S15 パーティクルマテリアライズ
紅い荒野に映える一頭の白麒麟。獲物と定められたモンスターの末路は生か死か。
生き延びる道は定められた持てる命の限りを尽くして攻撃者を撃退する事。周囲を囲む無数の影は容赦無く獲物を攻め上げ、辺りには必死の抵抗を見せる獲物の荒い鼻息と鳴き声が響き渡る。
荒削りではあるが、可能性を秘めた若き冒険者達の一振り一振りが残されたメルボルの僅かな命の時間を奪って行く。その中でも、一際素早い動きで獲物を足元で翻弄し赤銅のナイフを突き立てる一つの影が在った。メルボルの脚間を縫うように縦横無尽に駆け回る。
まるで、彼一人が重力の影響を無視しているかのように軽やかな立ち回り。
その動きに翻弄されてターゲットを絞り込めないメルボルは闇雲にその首を振り回し生きる望みを懸ける。そして正面に確かな手応えと共に重い衝撃音が鳴り響いた時、地面に伏せる攻撃者の姿を期待してその瞳に敵の姿を宿す。
瞳に映った敵は盾を構え剣を振り上げていた。素早く駆け回る標的とは異なる者。敵を捉えたと願った感触と衝撃音は盾によって弾き返された音色。力強く逞しい眼前の攻撃者の姿は僅かな望みさえも掻き消し、そして身体に突き刺さる鋭い衝撃に今メルボルの身体が地面に崩れ落ちる。
衝撃によって四肢の機能は完全に失われていた。もがけばもがく程、感覚の失われた脚はただ赤土の地表を泳ぎ絶望が深まって行く。
「仕上げだ。折角だから試してみるか」
冒険者が囁く声。赤銅の短剣を構えた一人の青年は今傷付き倒れたメルボルの頭部へと歩み寄って行く。メルボルにとって歩み寄る彼のその足音は死神が鳴らす、絶命へのカウントダウンに聴こえたのだろうか。
力無く首を擡げ、攻撃者の姿を瞳に映すと彼はもがいていた脚の動きを静かに抑え、抵抗する事を止めた。
無情な響きは冒険者の声か。全てが色褪せ、彩色を失う時は近い。
「マイキー、止め刺すの?」
アイネの質問にマイキーが怪訝な表情を見せたのは云うまでもない。それは彼にとっては愚問だった。止めを刺すのが目的で無ければ、この狩りの意図するところは何だと云うのか。ここへ来る前に彼らに投げ掛けた言葉の意味を自らの行動で今一度問い掛ける。
振り翳されたナイフに彼女達が目を覆ったその時だった。ふと振り下ろされたナイフがメルボルの額の直前で動きを止める。
「マイキー……?」と眼前の彼の行動に疑問を投げ掛けるアイネ。
止められた赤銅のナイフは鈍い輝きを放っていた。迫る凶器を前に、自らの宿命を悟ったメルボルは微塵も動かず生気の消えた赤黒い瞳でその切っ先を見つめる。
――殺すならば殺せ――
その瞳が訴え掛ける言葉は本物だろうか。
切っ先はメルボルの頬をゆっくりと撫でると、そのまま首元へと当てられる。もはや刃の脅しが無くとも獲物に抵抗する力は残されていない。
「そんな目で見るなよ」
言葉に戸惑ったのは仲間だけは無かった。その言葉を発した本人自身もまた深い戸惑いを覚えていた。
手元で返されたバロックナイフが腰元に納められる。マイキーは動かない獲物にゆっくりと手を掛け、その鬣を撫で始める。
「前にも言ったけどな。僕は快楽殺人鬼じゃない。気持ちはお前らと同じだ。この世界の狩りにリアリティがある以上、無意味な殺生は好まない」
金色に光輝くマイキーの掌が鬣と接触すると同時に、浮かび上がるカウンターの数字。
―― 0:00:12――
ポップアップした数字は十二秒。
シーフというクラスに与えられた唯一のギフト。パーティカルマテリアライズ。
その詳細は対象のマテリアライズ可能な特定部位に一定時間触れる事でカード化を行うという特殊技能である。
「これが、お前に残された唯一の生きる道だ」
まるでメルボルに語り掛けるように優しい口調で言葉を紡ぐマイキー。鬣が次第に金色の光に包まれて行く、僅かその十数秒間。
目の前で起こる不思議な光景を仲間達はただ呆然と見守っていた。
光の収縮と共にマイキーはメルボルを長い恐怖から解放する。よろけながらも自らの四肢でまた立ち上がり、首を伸ばしたメルボルは逃げるようにその場から去って行く。
その背中は何を物語るのか。立ち止まり振り返り礼を述べる姿など期待はしていない。事実、傷を負ったメルボルは一度も振り返る事無く地平線の彼方に向って消えて行く。
遠ざかって行くメルボルを見つめるマイキーのその手には一枚のカードがしっかりと握られていた。
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〆カード名
白麒麟の鬣
〆分類
アイテム-素材
〆説明
バスティア荒原に生息するMelbol<メルボル>と呼ばれる麒麟種の鬣。
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五人でパーティを組む限り、経験値を入手する事は出来ない。目的が獲物の落とすドロップアイテムに限られるのであれば、獲物を生かしたまま素材をカード化出来るこのパーティカルマテリアライズは狩りの根底を覆す。
素材を入手する為に獲物を狩る必要は無いのだ。獲物を降伏させる事さえ出来れば、わざわざその命までをも奪う必要は無い。
マイキーは自らの行為を振り返りながら、皆に向って毅然と言い放つ。
「お前達の意志を酌んだ訳じゃない。獲物が戦う意志を見せる限り、命を奪う狩りは当然発生するんだ。基本的には狩りってのは命を摘む戦いだ。これは例外だと思え」
歩き出すマイキーの後ろ背中に笑顔で続く仲間達。
素直ではない彼の言葉。自身が抱えるその自己矛盾に彼は気付いているのだろうか。彼が云う命を摘む戦いで何故あのメルボルを解放したのか。
それは彼が戦いの最中で紡いだあの言葉に全てが集約されていた。
――僕は快楽殺人鬼じゃない。気持ちはお前らと同じだ――
だからこそ、仲間達も信じてマイキーの後を信じて付いて行けるのだ。