S6 屋台市
スティアルーフの街に吹く夜風は少し肌寒く、それは土地の気質なのか、いつしか水刻へと変化していた暦が関係している可能性もある。エルムの潮風と比較すると、心持ち冷ややかなその質感や磯の香りに変化が感じられる事は確かだった。
「それじゃ、また明日ね」
美しい金髪の髪を広げるアイネの後姿にはキティの小さな影も隣にしっかりと付いていた。
B&Bのカウンターで宿泊手続きを済ませた一同は、その後は自由行動と定めた。仄かにクリープス原木の爽やかな香りが漂う清掃の行き届いたロビーで別れた一同。その後は部屋へと向う者、再び街へと繰り出す者、その動向はそれぞれだった。
広がる世界を前に否が応でも擽られる好奇心や探索心。だが、この世界に存在する限り時間はいくらでもある。街の探索を明日にしたところで、何一つ問題は無い。慣れない船旅で疲労した身体を今日はゆっくりと休めるためにB&Bの自室へと向ったアイネとキティの選択は賢明だろう。同時に好奇心を抑えきれず夜更かしを覚悟で外へと飛び出してしまうのも、冒険者の性か。
マイキーとジャックはそれぞれ別々に夜の街並みへと繰り出す旨を伝え合う。
「ちょっくら散歩して寝るわ。それじゃ、また明日な」と指先を口元に当てるジャック。
「ああ、また明日メールする」
繁華街へ続く雑踏へと消えて行くジャックの後ろ背中を見つめながら、微笑を浮かべるマイキー。
大方、今夜の酒と煙草でも確保しに行ったのだろう。船旅で浪費したにも関わらず、これに関しては彼にとっては譲れない必要最低限の経費なのだ。
「さてと、時間も遅いけどギルド行ってみるか」
一人になったマイキーを束縛するものは何物も存在しない。唯一在るとすればそれは長い船旅の疲れだが。前述した好奇心によって、彼が感じる疲労感は限りなく無感と不自然な錯覚を引き起こしていた。
まずは情報収集。この大陸での当面の目的を確認するべきだろう。
歩み始めたマイキーの視界の左手では中央広場のPvPスペースにて幾人かの冒険者達が疎らに散り武器を重ねていた。動きからして同時期に参入した新規プレーヤーだろう。槍士の構えに対して、剣士はその間合いを計りながら、一定の距離を保つその均衡は、瞬きと共に崩れ去り鈍い金属音を立てる。
美しい白石の敷かれたバトルフィールドの外周を沿うように歩く、マイキーの視界右手には闇夜に浮ぶ無数の灯火が映っていた。光から漏れるは冒険者達の賑やかな笑い声と、ナイフやフォークと食器が擦れ合う音。立ち並ぶ大小無数の屋台に魅かれるように自然と導かれて行く。
「屋台市か。ちょっと覗いて見るか」
一定距離に設置された街灯の尖頭で揺らめきを上げる炎。その揺らめきの下では軒並みスペースを競り合うかのように幾多の屋台が縄張りを主張し合っていた。
布張りの屋台の中では、真白な湯気を上げた料理の数々が冒険者達の舌を喜ばせる。豊かな海鮮の彩りが添えられた餡かけ炒飯を口一杯に頬張る者、ふっくらと蒸し上がった焼売や小籠包を割き、溢れ出した肉汁に舌鼓を打つ者、柔らかで艶のある兔肉や羊肉、そして牛肉を湯気を立てて沸騰する晒し湯の中に湯通し、ビールを片手に肉を噛み締める者。
夕食は既にマリーンフラワー号で取って来たマイキーであったが、眼前の食卓風景を前に自然と唾液が溢れて来る。
連なる屋台が織り成す小さな十字路の一角でマイキーは空いた席に腰を下ろす。
「ビールだけ一杯飲んでくか」
屋台に掲げられた看板には湯揚<Shang Yang>という文字が描かれていた。オープンβ時の情報を集めていた際に、その名は何度か目にしていた。
肉を湯通しして食すその古典的な調理法はしゃぶしゃぶと呼ばれる。豚肉や牛肉が本来主流であるが、この湯揚では加えて兔肉と羊肉を提供している。羊肉のように臭味の強い肉には秘伝の付けダレが。食欲をそそられた冒険者は肉とタレをたっぷりと絡ませ、白飯を掻き込む事になる。安価でしゃぶしゃぶを味わえるこの店は屋台市の中でも指折りの人気店なのだ。
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〆湯揚<Shang Yang>
▽肉皿
□×1 綿兎肉 9 ELK
□×1 白羊肉 18 ELK
□×1 苔豚肉 36 ELK
□×1 角牛肉 68 ELK
※肉量:一皿180g
※飯再來一杯自由(ごはんおかわり自由)
▽小鉢(本日の一品)
□×1 茄子と苔豚のそぼろ餡かけ 6 ELK
▽アルコール
□×1 ビール 5 ELK
□×1 焼酎 6 ELK
□×1 清酒 7 ELK
※清酒:熱燗可
●注文する
●設定クリア
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メニューを広げたマイキーは辺りを見回し一人呟く。
「流石に今は肉180g食えないよな」
キーボードの上で素早く指が弾かれると、カウンターの真白な台座の上に泡だったジョッキのビールと湯気を立てる小鉢料理が現れる。
ビールを右手に持ったマイキーは小鉢を左手で手前に引くと、その中身を確認する。
艶だった鮮やかな紫色の茄子が覗かせる白味には、苔豚肉のそぼろが塗された熱々の餡かけがたっぷりと掛けられていた。
「苔豚のそぼろか。この茄子も美味そうだな」
使い捨ての割り箸を取ったマイキーは茄子を二つに割き、旨味を滴らせるその片割れを摘んで口の中へと放り込む。
口の中に広がるは茄子本来の甘みと、苔豚のそぼろ餡かけのまろやかな風味。茄子の水分とそぼろ餡が口の中で程よく絡み、脂も感じさせる事なく調和の取れた素朴な味わいを生み出していた。
その味に確かな満足感を表情に浮かべるマイキー。
思えばこの大陸を訪れての初めての食事。仲間より一足先に抜け駆けする形となったが、別段悪い事では無いだろう。無理に足並みを揃える事も無い。
――もう子供では無いのだ――