S22 踏破者へのご褒美
緑園の孤島の洞窟の奥深くで聖獣シムルーの討伐を見事果たした三人。
シムルーの亡骸からDNA鑑定のために『シムルーの鬣毛』をマテリアライズした彼らは、光珊瑚の淡い光に満ちたこの空間から出る方法を探っていた。
ここへ来るまでに通ってきた洞窟、またその対の位置に口を開けていた南側からの洞窟位置には自然オラクルが発生し、海岸へ引き返す事が出来なくなっていた。
自然オラクルの発生原因についてはその解析が極めて困難な場合が多い。ここでも発生の起因については『unknown』と表示が浮き上がっていた。
「完全に閉じ込められたな。ここからどうやって出ればいいんだ」
周囲を見渡しながら呟くジャックに、アイネもまた水場周りの外壁を巡りここから脱出する術を探していた。
「必ず抜け道はある。なにか見落としているだけなんだ」
マイキーの言葉通り、空間の東側の壁面には一メートル程の高さの位置に小さな横穴が一つだけ存在した。他に洞窟らしき空洞は存在しない。
三人は僅かな希望を掛けて、やっと人が一人通れる程のその小さな横穴に身体を滑り込ませる。横穴の中は垂直に近い急な螺旋構造に為っており、その僅かな細穴を地上目掛けて必死に登る以外に彼らが取れる選択肢は他に無い。
「シムルーちょっと可哀想だったね」
先頭のアイネの言葉に顔を顰めるジャック。
「可哀想かどうかは別として俺等が倒しちまったら後発のプレーヤーってどうするんだ」
ジャックの素朴な疑問に最後尾を務めていたマイキーが口を開く。
「別に不思議な事じゃないさ。リポップ時間の調整。もしくはインディビジュアルシステムを利用すればいい。多分後者だろうな。気付いたか? この洞窟に侵入してからこのエリアに存在してるのはパーティを組んでる自分達三人しか存在しないんだ。藁々の風呂場と同じ原理でこの洞窟へ足を踏み入れた瞬間に、位相ずらされたんだろきっと」
外壁を覆っていた光珊瑚も次第に姿を消し始めていた。地上が近いのだろうか。
螺旋洞窟を登り続けた三人は、いつしかその視界に光を見る事になる。光珊瑚とは異なる淡い朱色。その光に導かれるように三人は今暗い洞窟の中から飛び出した。
光の正体は日が沈みかけた夕焼けの空だった。辺りを見渡したマイキーはふとその光景に声を上げる。
「ここって……もしかして」
背後に聳えるは雄雄しく聳える巨大な一枚岩。天を突くその岩にはよく見覚えがある。そう、ここは紛れも無くあのGrande Rock Piasだった。
ここで、記憶の断片がマイキーの中で一つの繋がりを形成する。自然オラクルによって通る事の出来なかったあの洞窟は、聖獣の間に繋がる洞窟からの帰り道だったのだ。シムルーのクエストに成功したプレイヤーは必ずこの道を通り、そしてこの高台から望める素晴らしい景色を一度は目にする事になる。差し詰めクエスト成功者のご褒美と云ったところだろう。
岩壁へと向かい夕焼けに下に生える緑の大自然の姿を眺め、背伸びをする一同。アイネは初めて目にする光景を前に瞳を潤ませていた。
「これがこの島の神秘の正体か。全く苦労させてくれたよ」とマイキーの言葉にジャックが香煙草の煙を大きく吸い込み吐き出した。
「さながら俺達はこの島の踏破者ってとこか。苦労させられた分、気分は最高だな」
この島の神秘を攻略した今、後はジャックの言うこの踏破者に捧げられた景色を噛み締めて、村へと帰還するだけである。だが、一度Grande Rock Piasへの山登りを経験している二人にとってその長く険しい道程は疲れた今の彼らにとっては至難だった。
今夜はここで一泊するか、そんなジャックの提案を飲みたいところではあるが、生憎この辺りにはキャンプに充分なスペースは存在しない。それに彼らは既に昨夜のキャンプで使い捨てテントを消耗していた。つまり、ここでジャックの言うキャンプとは完全なる野宿を示すのである。当然、そんな提案をアイネが了承する訳も無く、一同は疲れた身体を引き摺って村へと帰還する事を決意するのだった。
ふと岩壁から眼下に広がる光景を改めて見下ろすマイキー。その姿にジャックが振り返り言葉を掛ける。
「どうしたマイキー。やっぱ野宿したくなったか?」
「死ぬ気があるなら今から僕の提案に乗ってみないか」
マイキーの言葉に顔を見合わせるジャックとアイネ。
PBから一枚のカードを取り出したマイキーは二人の前にリアライズという宣言によってそのアイテムを展開して見せた。
その大型の機材に思わず目を丸くするジャック。
「何だよ、これ。翼が付いてる。飛ぶのかこれ」
「ハンググライダーさ。エルムの道具屋で使い捨てが売ってたんだけど、今一その用途が分からなくてさ。だけど存在する以上、使い道が在る。ここから先はあくまで僕の推測だけど。この近辺でこのアイテムの使い道を考えた時にこの場所以外での使い道が思い当たらなかったんだ。勿論、読みが外れて失敗すれば崖から落ちて死ぬだけさ」
マイキーの言葉に微笑するジャックとアイネ。
「疲労的には致死レベルだしな」
「やろうよ。空飛べるなんて夢みたい」
死中に活とはこの事か。ベルトで身体をしっかりと固定し、ダウンチューブとの間に身体を潜らせる三人。
このハンググライダーは一枚で三人まで乗る事が出来る。
カードの注意書きにはこのハンググライダーは初心者用で前に進む事しか出来ないという奇妙な文言が記されていた。
だが、その文言は逆に三人にとってはこの賭けの成功を予感させる。Grande Rock Piasから今三人が見下ろす視界の先にはあのイルカ島が夕焼けに浮んでいた。
「余計な事は考えなくていい。足並みを揃えて真っ直ぐ離陸すればいい」
真ん中で二人に指示を出すマイキーの言葉に両隣のジャックとアイネが頷く。
アイネはこんな状況にも関わらず、空を飛べるかもしれないというその期待に表情を輝かせていた。ジャックはというと為るようにしか為らないと呟いて覚悟を決めたようだった。
「それじゃ皆左足からゆっくり踏み出そう。向かい風に対して翼の角度が揃うように」
マイキーの指示に従って今ゆっくりと岩壁に向かって走り出す三人。
高まる緊張感。三人の足並みは揃っていた。そして揚力によって浮き上がるその浮遊感を感じながら今三人は地表を蹴って岩壁の外へと身を投げ出す。
不安の一つだった急激な落下運動が良い意味で予想を裏切った。今緑園の孤島の夕焼けの空に舞い上がる三人の姿。
全身を包み込む風の流れを感じながらアイネは歓喜の声を上げていた。
「見て、私達飛んでるよ。信じられない」
しっかりとグリッドを握りながら歓声を上げるアイネの反対側ではジャックが眼下の光景にただ無言で微笑んでいた。
「ほら、あそこ冒険者居るよ。見て」
そんなアイネの言葉を聞きながら中央のマイキーは握っていたコントロールバーをやや手前に引きその速度を早め調節する。
カードの説明に書いてあった通り、この機体では方向を指定する事は出来ない。出来るのはスピードの調節のみである。
風に乗った三人の身体はあっという間に緑園の孤島に東海岸まで、滑空するとそのまま星砂の海岸線の上空へと差し掛かる。ここまで来るとハンググライダーの高度も下がり、既に百メートルを切っていた。
「エルムの村まで行くのは無理か」とジャックの言葉にマイキーはコントロールバーを手前に引きその速度を緩め調節する。
「もう一度上昇気流を掴まえられれば行けるかもしれないけど。ここら辺にはその気流が無いみたいだ」
マイキーの言葉に残念そうに頷くアイネ。彼女にとってはこの短い空の旅は名残惜しいものだった。
そして、イルカ島の西海岸を目前にして海面に落下すると同時に機体をロスト<消滅>させる。
海上から顔を出した三人は満面の笑顔でお互いの無事を確認する。
思いも寄らない空旅もまたこの世界での醍醐味の一つなのか。現実ではとても挑戦するには気が引ける内容もこの世界では不死、即ち、安全という前提の元に挑戦する事が出来る。
三人は確かな充実感の中で、最後の力を振り絞り今海岸を目指して泳ぎ始めるのだった。
▼次回更新日:6/9
次話S23を以って序章の最終話とさせて頂きます。
まだ物語としては導入部分ですが、本作にお付き合い下さりありがとうございました。
引き続きARCADIA ver2.00を宜しくお願い致します。