S7 地下坑道
地下採掘場、薄暗闇の世界へと足を踏み入れたマイキー達を待ち受けるモノは深い困惑だった。
坑道の中を一言で表すならば正に『迷宮』。まるで蜘蛛の巣のように縦横無尽に張巡らされた地下坑道は、冒険者の方向感覚を十二分に狂わせる。
意気込んで坑道の中へと踏み込んだマイキー達だったが、結果は空回り。忽ち路頭に迷う事となった。
「これで何度目の分岐点だ」
ジャックが呟く傍らでキティは不安気に後方へと振り返っていた。だがそこに光は無い。正確には橙色の薄光は存在する。古ぼけたランプから永久燐が漏らすその光は、冒険者の心を照らすには余りにも弱々しい。
脅威は暗闇だけでは無い。坑道に張巡らされた横穴から突如として現れる巨大蟻は想像以上の化け物であった。体長一メートルは裕に誇るその巨大な生物は、暗闇に乗じてその強固な上顎で突然襲い掛かってくる。
彼らの強襲はマップスキャンでも確認する事は出来ない。何故ならば地図上で敵情報を反映させるためには、その土地を踏破しマッピングを済ませて置かなければならない。暗闇の坑道を歩きながらマッピングを行う最中、新たにマップ情報が更新されると同時に出現する敵シンボル。これには打つ手が無かった。
前方から上顎を掲げ噛み鳴らしながら這う巨大蟻。さらに横穴から覗いた触覚に目の色を変えてマイキーが叫ぶ。
「前方に一匹。横穴からも一匹!」
敵の出現と同時に、真っ先に切り込み盾役を一身に担うジャック。正直狭い坑道通路で襲われた場合、弓矢や魔法は全く役に立たない。それらはある程度の射程があって初めて有効に活きる攻撃手段である。
ジャックの疲弊は目に明らかだった。だが、どうする事も出来ない。せめてもの助けにと、マイキーは銅の短剣を取り出し必死に応戦するが、戦力としては余りにも乏しい。さらには、物理攻撃手段を持たない魔術師にとっては為す術が無い。
辛くも戦闘を乗り越えたジャックは、通路の壁際に座り込み凭れ掛かる。
「ジャック、大丈夫」と心配そうに声を掛けるアイネ。
「出現タイミングが神出鬼没過ぎる。ある程度の広さを持った空間に出れば戦えるのに……通路で強襲されたら正直ジャックに頼るしか無い」
マイキーの苦渋の言葉にジャックはただ俯いてキティから癒しの光を施されていた。
「気にすんな。俺が沈まなければ問題ない。何も完全にお前等が封殺された訳じゃない。通路では俺が戦闘を引き受ける。ただそれだけの事だ」
だが、ジャックの言葉に簡単には一同は頷く事は出来なかった。
ここまで既に二時間が経過している。坑道入口からマッピングに成功した領域も既に総長千五百メートルを超えていた。
だが、坑道は奥深く依然その全貌は見えてこない。
「あと一時間捜索して見つからなかったら道を引き返す。体力的にもジャックの負担が大き過ぎる」
マイキーのその言葉にしっかりと頷くアイネとキティ。
掲示板から入手した情報。この巨大蟻を生み出す根源と呼ばれる存在は、この坑道の幾つかのポイントにランダムで出現するとの話だった。さらに根源は一定時間で坑道内を歩き回り、その所在地を転々と変える。
「巨大蟻の根源か……一体どんな面してやがるんだ」と立ち上がるジャック。
根源の出現ポイントとして報告されている区画は二十三箇所。マイキー達が現在確認出来たのはそのうちの三箇所だけであった。このクエストは根源を討伐し、その遺体の一部を切り取りマテリアライズし持ち帰る事で達成される。
地下採掘場内での討伐情報は共有され、根源が討伐されると同時にエリア許容人数である百六十名全てにクリアフラグが立つ。クリアフラグが立つと同時に、地下坑道に存在する全ての巨大蟻は消滅し本来の目的はこれで遂行されるが、たとえ討伐に関わっていないプレーヤーも証拠品となる遺体一部の回収のために、一度根源の亡骸が存在する間を目指して坑道を捜索する必要が生じる。遺体は討伐されてから一時間後、自動的に消滅する。この場合プレイヤーは一時間以内に、根源の間を突き止め、遺体品を回収しなくてはならない。
これを整理すると、坑道内におけるプレーヤーの目的としては大きく分けて二種類の場合に分けられる。
一つ目は根源が存在する場合、これはつまり巨大蟻が洞窟内にまだ存在する場合は、根源の討伐を目指して坑道内を捜索する事になる。
二つ目は、坑道内から既に巨大蟻が姿を消している場合。この場合は、根源の亡骸から遺体品の回収を目指しての捜索が目的となる。
つまり、これに現時点でのマイキー達の状況を照らし合わせると、巨大蟻が各地に出現する現在、この坑道のどこかに根源がじっと潜んでいる事は間違いない。
「エリア人数が96名まで減ってる」
マイキーの呟きに沈黙する一同。それは訃報に違いない。
このエリアにおける当初の人数は許容限界でもある百六十名が存在した。この坑道エリアにおけるプレーヤーの人数管理は特殊で、エリア人数が限界人員数に達する、又は根源が討伐された時点で固定され、インディビジュアルシステムが作動する。固定後はエリア内にプレーヤーが補充される事は無く、プレーヤー人数は減少一方となる。
つまり、当初百六十名存在したエリア人数が九十六名まで減少しているという事は、差分六十四名が何らかの理由で脱落した事になる。その理由は当該プレーヤー以外、知る由も無い。坑道エリアからの帰還、もしくはエリア内での死亡も充分に考えられる。
マイキー達が不吉な予感が巡らせた丁度その時、PB上でのエリア人数がまた一人減少した。
「チャレンジは必ずしも今日成功させる必要は無い。まだ挑戦初日なんだ。坑道内でのマッピングだけでも充分に価値はある」
マイキーの言葉にジャックは首を縦には振らなかった。
「焦る必要はない。この世界にいる限り幾らでも時間はあるんだ」
説得の為にマイキーがそう言葉を掛けていたその時だった。沈黙し澱んだ空気が、突然、坑道の先から響き渡る悲鳴によって切り裂かれる。
鳴り響いた悲鳴に向けて一斉にその顔を上げる一同。
「悲鳴。この先からだ」
助けを訴えるような酷く困惑したその悲鳴の元へ一斉に駆け始めるマイキー達。
その悲鳴の声色から、当事者が余程危機迫った状態に追い込まれているのは、容易に想像がついた。
だが、だとするならばその当事者達をその危機へと追い込んでいるモノは一体何なのか。既に疲労が溜まっているマイキー達にとって、迂闊に危険に足を踏み込むような真似は避けたい。
――自分から死地に足を運ぶなんて愚かの極みさ――
そんな自らの呼び掛けを諌めるように視線を研ぎ澄ませるマイキー。
余計な雑言を吐く思念こそが最大の敵。助けを求める者が居るならば、助けてやればいい。その行為などに理由など必要無い。