S13 トラウマ
無線の音声は掠れていた。ノイズ交じりの受信音からは、隊員の切迫した状況が伝わってくる。
一転して緊張した空気が空間を取り込む中、危機的な状況に陥っていると、討伐隊全員が認識するきっかけとなった衝撃的な一言が告げられる。
――仲間が二人殺られた――
愚かにも彼らは忠告を受けたにも関わらず、石灰洞の中に足を踏み入れ、鐘乳洞通路から現れた根源と鉢合わせになったと云う。
「石灰洞へ入ったのね」
呟くアイネの傍らで、キティはPBを開いたまま無線音声に耳を傾けじっと固まっていた。
無線上では根源が現在、一体どの方向へと向って移動しているのかを確認するジ・オングの音声が流れていた。緊迫した状況に討伐隊一同がそのやり取りに耳を傾ける。
――根源は現在M地点からL地点へ向って移動中――
その報告にジ・オングからはL地点の討伐隊員は坑道側へと避難するように呼び掛けられる。
戦力が分散した状態で、根源に挑めば勝機は薄い。ここは根源の到達ポイントを先読みして戦力を結集させる事が肝要だ。
告げられる統帥からの指令。
――全隊に告ぐ、根源との戦闘指定ポイントはK地点。戦闘開始はこちらで合図する。目標地点へ到着次第、待機せよ――
「K地点か。ここからそう遠くないな」とジャック。
「問題はそこまでどういうルートを採るかだ」とマイキーがPBを片手に呟く。
坑道から様子を窺がっていたマイキー達は、その報告を受けると同時に石灰洞へと傾れ込み、鐘乳洞に向って駆け込み始める。
「マイキーさん、鐘乳洞の中通るなんて危険だよ!」
叫ぶタピオの言葉にマイキーは言葉を返さなかった。地図上ではJ地点からK地点までは六十メートル程の距離。敵の移動速度を考えれば充分に先回り出来る。
だが誤算はあった。凹凸のある濡れた地面は滑り思うように足を進める事が出来ない。加えて通路に散見される巨大蟻の姿に一同からは自然焦りが生まれる。
「巨大蟻、こんなところまで居るのか」と皆の歩みを制すマイキー。
タイミング次第では根源がK地点を素通りして、こちらの通路まで回ってくる可能性もある。向う先は下りだが、戻りは滑る足場を上る事になる。そうなれば、まず無事で済む可能性は無い。下手をすれば全滅も有り得る。
「皆、戻ろうよ。今ならまだ間に合うよ」
「タピオ、静かにしろ。無線だ」
PBから再び漏れる無線音声にジャックが場を諌める。報告はL地点で駐在している隊員に依るものだった。彼らが示す内容は、L地点の石灰洞において根源が突然移動を中断し動きを止めたと云う。
根源の様子を鮮明に報告していた報告隊員の口調に次第に翳りが浮かび上がる。
――様子がおかしい――
その一言から全てが始まった。
ジ・オングの指令により既にK地点には各隊が集結へと向っている。だが、根源は依然L地点から動く気配を見せない。
目標地点の変更を誰もが念頭に浮かべたその時、報告隊員の震える声が無線上に流れ始める。
――産んでる……そんな馬鹿な。なんて数だ――
「産んでるって……何?」
アイネが呟く中、報告者から撤退という言葉が漏れたその時だった。
突然、湧き起こる悲鳴。そして、無線はそこで途切れた。
「何が起こってるんだ」
異様な状況に足を止めたマイキーが事態に困惑を隠さずに呟くと同時、無線上ではジ・オングから全体に向かって指令変更の報告が告げられた。
――全隊、目標地点をL地点へと変更。恐れる事は無い。敵はもはや袋の鼠よ。坑道、鐘乳洞側、全方位から総攻撃を仕掛けよ――
その言葉を受けると同時に、鐘乳洞内で行く手を遮る巨大蟻へと向き直るマイキー。
「聞いての通りだ。目標変更、L地点へと向う」
マイキーの言葉に咥え煙草を外したジャックは神妙な面持ちを返した。
「マイキー、どうにも様子がおかしいぜ。このまま安易にL地点へ向うのは危険な気がする」
それはジャックにしては珍しい弱気な発言だった。だが、仲間からは同意の声が上がる。
「ジャックさんの言う通りだよ。さっきの悲鳴皆も聞いたでしょ。何か向こうで起こったんだよ。予期せぬ事態が。絶対に状況が飲み込めてから動いた方がいいよ」とタピオが血の気の引いた表情で戦慄く。
アイネとキティはただその手を握り合ったまま成り行きを見守っていた。
「仮にお前達が言う通り、このままL地点へ向う事が危険だとして。その状況が把握出来る時っていうのは何時なんだ。状況が把握出来る時っていうのはつまり、誰かが死地に飛び込んで報告した時だろ。攻略ってのは誰かが先陣切った後に付いてくのは楽なんだよ。他人が攻略してくれるのをただ待ってるような受身でゲームを楽しんでるって言えるのか」
マイキーの言葉に首を振るタピオ。
「楽しくなんかないよ。怖いんだ。もし、またあいつと遭遇したら……僕は」
明らかに先日の根源との遭遇がタピオのトラウマと成っている。タピオがL地点へ赴く事を拒む理由はジャックのように直感的に危機を悟った訳でも無く、ただ単に混乱した現場の雰囲気を感じ取ったからでも無い。それはあの一件で植え付けられた根源的な恐怖がその遭遇を拒絶している。
「お前の気持ちは分かる。何も無理強いはしないさ。避けられる戦闘は避けるのも一つの選択。お前は坑道からただ見てればいい」
マイキーの言葉に押し黙り頷くタピオ。
「話はついたようだな」
沈黙を保っていたフリードがここで口を開いた。
「悪かったねフリード。ただ僕らにとってもこの話は看過出来ない重要な問題なんだ。仲間の意向は出来る限り酌んでやりたい」
「VRMMOの世界では恐怖さえ実体化する。無理もない話だ」
フリードの言葉にタピオは俯いたまま顔を上げなかった。
だが、ここで立ち止まっている訳にも行かない。覚悟を決めた一同は今武器を構え、行く手を遮る巨大蟻へとその矛先を手向けるのだった。