無言でジョッキを打ち付け、カラッとした音が響く。
「ラズベリー、あんた、やっさんに何も説明してあげてないでしょ?ここが、どういう所かも分かってなさそうよ」
「説明しちゃうと康幸さん、新宿二丁目に来てくれないと思って…」
「なら、もうここにいるんだから話してあげなさい。やっさんが可哀想よ」
「そうですね…。ごめんね、康幸さん。ここは、僕や龍一郎ママみたいなゲイや、性的少数者が集まる町なの。龍一郎ママは豚豚豚っていうゲイバーのママで、僕も何度か行った事があって、ゲイしか来ないお店だから居心地も良いし絶対康幸さんにも良い経験になると思って一緒に来たかったの」
俺はゲイじゃない。たまたま初めて付き合った奴が男で、小林だったってだけ。お前らと一緒にすんなって言いたくなったが、馬刺しと馬肉ユッケが運ばれて来た。
「ま、やっさん、とりあえずこれ食べて。超美味いから」
龍一郎ママに勧められ、馬刺しをいただく。すりおろしニンニクとすりおろし生姜を醤油に溶いて、たっぷりと馬刺しにつけてネギやオニオンスライスと共に食べる。パンチの効いたニンニクや薬味が、淡白な馬刺しを引き立ててくれる。夏にピッタリのスタミナ料理だ。無言で食べ続けていると、
「美味しいでしょ〜?アタシ、ここの馬刺しなら二日酔いの後でも食えちゃうもん。さいっこうよね」
「へぇ〜!僕もいただきますね!」
馬刺しを口に運ぶ小林。
「んまっ!!オニオンスライスだけでも永遠食べられちゃいますね」
「ラズベリー、あんた、そこ?オニオンスライス褒める?」
「あっ!もちろん、馬肉自体も最高に美味しいです!」
「まあいいわ。で、やっさん。これ、アタシからプレゼント。お家に帰ってから中身を確認してね。今見ちゃや〜よ」
花柄の包装紙に包まれた物を渡される。文庫本よりも大きめのサイズで、思ったほど重くない。
「何ですか?これ…」
「それはぁ、お家に帰ってからのお・た・の・し・み・よぉ〜」
得体が知れなくて恐ろしい。しかも初対面でプレゼントを渡してくるとは、何のつもりだろうか。
それから馬肉ユッケやチャンジャ、馬肉の唐揚げ、出し巻き玉子など食べた。馬肉の唐揚げは初めて食ったが、正直俺は鶏の唐揚げの方が好きだなと思った。馬刺しやユッケはすごく美味かった。
全て食べ終えて、会計の時、
「大学生のアンタ達に払わせるのは酷でしょ?出世払いでいいわよ」と言いながら、スパンコールに花柄でギラギラした財布を取り出して、龍一郎ママが全額支払ってくれた。嫌味なオカマだと思っていたが、初めて龍一郎ママを少し見直した。
龍一郎ママに連れられ、新宿二丁目を進んでいく。すれ違う人や井戸端会議をしている男達は皆「や〜ね!」とか、手元や腰をくねらせオカマ丸出しだ。異世界にでも来た気分だ。白眼視していると、
「カオスな世界でしょ?アタシも最初に来た時は驚いたわー」と、龍一郎ママがこちらを見ながらつぶやいた。
「ま。この中に入れば更にやかましいと思うけど、耐えられなくなったら出てっていいわよ」
豚豚豚と書かれたネオンの看板の前で止まる龍一郎ママ。俺は耐えられない気がする。騒々しいオカマ達を想像すると眉間に皺が寄る。龍一郎ママは店の鍵を開け、俺達を中に入れてくれた。俺達と合流する前に店の開店準備はしていたらしく、既にエアコンも効いていてとても涼しい。店内はカウンター席が八席で、豚の置き物や花柄の壁紙などでガチャガチャしている。どうやら龍一郎ママは花柄が好きらしい。小林に促され、一緒にカウンター席に座る。
「康幸さん、鏡月は飲める?」
「鏡月?飲めるけど」
「良かった。僕のボトルがあるから、一緒に飲も?割り物は何がいいかな?」
「んー…お茶」
「麦茶、緑茶、ジャスミン茶があるけど、どれがいいかしら?」
「じゃあ緑茶で」
「はあい。ラズベリー、あんたはアセロラでしょ?」
「はい!龍一郎ママ」
アセロラもあるのか、と少し驚く。割り物は、どのくらい種類があるのだろうか。
龍一郎ママが俺達に酒を作ってくれていたが、ちゃっかり自分の分も作っていた。龍一郎ママも緑茶割りらしい。図々しいなと思って小林の方を見たが、小林は何も気に留めてない様子だった。これが普通なのか。
「いただきま〜す」豚足のような腕が乾杯を求めている。小林も釣られて乾杯している。俺は何回乾杯するんだと呆れながら乾杯してやった。だが、その酒には口を付けずコースターの上に置いて、
「てか、何でラズベリーって呼ばれてんの?」
と、ずっと気になっていたことをようやく聞いた。
「ああ。それはねぇ、この子の柔軟剤の香りがベリー系だから、何となくラズベリーって周りが言い出して定着してったのよ」
「特に深い意味はないよ」
「あっそう」
理由は分かったのに、何故だかいまいち心が晴れない。オカマ達に対しての嫌悪感か、それとも小林が知らない所で、変なあだ名で呼ばれていることが不快なのか…どちらでもいいが俺はそっぽを向いた。
「こりゃあ根気が必要ね」
ポツリと龍一郎ママがつぶやく。おそらく俺に対して何か言ってるのだろうと思い、腹が立つ。
「やっさん。アタシね、実は元々ノンケだったの。あー…ノンケって分かんないか。アタシ、今まで女と二人付き合ったことがあるの。どっちもソッコーで別れたけど。んで、やっさんみたいにキッカケがあって、男と付き合うっていうかセフレ?が出来てねぇ。そっからアタシは自分がノンケじゃなくてバイでもなくてゲイなんだって分かったの。まあ、これはアタシの話だし、性なんて、男、女、バイ、ゲイ、レズ、トランスジェンダーとか言い出したらキリがないけど、言葉で定義できるようなものでもないと思ってるの。やっさんは、やっさんなんだし」
俺はイライラしていたはずなのに、酒焼けしたしゃがれた声なのに、オカマなのに、龍一郎ママがそっぽを向いてる俺に向けて言ってくれた一言一言が、心にスッと落ちていった。
「康幸さん、龍一郎ママはいろんな人と会ってきたから、経験豊富で頼りになるの。ちょっと意地悪で取っ付き難いと思うかもしれないけど、根はすんごく優しいから」
小林の方を見ると優しく微笑んでいた。
カランカラン。店のドアが勢いよく開いた。
「いらっしゃ〜い」
「ちょママ聞いてよ〜」
ベロベロに酔っ払った男二人がおぼつかない足取りでカウンターに座った。
「アタシの彼氏を発展場で見かけたって、ジュン子が言うのよ〜!酷くない??」
「ジュン子だけじゃなくて、他にも目撃情報入ってるからね」
「もおーーー!本当に?アイツ、今度会ったら問い詰めてやる!」
うるさいオカマだな、と冷ややかな視線を送っているとオカマの連れと目が合い、俺の隣の小林を見て
「あら。ラズベリーじゃない?誰かと一緒なんて珍しいわね。ごめんね、騒がしくして」と話しかけて来た。こっちもオカマだった。
「ジュン子さん、気にしないでください。それよりアツ子さん、大丈夫ですか?」
「アツ子は記憶飛ぶまで酒飲むって言ってるから、大丈夫よ。いつものことだし」
どうやらこのオカマ達は、ジュン子とアツ子と言うらしい。小林の事をラズベリーと呼んでいるからお互い面識があるみたいだ。




