【Episode】回復概念
■創世暦ニ年
四天の月 水刻 10■
無事希望の基本四職へと転職を遂げたマイキー達は、東エイビス平原の街壁前でそれぞれのクラスの感触を確かめていた。
クリープスの樹木の葉を的に自動弓を片手に構えたマイキーは、オートリクチュールの撓る弦の質感を感じながら、狙いを定めて引き金を絞る。それはほんの瞬き程の間で、乾いた発射音と共に勢い良く解き放たれた矢弾は一直線に樹木を捉え、幹へと突き刺さる。
「狙いが上手く定まらない。練習が必要か」
呟くマイキーの後方ではスティアルーフの街壁に向って杖を振り翳すアイネの姿が在った。熱心に壁に向かい掛け声を放ちながら杖を振り下ろす彼女の正面では、この世界ならではの異質な現象が発生していた。
「Fire Ball」
印言と共に杖先に燃え盛る火球が発生すると周囲の空気が熱気を帯びる。アイネはその火球を上手く滞空させながら正面に向って解き放つ。街壁に放たれた火球は揺らめく炎を纏いながら衝突と同時に閃光を上げて壁際で消滅した。焼け焦げた街壁の跡から立ち昇る黒煙を見つめながら、アイネは改めて魔法というその不可思議なエネルギーを体感していた。
焼け焦げ跡ではキティが壁際にライトワンドを掲げて、輝く真白な光を当てていた。だが、黒焦げた焼け跡には何の変化も見られない。彼女が首を傾げながら、一生懸命に作業に当たっている姿を見て、ここで皆の様子を見守っていたジャックがマイキーに呼び掛けた。
「キティのヒールが上手く発動しないみたいだ。マイキー、理由分かるか?」
ジャックの問い掛けに構えていた自動弓を下ろし振り向くマイキー。
クレリックの主要スキルとなる回復能力。先程から周囲の様々な物質に回復の光を当てる彼女だが、どうにも上手く機能しないようだった。
それに対し、冷静に状況を分析したマイキーはこんな言葉を返した。
「多分、対象が生物に限られてるんだろ。魔導書の説明読んだ限り、クレリックの治癒呪文ってのは生物の再生能力を高める効果があるらしい。だから、元々再生能力を持たない街壁とか物質にCure掛けたところで、何の意味も無い。多分な」
「そこまで分かってるなら……教えてやれよ」
ジャックの言葉にマイキーは再び樹木の方へと向き直ると狙いに集中し始める。
そんなマイキーの様子に溜息を吐いたジャックは、アイネの元へと歩み寄ると声を掛ける。
「アイネ、ちょっと手伝ってくれよ」
彼の呼び掛けに魔法発動の手を止めたアイネが首を傾げる。
「いいよ。何を手伝えばいいの?」
彼女の問い返しに、ジャックはキティの魔法の特質について、マイキーから聞いた話をそのまま彼女に伝え始める。
話の内容にアイネはただ黙って耳を傾けていた。だが、途中から彼女の表情が急激な変化を見せる。一体ジャックはアイネにどんな話を持ち掛けたと云うのか。
「そんなの無理に決まってるでしょ!」
「つうか、このままじゃキティの練習にならないだろ。大丈夫だって、死にゃしねぇよ」
声を張る二人のやり取りに驚いたキティが見つめる中、ジャックは再びその提案を口にした。
「その火球で俺撃てって。大丈夫だよ、一撃で死ぬ事はないだろ。多分」
「もし死んだらどうするのよ、私犯罪者になんて為りたくないよ」
その様子に、溜息交じりに振り向いたマイキーが「どうしたんだよ」と二人の元へと歩み寄る。
「聞いてよマイキー、ジャックが滅茶苦茶言うの」
「一発ぐらい大丈夫だって。だろ、マイキー?」
熱を帯びる二人の論争に呆れるのを通り越して失笑するマイキー。
自らを攻撃させてダメージを負い、その回復をキティに行わせる。それがジャックが考えた妙案だった。
正直、クレリックの回復という概念には興味があったマイキーにとって、それを止める理由は然程見当たらなかった。
「まぁ、一発くらいなら死なないんじゃないか。ジャックがそこまで熱望するなら、撃ってやれよアイネ」
「マイキーまで本気なの!?」
魔法威力は高いと云え、基本四職の中で最も体力の高いソルジャーのHPを根こそぎ奪うような事は無いだろう。
マイキーの説得によって渋々了承するアイネ。キティはその様子を終始不安気に見つめていた。
「もうどうなっても知らないからね」と心配顔で呟くアイネ。
壁際に移動したジャックは心の準備を整えると同時に彼女に向って合図を出す。
アイネはファイアロッドを振り翳すと、そこで印言を詠唱する。赤い宝石の付いたロッドが振り下ろされると同時に光が瞬く。
「Fire Ball!」
生み出された火球が一直線にジャックの身体を目指して襲い掛かる。接触を間近にジャックが燃え盛る火球に対して全身に力を込めた瞬間、衝撃音と同時に彼の身体が炎に包まれた。
「うぉ……熱ぃ! やば……これやばっ!」
悶え苦しむジャックを前に「正真正銘のアホだな」と失笑するマイキーの傍らでアイネはその表情を青褪めさせていた。
「だから言ったじゃない! ジャック大丈夫!?」
地面で転げ回るジャックに慌てて駆け寄るアイネ。
地表との摩擦で、なんとか火を消し止めたジャックの身体からは依然黒煙が立ち昇っていた。
罵声にも近い言葉で必死に呼び掛けるアイネを前にゆっくりとその身体を起こすジャック。
「残りHP13か……炎でHPがスリップ始めた時は死んだかと思ったぜ」
呟くジャックの元に駆け寄る小さな影。
「キティ、回復頼む」
ジャックの言葉にしっかりと頷いたキティは杖先をジャックの背中に当てて、「Heal Light」と呟き静かに祈りを捧げる。包み込むような真白な光が彼の身体を覆うと、次第に体力が回復を始める。
「なるほど、やっぱり即時回復って訳には行かないのか」
マイキーの言葉にやっと落ち着いたアイネが振り向きその言葉の真意を視線で問い掛ける。
回復という概念を考えた時に、既存のRPGでは基本的には即時的にHPを癒す事が回復の基本である。だが、このVRMMOという世界では即時的にHPを回復するという概念をどう表現するのか、マイキーは前々から疑問に考えていた。瞬間的にHPが回復する、それは現象に照らし合わせるならば、瞬間的に傷が癒えると同義である。
先程見た通り、この世界でのヒールライトという回復呪文は即時的な効果を持つものではない。対象を光に包む事で、一定の回復時間を必要とする。
この事実はクレリックというクラスを戦闘で生かす上で、立ち回りに大きな影響が生じてくる。もしも、回復行為に即時性が有れば、戦闘中に問題無く立ち回る事が出来る。だが、そこに少なからずの回復時間が存在する場合、例えば、回復の際は戦線から離れて一時的に避難する。といった回復の為の避難行動も必要になってくる。
「キティ、回復し終えたらもう一回練習してみるか」
マイキーの言葉に顔を青褪めさせたのは今度は一人では無かった。
「俺……ちょっと急に腹が……」
後先考えない軽率なジャックも、これで少しは懲りるだろうか。