S5 港街スティアルーフ
■創世暦ニ年
四天の月 水刻 7■
船上での優雅な生活。日中は購入した水着で四人はプールで遊泳を楽しみ、夜は再びカジノで賭博。二日に渡って計250ELKの損出額を弾き出したジャックとは対照的に、彼に唆されたキティが倍率36倍の無欲の一目賭けで360ELKを稼ぎ出すというちょっとした事件も起こった。
そんな豪華絢爛な船上生活も三日目の夕方になると、遂に幕を閉じようとしていた。
船上での最後のディナーを迎えた三人は馴染みのCREWS × CREWSでバイキングを楽しみながら、夕闇の海原の向こう側に浮かび上がる巨大な大陸の影を眺めていた。
その雄大な姿に、食事の手を止め魅入る一同。
「あれがレクシア大陸か」と止めていたナイフを動かし肉厚の夜子羊のステーキを頬張るジャック。
「見て、明りが見えるよ。あれがスティアルーフの街並みかな」
アイネの言葉にキティは小さな身体を伸ばし島影に灯る小さな灯火の集まりを瞳に映す。
マイキーは赤ワインを口に含みながらただ黙って、船上からの光景に視線を流していた。
この世界を訪れてから既に色々な事が有り過ぎて、彼の中ではその想いの整理も付かない部分も大きかったが、そんな心境とは裏腹に新大陸はもう目前まで迫っている。
レクシア大陸では一体どんな体験が楽しませてくれるのか、遠目に映っていた島影に想いを馳せる一同。
汽笛が高らかに鳴り響いたのはそれから三十分後の事だった。到着を知らせる機械音声のアナウンスが船内に響くと、船上での最後の食事を終えたマイキー達は第一甲板へと階段を下る。
甲板は船を降りる客で溢れていた。
次第に大陸が近づいてくるに連れ歓声を漏らす乗客一同。その島影は明確な形を持ってその姿を現す。外景もいつしか移り変わり港街の風景を映し出していた。
夜港には赤煉瓦の倉庫が立ち並び、そこにはマイキー達が乗っているものと同型の船が幾船も停泊していた。港の先には驚く程の規模の街並が、それはエルムとは比較にならない広がりを以って乗船している冒険者を大らかに待ち構えていた。
汽笛と共に緩やかに今停止する船。スティアルーフの港と繋ぐ降客路が設置されると千人を裕に超える冒険者が意気揚々と港へと降り立ってゆく。
港への降客路を歩きながら、一行は赤煉瓦の倉庫が並ぶ港へと降り立つ。石畳が敷かれた港の足場を踏みしめるとふとアイネが声を上げる。
「あ、港の中に露店があるよ。限定モデルの香水の販売だって」
港には様々な露店が立ち並んでいた。
駆け寄るアイネの後姿に苦笑するマイキーとジャック。手招きするアイネにキティは駆け寄ると、二人で露店に並ぶ香水を吟味し始める。
「eaux de toiletteか。OCEAN BLUEだって。爽やかな香り。でもこれ男性用かな。どう思うキティ」
お試し用に展示されている瓶を手に取ったアイネは袖に一振りすると、キティに腕を差し出して見せる。その爽やかな匂いを嗅いだキティはアイネと顔を見合わせるとにっこりと微笑む。
「ね、いい匂いだよね。女の子でも大丈夫かな。とりあえず他の露店も回ってみよ」
はしゃぐ女性陣を前にマイキーとジャックも露店を流し見しながら、ふとその一角で足を止める。
「銅の細工物か。銀細工じゃないんだな」と呟いたマイキーは徐に露店台へと近付いて行く。
台座に並べられたその数々の首飾りや指輪は全て銅で象られている。
二人は展示用の指輪を手に取ると彫られたその紋様を一つ一つ確認し始める。剣が刻印されたものから、繊密なスティアルーフの街の風景が刻まれたもの、また海洋の花、マリーンフラワー号が描かれたものとその彫り柄は多様だった。
「一つ150ELKか。結構痛いよな。くそ、カジノで摩らなけりゃ……」
そんな呟きを漏らすジャックを横目にマイキーは素早くキーボードを弾くと、美しい剣が刻印された指輪を嵌めて見せた。
「お前買ったのかよ。剣の刻印……俺もそれ欲しかったんだよな」
愚痴るジャックに苦笑を向けながらマイキーは視線で立ち去る合図をする。
相変わらず露店に夢中になっているアイネ達を呼び寄せたマイキー達は、港の出入り口に立てられた鮮やかな虹色のオラクルゲートに向かって歩を向ける。
「まだ街の中に入ってすらいないのに、これじゃ先が思いやられるな」とマイキー。
「先に宿にチェックインしようぜ」
ジャックの言葉にマイキーが「その方が無難だな」と呟き、一行はオラクルゲートを潜り虹色の波紋を浮かび上がらせる。
この街の大体の地形は把握しているつもりだった。逆U字型になった港を西側から北側へ歩き、まずは繁華街がある大通りへと向う。海側から船が出入りする東西二筋の船着場、その渡し場が交わる波止場から北側に向かって伸びたその一本道が繁華街である。繁華街を真っ直ぐに北へ向えば中央広場と呼ばれる大きな広場に出る筈だ。
目的の宿屋B&Bはそこにある。全てはマイキーが下調べしたオープン段階の情報だった。
情報通り、港は繁華街の存在する大通りへと繋がっていた。ただ唯一情報と異なっていた点は、オープン段階に対して拡張されたその圧倒的な店舗数。
オープンβ時で200m程と書き込まれていたその繁華街通りはどう見ても500mは裕に超え、長く見積もれば1kmに到達するのではないかと思われる程だった。
その区間に渡って軒並み連ねたその両サイドの店舗に挟まれた道幅は二十五メートル程の充分な幅がある。屋外では珍しい事に左右に動く舗道が設置されており、冒険者の移動をサポートしている。舗道の中央には美しい花壇が断続的に設置されており、花壇脇の両側には花壇の彩色に合わせたベンチが置かれている。
マイキー達は大通り西側の北へ流れるオートウォークに踏み込み、ゆっくりと流れてゆく店舗を見つめながら談笑を楽しむ。
「屋外のオートウォークって珍しいよな。雨降ったらどうすんだこれ」とジャック。
「お前いつの時代に生きてる人間なんだ。今時、水に濡れて故障する機械なんてどこにあるんだよ。勿論、耐水性か。街全体に撥水性シールドでも張ってるんだろ」
マイキーの言葉に顔を覗きこむアイネ。
「撥水性シールドって、ニューヨークでは実際に一度実験に成功してるのよね」
「街の上空を覆う空気そのものを巨大な振動子として、超音波振動を発生させる。この技術自体は既に実験段階じゃなくて完成されてるんだ。ただし、これを実用化するには莫大な資金が必要になる。雨が降る度に日本の国家予算クラスの金が飛んでいくんじゃ、とても実用的とは言えないさ」
そう言って空を見上げるマイキー。
「だけど、ヴァーチャル・リアリティの世界ならば話は別だ。ここでは現実で必要になる資金の運用なんて考えなくていい。原理さえ完成していれば、物理プログラムで忠実に再現する事が出来る。だからこそ、ここは理想郷なんだよ」
マイキーの言葉を必至に理解しようとじっと彼を見上げるキティ。
「キティにはちょっと難しい話だよね。分からなくても大丈夫だよ」
アイネの言葉に首を振って真剣な眼差しを浮かべるキティ。
それはキティなりに、あのマイキーの特別扱いしないという言葉を真剣に考えた結果なのだろうか。
長いオートウォークを抜け繁華街から飛び出した四人の視界には今、広大な敷地が広がる。
向かって正面には真白なまるでギリシャの宮殿のような白壁の建物が聳えていた。その前には美しい噴水が広がり、冒険者達の憩いの場となっているようだった。
「あれがギルドか。随分とでかいな」
巨大な建造物を前に中央の広場では幾人かの冒険者達が剣や槍を重ねて闘う姿が見られた。
美しい紋様は地面に刻まれた特殊なバトルフィールド、ここがオープン段階でも話題だったPvPエリアに違いない。
PvPエリアから北東の空間には、市場のようなテント小屋が多く散見出来た。そこは恐らく屋台市。この大陸の様々な食材が並び、実際に調理された料理の数々を破格の値段で楽しむ事が出来る。
そして、正面のギルドと同様にそのPvPエリアを囲むように西に聳える黒光りする建物がコミュニティセンター。
この世界では冒険者達はコミュニティと呼ばれる気の合った、又は目的を共にする同志と徒党を組む事が出来る。コミュニティを結成をすると冒険者はこの街では様々なサポートを受ける事が可能で、その最も重要なサポートを行う施設がこのコミュニティセンターである。ここでは冒険者にコミュニティ専用の部屋を提供しているのだ。
そして繁華街から向かって東側に位置する木造で組まれた建物。とはいえ、エルムの藁小屋とはその外観はまるで異なる。十九世紀の西洋建築を思わせるその美しい構造は見る者を魅了して止まない。その素朴な雰囲気は庶民的で在りながらも、伝統芸術品のような美しさを秘めている。何よりも特徴的なのが建物の尖頭に取り付けられた大きな時計台である。ギリシア数字で飾られた時刻を長短の黒針が緩やかに時を刻む。ここがマイキー達が今夜寝宿と定めたB&Bである。
PvPエリアを横目で見つめながら、その広大な敷地を東へと歩み始める一行。
街の探索はいつでも出来る。まずは慣れない長い船旅で疲労の溜まったこの身体を癒す事が先決だ。