S16 真夜中の襲撃
バスティアの地が齎す最凶の試練、紅野の奇兵隊。紅き台地に巣食う元凶の脅威は刻一刻とデトリックの街に迫っていた。当初から噂されていたグリーンゴブリンのその活動範囲は広大なバスティア荒原の中でも西部、セントクリス河の沿岸地域に限られていた。デトリックの街からは凡そ百十二キロ西方の地、そこに連中の棲家が在る。
移動行程にすれば攻撃的なワイルドファングの襲撃を考慮しても、丸三日以上の時間を要する事から街の周辺で狩りをする限りは連中との遭遇はまず有り得ない。それが冒険者達の共通認識だった。だが、デトリックの街では冒険者の口こみである不穏な噂が伝わり始めていた。
――街から西北西へ約十七キロ地点にて冒険者がグリーンゴブリンに襲撃された――
日に日に拡大を見せる連中の活動範囲が街の周辺部にまで及び始めている。何でもバスティア荒原の各地にグリーンゴブリン達は野営地を造り上げ、このデトリックの街へ迫っているとの事だった。町から約十七キロという距離で被害が発生した事から連中の野営地が近くに存在する可能性が非常に高い。
そして、冒険者達の危惧は最悪の形で具現化する事になる。
その夜は酷く強い雨が降っていた。空一面を覆った真っ黒な雨雲に陰鬱な気分を抱く冒険者は少なくない。静まり返った深夜、冒険者達が寝静まった頃。人通りの消えたゴーストストリートにその無数の影は現れた。
暗闇の中で蠢く無数の影達は街へ入るなり、雄叫びを上げ始める。
「Oooooooohoooooo!!」
その真の脅威に冒険者達が気付くのはそれから間も無くの事だった。
ホテルの一室で、マイキーもまた多くの冒険者達と同様にその恐怖を微塵も知らず、窓辺で転寝をしていた。微睡む視界の中で無数の影が駅前を通りを駆け抜けた瞬間、ちょっとした違和感に座椅子から身体を起こし窓の外の通りを眺めたその時だった。
突然の打撃音と共に、建物を包む振動に思わず身体が跳ね上がる。一瞬、爆撃を受けたのかと思う程の衝撃に窓を開け放ち、身体を乗り出して通りを見つめるとそこには激しい雨に打たれながら蠢く不気味な異人達の姿が在った。
「グリーンゴブリン……何で街中に」
筋肉隆々にして八重歯を剥き出しにして笑うグリーンゴブリンの戦士が巨大な斧を振り翳し、ホテルを打ち付ける。建物を通して伝わる振動と衝撃音にマイキーの表情が歪んだその瞬間、敵戦士の後ろで薄笑いを浮かべる魔道師らしきグリーンゴブリンが錫杖を掲げる。三階から見下ろす通りのど真ん中で生み出される小さな黒い点。その鈍い輝きにマイキーが当惑していた次の瞬間、放たれた石弾がマイキーの額を捉えていた。
視界の中に鋭利な石の刃先が映った瞬間には時は遅かった。脳天を貫くその石弾にマイキーは室内に倒れ込むと、今起きた出来事をただただ反復する。
倒れ込んだ身を上げて、その動作を確認する。ダメージは無いようだった。
「位相がずれてたのか……助かった」
再び、窓の外を眺めるとそこには連中の姿は消えていた。代わりに通りの先の建物から上がる悲鳴と黒煙。降り注ぐ矢弾や魔法の弾幕、建物を叩きつけ破壊する凶悪な衝撃音が街を混沌に陥れていた。
グリーンゴブリンによる襲撃。その最悪の事態にマイキーはホテルの一室を飛び出すと仲間を呼び寄せロビーへと集合させる。
仲間達の表情は皆事態に困惑し、何よりその恐怖に血の気が引いていた。いつぞやの通り掛かりの冒険者から入手した映像に映っていた化け物達が今実際に街の中で暴れている。
この事実を前にどう受け止めて良いのか分からなかった。
「どうする。まさか襲撃されるなんて……在り得ないだろ」
「このゲームを舐めてた。真夜中に襲撃されるなんて夢にも思わなかった。連中、僕達に余裕を与えるつもりなんて微塵も無い。ユーザビリティも糞も無い。例え寝てる間に殺されても文句は言えないって事だ」
ホテル内に泊まっている限りは自動的に振り分けされた特殊な位相によってプレーヤーは守られる。マイキーが敵の攻撃から辛くも逃れたのはその為である。だが一度ホテルの外へと足を踏み出せばそこは戦場。同一位相で敵と相対すれば、戦闘は免れ得ない。
騒ぎに飛び出してきた冒険者達の多くはただただロビーでうろたえるばかりだった。それは仲間達も例外では無く、不安な眼差しをマイキーへと注ぎ、これからの指針を求めていた。
そんな仲間の視線を受けながら、マイキーは先程の異人達の姿を思い返していた。彼らの行動はもはや敵対的という範疇を超えている。交渉の余地は言うまでも無い。今、考えるべきは奴等の討伐に向うかどうか。今の自分達のレベルで対応出来る相手なのか。
気掛かりなのは、郊外広場から巻き起こった噴煙と悲鳴。冒険者が連中の餌食に為っているのであれば救出に向うべきなのだ。
だが、その選択は自分は元より、仲間を危険に晒すかもしれない。マイキーはここで一つの決断に踏み切った。
「僕が広場の様子を見てくる。皆はここで静観してるんだ」
「そんなの危険だよ。それなら私達も行くよ」
迫るアイネを跳ね除けるように首を振るマイキー。
「ダメだ……危険過ぎる。この中で今最も素早いのは僕だ。偵察は一人の方がやり易い」
仲間が居ては足手纏いになる。ホテルの玄関へと歩むマイキーの背中は重く緊迫した空気を残していた。
俯き当惑する仲間達を背に、マイキーはロビーの人込みを縫うように玄関へ抜けるとホテルの外へと飛び出した。
ホテルの外壁には先程の衝撃の痕を示す深い亀裂が走り、地面には抉られた赤煉瓦の破片が散らばっていた。地面には無造作に叩きつけられたような無数の足跡が残され、郊外広場へと向って伸びていた。その人では在らざる痕跡に自然と身体が帯びる震えを、両腕で押さえ締め付ける。
遠くで明滅する光は一体何を示すのか。悲鳴や絶叫が示すものは想像に容易い。
深い闇の中、駅前通りを一直線に郊外へ向って駆け抜ける。その距離にして三百余メートル。通りでは地面にうつ伏せに倒れ込む冒険者や既に結晶化し尽き果てた被害者が見受けられた。
亀裂の入った外壁近くに横たわる一人の冒険者の元へと駆け寄る。そのすぐ近くでは蒼白の輝きを放つクリスタルが一つ転がっていた。
「しっかりしろ……大丈夫か」
抱き起こすマイキーにうつ伏せた青年は恐怖に慄きその表情を引き攣らせる。
咄嗟に走る違和感、その根源を探った時にマイキーはある記憶へと辿り着いた。彼はMarshe nes Abelに以前クレイモアを購入しに訪れた来客に間違い無かった。だがそこには店に訪れた時に仲間と浮かべていた笑顔の影など微塵も残されていない。
突然我が身に降り掛かった恐怖を前に、為す術無く彼は地面へと平伏せる事になったのだ。虚ろな目で彼はすぐ近くの地表に転がる一つのクリスタルを見つめると深い絶望の色を浮かべた。
「仲間が……ヤナセが殺された」
彼が握り締めるその手に強い力が込められる。ゆっくりと立ち上がる彼の身体を支えながらマイキーは青年をホテル側へ誘導する。
「デトリック・ホテルへ。あそこなら安全だ」
「ダメだ。まだ仲間が残ってるんだ。休む訳には行かない」
必死に恐怖に抵抗するような決意の表情で満たされた青年の表情に首を振るマイキー。
「その体力で戦地に赴いたって無駄死にするだけだ。あなたの仲間は僕がホテルへ誘導する。プレーヤーネームを教えてくれ」
マイキーの強い語調に青年は視線を背けた。
「MasakiとElicaだ」
青年の言葉に頷いたマイキーは立ち上がると「分かった」と固く頷いた。
迫る郊外広場では一体どんな光景が広がっていると云うのか。嫌な予感が絶えない。断続的な胸騒ぎが鼓動を自然と高めて行く。
郊外に向う足取りは一つ。暗闇を駆けるその足取りは酷く重かった。