S1 少女を巡る喧騒
旅客定員数二千名を誇る定期船マリーンフラワー<Marine Flower>号。その美しい外観から『海洋の花』とも謳われるこの船は一日に七便、エルムの村からレクシア大陸に存在する港町スティアルーフに向けて出航している。マイキー達は午後八時の便で、エルムの村から旅立ったのだった。
エルムからスティアルーフまでは普通定期船では四十八時間の航程を要する。いわゆる旅船というものに乗ったのは現実でも一行にとって初めての経験だった。その初めての体験に心を躍らせる一同。素直に感情を表に出して大喜びするアイネやジャックとは別に、普段は冷静なマイキーでさえも、そんな興奮を隠し切れない乗船者の一人と化していた。
夜海の美。その世界の美しさは変わる事は無い。甲板で潮風を充分に浴びた三人は、高鳴る胸の鼓動を抑えながら、既に点々と化したティムネイル諸島に別れを告げた。
「さて、それじゃ船上のバカンスと洒落込むか。飯行こうぜ」
「私もうお腹ぺこぺこ」
ジャックの言葉に笑顔で後に従うアイネ。その後にマイキーも続く。
屋外の階段を登り二階、第二甲板のレストランフロアへと赴く三人。真白なテーブルと椅子が並べられたオープンテラスにはガラス張りの涼しげなレストランが建っていた。
レストランから漏れる光に誘われるように足を向ける三人。大理石のような光沢を持つ美しい石柱を潜ると、頭上に掲げられた青地の石版に白の刻印で記された『CREWS × CREWS』という文字が目に映る。
店内に入るとまずそこには端末が配置されたカウンターが並んでいた。入口から中で食事を取る冒険者達の様子を覗くと、そこでは立ち上がっては所定位置に並べられた料理を取り自ら配膳する様子が窺がえた。
「バイキングなんだここ。なるほど、それでこのカード発行の券売機があるのか」
そうして、手早くPBを端末コードに接続したマイキーは、カードを発行して二人にひらひらと振って見せた。その様子を見て手早くカードを発行するジャックとアイネ。
発行したカードをバイキングエリアの入口に設置された改札機に通す。ここでプレーヤー認証とセキュリティチェックが行われる。隣でカードを持たずに侵入した冒険者が赤点滅の光と共に妨害板で弾かれるのを見て、アイネは少しビクついた様子で腕を浮かせながら通って行く。その姿に微笑を浮かべながらジャックは隣の冒険者に券売機で購入するように一言告げ、二人の後へと続く。
中には赤地に美しい黄金色の紋様が描かれた絨毯が敷き詰められていた。その上には黒の支柱に真赤なテーブルクロスと椅子が空間を彩っていた。
「思ったより空いてるな。適当に窓側座ろう」
マイキーの誘導に窓際の席に腰を下ろす三人。
窓から望める景色は、月明かりの夜海。その景色を前に三人は今豊かな食事を装い始める。
真白な花弁のように美しいシーフラワーという海草のサラダ。エルム近海の特産であるスキュワ―レという体長一メートルにも及ぶ巨大な海老の姿蒸し。ピノと呼ばれる海底に生えるという茸を使った海の香り豊かなパスタ。そんな見た事もない海洋生物の料理の数々に、一同は舌鼓を打ちながら、船上のレストランを満喫していた。
「食事が終わったらカジノ行こうよ」と食後のコーヒーを口元に当てるアイネ。
彼女の言う通り、この船の三階である第三甲板にはカジノが存在するようだった。
ジャックは灰皿に香煙草を擦り付けながら、口から煙を吐き出す。
「ルーレットでもやって金増やすか」
「減らすの間違いだろ。お前歯止め効かないから心配なんだよ」
ジャックの言葉に失笑するマイキー。その台詞を耳に微笑みを零すアイネ。
そんな折だった。ふと隣のテーブルから怒号が飛び、周囲の冒険者の注目が集められる。
「てめぇ、何ボケッと突っ立ってんだ。普段役に立たねぇんだからこういう時に働け。さっさとビール持って来い」
「は、はい……ごめんなさい」
栗色のおさげ髪に大きな黒の瞳。大柄の男の言葉にビクッと身体を震わせた少女は、その足で食膳の方へと向かい小走りに駆けて行く。まだ年端も行かないその小さな影を睨み付けながら、大柄の男を含めた一向はテーブルに付き腰を下ろす。
一体彼らはあの少女とどんな関係なのか。少女がビールを持ってくると男二人と女一人は礼も言わずにビールを奪い、彼女には座らせもせず今度は酒の肴を要求する。
「何でもいいから摘みになるもん持って来い。早くしろ!」
少女が無言で頷き走り出そうとすると大男の怒号が再び飛ぶ。
「返事しろよ、てめぇ!」
「はい……! ごめんなさい」
縮こまった少女の身体が再び駆けて行く。その姿を周囲の冒険者はただじっと見守っていた。
食事を終え、食後のコーヒーを楽しんでいたマイキー達もその手をふと止める。
「なんだあの野郎、食事中に胸糞悪いぜ」と振り向いて睨みつけるジャックを制すマイキー。
「止せよ、ほっとけ。視線合わせるな」
その言葉に納得の行かない表情でジャックがテーブルに向き直った時、この時既にマイキーはPBを開き問題の連中のネームを確認していた。
三十代前半に見える大柄の男がValcoid、もう一人二十代前半の細身の男がFransky、そして駆け回る少女の様子を怪訝な表情で睨みつける三十路前の女がBela。不当に虐げられている少女の名はKittyと記されていた。
それだけ確認するとPBを閉じて黙って静かにコーヒーを口元に当てるマイキー。
プレーヤー間の揉め事にはなるべく関わらない事が賢明だ。無闇に首を突っ込んでもろくな結果にはならない。彼らの関係は傍目には定かでは無いが、仮にここで彼女を助けたとしても、もし彼らの関係が親子のように血縁関係だったとしたら、現実に戻って彼女がさらなる虐待を受ける可能性がある。その可能性が零で無い限りここで安易に動く事は彼女を危険に晒す事になる。ここは様子を見て万が一の際はサポートセンターに虐待報告として調査を依頼する、それがマイキーの考えた選択肢だった。
椅子に座らせて貰えずただ料理を運ぶ少女の姿。突きつけられる怒声にただ必死に命令に従う健気なキティ。次第にその光景は周囲に明らかに痛々しく映り始めていた。
一人の冒険者がここで立ち上がり彼らの元へと近寄って行く。
「おい、あんた等。その子とどういう関係なんだ」
周囲の耳がその男の言葉に一斉に向けられる。
大柄の男、ヴァルコイドは青年を一瞥すると鼻で笑う。
「てめぇに何か関係あるのか。部外者はすっこんでろ」
「関係あるさ。食事中に随分と気分を害されたもんでね。その子が可哀想だとは思わないのか?」
その言葉に次第に怒りを露にするヴァルコイド。
食事を持ってきたキティはどうする事も出来ない様子でただじっとその場でうろたえていた。
次の瞬間、テーブルが男の片足によって大きく蹴り上げられる。
食事ごと宙を舞うテーブルの様子に周囲が騒然とし始める。
「てめぇ、舐めてるのか。こいつはこの世界で一人今みたいにうろたえてる所を俺達が拾ってやったんだよ。こいつは意志を持たない屑だ。だから俺達が導いてやってるんだ。文句あるか!」
ヴァルコイドの怒声に負けずと青年も言い返す。
「意志を持たない屑だって? こんな幼い子がこの世界に一人で来たら不安になるのは当たり前だろ。この子はお前達を頼りにしてるのに、お前等の扱いがどれだけ彼女に恐怖を与えてるか、それが分からないのか」
「ごちゃごちゃ五月蝿ぇんだよ!」
ここでヴァルコイドが抜いた銅斧が空を斬り、目下のテーブルを真っ二つに両断する。それは明らかに対人に向けられた凶行だった。
だが、流石は早期の段階でレクシア大陸への渡航権利を得た冒険者達だけある。銅斧が振り翳された瞬間、青年は既に一歩身を引いていた。
ここで青年もまた銅の短剣を引き抜く。その様子を外野で微笑を浮かべて見つめるヴァルコイドの連れフランスキー。彼の隣で両手を広げたベラが「お気の毒」と一言呟いた。
「短剣を引き抜いたって事は、なぁ」
迫るヴァルコイドの気迫にたじろぐ青年。
「これからお前をぶっ殺しても文句無ぇって事だよな!」
銅斧を振り翳し狂気の表情で青年に襲い掛かるヴァルコイド。
蹴り飛ばされたテーブルの残骸の直撃を受けた青年の一瞬の隙に、ヴァルコイドの一撃が青年を襲う。鈍い衝撃音。頭部に斧の直撃を受けた青年の身体が屈んだ瞬間、ヴァルコイドの強烈な蹴りが青年の身体を隣のテーブルまで弾き飛ばす。
周囲から巻き起こる悲鳴。倒れた青年は地面に伏せたまま微動だにしなかった。そこへ駆け寄りその頭を踏みつけるヴァルコイドが大声で雄叫びを上げる。
「俺に逆らうんじゃねぇよ! 逆らう奴は皆こうなるんだ! よく覚えとけてめぇら!」
その余りの光景にジャックが立ち上がったその時だった。立ち上がった彼の前を先に歩むその影。
辺りが静まり返る中、その影は青年を踏み付けるヴァルコイドの元へと歩み寄る。
「何だてめぇ、ぶっ殺されたいのか!」
怒声にまるで怯まず近寄った影は男に近付くと、その顔面に唾を吐き掛ける。
唾を吐き掛けたのは紛れも無いあのマイキーだった。
「汚い面がこれで少しは綺麗になったか。感謝しろよ」
マイキーの言葉にわなわなと身体を震わせる大男。
「ぶっ殺してやる!」
大男が叫ぶと同時に突き出される手首。マイキーは軽くそれを片手でいなすと内側に向かって捻じ込む。関節に走る衝撃に自然と身体を折り曲げた男の身体がその場に沈む。
その様子を見てジャックは香煙草を口に咥えながら一言「終わったな」と呟いた。
睨み付けるヴァルコイドの形相を物ともせず、膝付いた大男の顔を掴み引き上げるマイキー。
「お前がこの子の親じゃなくて良かった。これで心おきなく潰せるからな」
マイキーの言葉に外野のフランスキーが立ち上がったその時だった。
まるでその動きに牽制を掛けるかのようにジャックが彼の前に立ちはだかる。
「残念だったな。あいつリミッター外れちまってる。ああなったら俺にも、もう止められねぇよ」
周囲が息を呑む中、今マイキーが男の顔面に蹴りを入れようとしたその時だった。
突然、周囲の空間が歪み、円状の歪んだその空間が光を放出する。その空間から今ゆっくりと現れる人影。
「何だ……?」と歪みに視線を凝らすジャック。
蒼白の翼をはためかせ、白銀に輝く鎖で出来た三尾を纏ったその姿。美しい白羽根で飾られた羽帽子と、目を覆うように装着された妙な機械から、その表情を窺う事は難しい。
天使と喩えるにはその姿は厳しく、裁断者と呼ぶにはあまりに美しい。この美しき裁断者の存在はこの世界ではある呼称を持っている。
当惑する一同を前に今彼女が皆に向かって一礼した。
「まさか……」
躊躇うマイキーの頭に過ぎる言葉。そう、彼女こそが。
――Game Master<ゲームマスター>だ――