S2 下された裁き
輝きの中から舞い降りた美しき裁断者。蒼白の翼をはためかせ、白銀に輝く鎖で出来た三尾を纏ったその姿。美しい白羽根で飾られた羽帽子と、目を覆うように装着された妙な機械から、その表情を窺う事は難しい。
天使と喩えるにはその姿は厳しく、裁断者と呼ぶにはあまりに美しい。
一同が当惑する中、緩やかに歩み出たGMは破壊されたテーブルの残骸に手を伸ばすと、静かにその口を開く。
「Code2_1098 Game Master Patlisia これより審判を開始します」
冒険者達の視線が注がれる中、彼女は銀色の錫杖を取り出すと大きく回転させ始める。
「これよりリプレイ検証を開始します。リプレイ中は冒険者の皆さん私語をお慎み下さい」
「Area Ocean of Sclame B-13 X211 Y253 Time Record Before 15 minutes」
GMの言葉と共に周囲の景色が歪み灰色へと霞んでゆく。モノクロになった世界の中で冒険者達はただ互いの姿を確認し、彩色を失ったその周囲の光景に言葉を失う。
移り変わったこの世界で色を持つ者は、GMとそしてその場に居合わせた冒険者達だけだった。
そして、色を持つ冒険者とは別にまるで彼らの身体から湧き出るかのように現れた灰色の分身達。彼らはまるで、再生機の巻き戻しのように冒険者達の動きを高速でトレースすると十数秒後には指定位置に止まり、そして静かに音声を持って語り始める。
「返事しろよ、てめぇ!」と、鳴り響く男の怒声。
「はい……! ごめんなさい」
バイキング台へと駆けて行く少女の姿がそこには鮮明に映し出されていた。
少女が不当に扱われるその様子に言葉を失い眺める冒険者達。暫くするとそこには立ち上がる一人の冒険者の姿。
「おい、あんた等。その子とどういう関係なんだ」
正義感溢れる青年の言葉。
「てめぇに何か関係あるのか。部外者はすっこんでろ」
「関係あるさ。食事中に随分と気分を害されたもんでね。その子が可哀想だとは思わないのか?」
青年の言葉に少女はどうする事も出来ずただその場で当惑する。
次の瞬間、大きく蹴り上げられるテーブルが宙を舞う。
「てめぇ、舐めてるのか。こいつはこの世界で一人今みたいにうろたえてる所を俺達が拾ってやったんだよ。こいつは意志を持たない屑だ。だから俺達が導いてやってるんだ。文句あるか!」
男の暴挙が鮮明に浮かび上がる。
「意志を持たない屑だって? こんな幼い子がこの世界に一人で来たら不安になるのは当たり前だろ。この子はお前達を頼りにしてるのに、お前等の扱いがどれだけ彼女に恐怖を与えてるか、それが分からないのか」
「ごちゃごちゃ五月蝿ぇんだよ!」
青年目掛けて振り下ろされた銅斧がテーブルを両断する。
静まり返る場内。冒険者達はただ黙って彼らのそのやり取りを見守っていた。
身の危険を感じた青年が短剣を引き抜いたその時。
「短剣を引き抜いたって事は、なぁ。これからお前をぶっ殺しても文句無ぇって事だよな!」
憤った大男が蹴り上げたテーブルの残骸が青年に直撃する。
その衝撃で身体を歪めた青年に走り寄り、その頭部目掛けて銅斧を振り下ろす大男。場内で悲鳴が上がると、倒れた青年の頭を踏みつけた大男が雄叫びを上げる。
「俺に逆らうんじゃねぇよ! 逆らう奴は皆こうなるんだ! よく覚えとけてめぇら!」
静まり返る場内。恐怖が支配する空間の中で、そこには立ち上がる幾つかの影。
その影の一つは今ゆっくりと大男の元へと歩み寄る。
「何だてめぇ、ぶっ殺されたいのか!」
怒声にまるで怯まず近寄った影は男に近付くと、その顔面に唾を吐き掛ける。
「汚い面がこれで少しは綺麗になったか。感謝しろよ」
青年の言葉にわなわなと身を震わせる大男。
「ぶっ殺してやる!」
大男が叫ぶと同時に突き出される手首。青年は軽くそれを片手でいなすと内側に向かって捻じ込む。関節に走る衝撃に自然と身体を折り曲げた男の身体がその場に沈む。
睨み付けるヴァルコイドの形相を物ともせず、膝付いた大男の顔を掴み引き上げる青年。
「お前がこの子の親じゃなくて良かったよ。これで心おきなく潰せるからな」
周囲が息を呑む中、青年が男の顔面に蹴りを入れようとしたその時だった。
そこで灰色の分身達は煙のように消え失せ、そして歪んでいた灰色の空間もまた元の色彩を取り戻し始める。
映し出された光景を前にヴァルコイドはただ呆然と立ち尽くしていた。そんな彼に向かって今言葉を紡ぎ始めるGM。
「PLAYER Valcoid に告ぎます。あなたの行為はARCADIAにおける規約に違反しました」
GMの言葉に怒りと同時に焦燥の表情を向けるヴァルコイド。
「公共良俗に違反する行為、これは他者であるプレイヤーに迷惑を掛ける行為を含みます。また今回の場合は過渡の暴行罪がリプレイ検証により立証されました。よって厳正なるペナルティを付加させて頂きます。ペナルティの内容は現実時間において一ヵ月間アカウントを停止とさせて頂きます。なお、ARCADIAの利用規約により本件は現実に於ける治安機関に報告させて頂きます。またゲーム内において今後あなたの行動は定期的に査定を行うものとし、もし被害者の方々への報復行為、またそれ以外の犯罪の予兆と取れる言動が確認された場合、同様にペナルティを付加させて頂きます」
GMパトリシアの宣告にヴァルコイドの表情が怒りに歪み始める。
「ふざけるな! 一ヶ月間のアカウント停止だと? この世界で言えばそりゃ二年だろうが!」
二年という期間は冒険者にとって致命的な遅れとなる可能性がある。それを恐れたのか、ヴァルコイドはGMに対して脅迫めいた言動を取り始める。
「俺は謹慎処分なんて受けるつもりはねぇ。ここでてめぇをぶっ殺せばそれで済む話だ。違うか?」
不気味な微笑みを見せるヴァルコイドが銅斧を今片手に振り被り、パトリシアの元へと一直線に駆けて行く。
「死ね、この糞尼が!」
大男のその凶撃に対してGMパトリシアは表情を微塵も変える事は無かった。
ただゆっくりと錫杖を持った右手を掲げると、一語を解き放つ。
「TIME STOP」
同時にヴァルコイドを中心に空間が収縮し、駆け寄った彼の動きが急速にその動きを緩め地表で停止する。文字通りの停止、瞬きをする事はおろか呼吸をする事さえない。彼の時は完全に止まっていた。
灰色にその彩色を失った彼の姿を見て冒険者達は息を呑む。
「これよりPLAYER Valcoidをペナルティエリアへと強制転移します」
宣告と共にパトリシアは錫杖をヴァルコイドに差し向けるとその瞬間、彼の身体が光に包まれる。
「転送三十秒前」
一同はただ眼前で執行されるその処罰内容を目視していた。そんな冒険者の中で固まっていたマイキーに対して向き直る
「プレイヤー間に於ける諸処の問題において暴力による解決は本規約では認めておりません。この度のマイキー様の行動は規約に抵触する恐れがあります。今回は直接的な暴力行為に及んでいませんので、口頭による注意という形を採りたいと思いますが今後は呉々もご注意下さい」
GMの言葉に無言で頷いたマイキーは強制転移と共に空間の歪みに消えて行く彼女の姿をただじっと見つめていた。
空間内に残された冒険者はただ今起こった出来事を思い返す。いつの間にか砕けたテーブルや椅子は元通りに修復されていた。
取り残された少女はただうろたえながらテーブルに付いたヴァルコイドの連れ、フランスキーを見上げ呟く。
「あの……わたし……」
戸惑う少女に向かって金髪の青瞳の青年はふっと微笑すると、そっと腰を浮かせキティの顎を吊り上げる。
「お前のお陰で飛んだ事態になったね。ヴァルコイドの代わりなんていくらでも見つかる。今までよく働いてくれたね。だけどお前はもう用済みだ。どこへでも行くがいい」
「え……え……」
少女の悲痛な嘆願の眼差しに青年は立ち上がると、連れの女も立ち上がる。
彼はその後見向きもせず、少女に背を向けて立ち去って行った。連れの女ベラは去り際キティに「この役立たずが」と蔑みの視線を残して去って行った。
騒然とする場内の中、取り残された少女の背後では意識を失った青年が医務室へと運ばれて行くところだった。
瞳の涙を溜めながら、青年の後姿に目を沿わせる少女。完全に孤立した少女に残されたのは深い悲しみだった。
今までどんなに辛い状況でこのゲームをプレイしていたのか、恐らく辞めれば現実で危害を与えると脅迫されていたのだろう。この世界でただ虐げられるだけの生活から突然解き放たれた彼女は今完全にその目的を見失っていた。
自分自身どうしたらいいのか、分からず周囲の冒険者に視線で訴え掛けていたその時だった。突然、一人の影が彼女の元へと歩み寄りそっと抱きしめる。
「辛かったね。でももう大丈夫だよ」
美しいブロンドの髪を靡かせるその後ろ姿はアイネに他ならなかった。
「あの……わたし……」涙を溜めて呟く少女の頭をそっと撫でながら笑顔を見せるアイネ。
「大丈夫、これからはお姉ちゃんと一緒に冒険しよ、ねっ?」
その言葉に顔を上げたマイキーがアイネに向かって言葉を掛ける。
「アイネ、お前何考えてる。その言葉の責任分かってるのか」
マイキーの言葉にアイネは振り返ると「分かってるよ」と真剣な眼差しを返す。
「私はアイネって言うの。ねぇ、あなたのお名前教えて。年は幾つ?」
「キティ……六才」
少女の言葉にアイネは今一度彼女の頭を撫でるとそっと抱きしめる。
そこへ背後からゆっくりと歩み寄るマイキー。
「六才の少女が自立意志なんて持ってる訳が無い。理由は分からないけどな。彼女がこの世界へ一人で来てる以上、お前の言葉はこの世界での彼女の保護者になるって意味だぞ」
マイキーの言葉に立ち上がるアイネ。
「それなら私保護者になる」
その安易な言葉を聞いてマイキーはその表情を険しくさせる。ジャックは窓際で香煙草を吸いながらただじっとその成り行きを見守っていた。
「お前、本当に責任取れんのか?」とマイキー。
その言葉に視線でその意志を返すアイネ。キティはただ不安そうにマイキーとアイネの様子を見守っていた。
溜息を漏らしたマイキーはそんなキティに向かって身体を屈めると、真っ直ぐにその瞳を見つめ言葉を掛ける。
「キティって言ったな。始めに言っておく事がある。僕らは連中みたいに君を不当に扱ったりしない」
その言葉に無言で頷くアイネ。そしてマイキーはさらに言葉を続けた。
「ただし、僕らは君を特別扱いもしない。対等な冒険者として扱う。それでもいいなら付いて来るか?」
マイキーの言葉にキティは涙目でこくりと頷いた。首を振れる訳も無い。彼女にとってはこの世界では今縋れるものは何一つ無くなってしまった。目の前で手を差し延べたアイネの言葉以外に彼女が今頼れるものは無いのだ。
その表情を見てマイキーは再び溜息を漏らすと、そこで初めて優しい微笑みを浮かべた。
「それじゃ、今から君は僕達の仲間だ。僕はマイキー、よろしくな」
マイキーの微笑みかけに不安で表情を歪ませていたキティの表情がそこで初めて緩む。その様子に成り行きを見守っていた周囲の冒険者達からも微笑みが漏れる。
窓際で香煙草を吸っていたジャックは灰皿に捨て、歩み寄ってくると彼女に自己紹介を始める。
「俺はジャックって言うんだ。外で他の冒険者に苛められたら俺に言いな。ぶっ飛ばしてやるから」
「お前の発言は現実化しそうだからな」
マイキーの言葉に苦笑するジャック。
「お前に言われたくねぇよ。さっきお前完全にリミッター切れてただろ。GMがあと一歩来るタイミング遅かったらお前もペナルティ喰らってたぜ」
そんなジャックの言葉にマイキーもまた苦笑する。
そんなやり取りに若干の不安を覚えたのか、周囲の冒険者の中には心配そうな表情を浮かべる冒険者も少なくなかった。
そんな視線を振り切るように今立ち上がる一同。
「それじゃ、皆でカジノ行こっか。キティちゃん、カジノって知ってる?」
アイネの言葉に首を振るキティの様子に一同の表情が笑顔へと変わる瞬間。
新しい仲間を一人加えて、今三人は夜海の上の賭博場へと想いを馳せるのだった。