S21 VS Simuluu
青く輝く水面の上を、ゆっくりと這うその白影。
滑らかなその灰白肌の処々には白化した貝殻がこびりつき、その風格は長い年輪を感じさせる。その姿はかつての地球にも白亜紀と呼ばれる時代に存在していた大型生物を彷彿とさせる。肢体から伸びた長い首に沿って生えたその白い鬣、そして頭側部から天に向かうその雄雄しい鹿角はこの生物が、この島の守り神である事を示す象徴。
水面と薄暗闇が生み出す青と黒のグラデーションの中に凛然と浮かぶその白亜の姿は、目の前にした一同にとってあまりにも美しく、相対して暫く経った今も手にした武器を前に掲げられない一因であった。
「こいつが……Simuluu」
辛うじて声を漏らしたジャック。言葉を失っていた二人はそれをきっかけに我を取り戻す。
それは未だかつて見た事のない生き物だった。その姿形に形容の仕方が分からず一同はただ視覚として認識する以外に術は無かった。
漂うその風格に気圧されしたのか、聖獣と呼ばれるその神秘の存在を前に三人は微動だに出来ずに佇んでいた。
聖獣は静かに水面から長い首を擡げると、円らなその青い宝石のような輝きを放つ瞳で三人の姿を捉える。
互いの視線が絡み合う瞬間。そして静かにシムルーは空間にその鳴き声を響き渡らせ始める。
「Cuiii」
同時に水面上に浮かび上がる巨大な水球。
臨戦態勢に入った敵の姿を前に、そこで一同は初めて自らが置かれている状況を理解する。
◆―――――――――――――――――――――――――――◆
▼期間限定クエスト
◆―――――――――――――――――――――――――――◆
○幻の聖獣Simuluuを追え(推奨Lv4~:難易度☆☆☆)
ティムネイル諸島の何処かのエリアに幻の聖獣シムルーが存在するという噂が飛び交っている。このエリアでの主な任務としてこの聖獣の調査に当たって貰う。発見した場合、戦闘になる可能性は非常に高い。ターゲットの生死はこの際問わない。DNA鑑定のため討伐した際はターゲットの遺留品を確保するように。発見者には次の調査目標であるレクシア大陸への通航許可証を与えるものとする。
◆―――――――――――――――――――――――――――◆
シムルーから今放たれる巨大な水球。素早く散開した三人の背後で弾けた水球が大きな水飛沫を撒き散らす。
咄嗟に身体を反転させたジャックはその水飛沫の軌跡を見つめながら、香煙草を口に咥える。
「白亜の聖獣とは出会えて光栄だな。折角の機会だ。売られた喧嘩もついでに買っとくか?」
呟くジャックに離れた位置からマイキーが声を張り上げる。
「目的を考えろジャック。自分達に選択肢なんて無い。これはただの一択だ」
そんな会話を交わすマイキーの向かいではアイネが弓を構えながら窪みの外周の足場を駆けていた。ふと足を止めた彼女がアイサインをマイキーに送る。
「弓で遠距離から攻撃するんだ。中央の水場は敵の領域だ。敢えて危険を冒す事も無い」
その言葉に一斉に弓を取り出し構える三人。
中央の水場ではシムルーが散開した三人目掛けて次々と水球を放っていた。だが次々と云えども矢継ぎ早にその攻撃を行える訳では無いようだった。水球を生み出すには約五秒間の生成時間が掛かる。つまりその五秒間が空白時間となる。
三人からの雨霰と降る波状攻撃を前に苦痛の悲鳴を上げるシムルー。
遠距離からの攻撃が有効な事は誰の目にも明白だった。敢えて水場の中に飛び込んで不利な条件で近接攻撃を仕掛ける理由は無い。
「余裕だな」とジャックの呟き。
だがマイキーはここである懸念を浮かべていた。中央に水場がある以上、冒険者がここで足場が存在する外周から弓で遠距離攻撃を加える事は自然な理論だ。
プレーヤーの多くが打ち出す行動理論に対して、これでは余りにも手応えが無さ過ぎる。
――とてもこのまま終わるとは思えない――
まるでこうなる事を予め想定されて誘導されているようなその違和感。そしてマイキーのその危惧は現実のものとなる。
いつしか空間には白い霧が立ち込めつつあった。それがシムルーの体表から噴出されているという事実に三人が気付いた時、一同の視界は完全に白転していた。
「なんだこの霧……何も見えないぜ」とジャックの声。
空間の外周に散っていた三人はここで完全に分断される事になる。加えて敵の姿は愚か、自分の足元さえも視認する事が出来ない程の濃霧に包まれていた。
敵の気配を見失った一同が緊張に包まれる。
「皆、気をつけろ」
マイキーの問い掛けに声を張り上げて答える仲間達。
だが、その時アイネの悲鳴が空間に響き渡る。慌ててマイキーが悲鳴の元へと駆け寄り始める。
前後左右の確認出来ない状況で、いつしか足場を失った彼は膝元まで水場に浸かった足を振り上げながら悲鳴の元へと近寄る。
「アイネ、大丈夫か!」
マイキーがそう呼び掛けたその時だった。突然、マイキーの視界に現れた巨大な灰白色の肌。その存在に気付いたマイキーが身体を反転させようとしたその時、彼の身体は巨大な角によって掬い上げられていた。
長い首によって繰り出されたその一撃にマイキーの身体が浮遊し、外壁まで弾き飛ばされる。
背中に走る重い衝撃にその場に崩れながら、マイキーは腕を立てて必死の想いで立ち上がる。
空間内で上がる仲間達の悲鳴。明らかに状況は転じて最悪のものとなった。
「くそ、霧のせいで何も見えねぇ! ぐぁぁ」
ジャックのそんな苦悶の叫び声が聞こえてきた。
霧の中を自由に移動して、攻撃を仕掛けてくる敵を前に三人には為す術が無かった。
ダメージを受けた身体を奮い立たせながらマイキーは必死に現状を打破する方法を探っていた。
何か根本的な見落としをしている気がする。冷静に為れ。
そうして、マイキーがふとPBを開き、自らの残りHPを確認しようとしたその時だった。決定的なその事実に気付いた彼が皆に向かって声を張り上げる。
「マップスキャンだ」
マップスキャンの画面ではシムルーの詳細情報は<解析不可>表示で読み取る事が出来ない。ただ解析画面上で敵の存在する位置は赤●で表示されている。つまりこの赤●の位置によって敵の方向を探る事が出来る。
そして、マイキーのこの一言が起死回生の転機となった。迫り来る敵の気配をPB上で探りながら弓矢で再び攻撃を加え始める一同。
「Cui Cuiii」
シムルーの苦痛の悲鳴が再び空間に響き渡り、確かな手応えを感じ始める三人。
「手を緩めるな。仲間に当たったっていい。敵の方向に向かって狙い撃て」
響き渡るマイキーの指示。彼は頬元を掠める前方からの流れ矢を前に一歩も引かず自らも矢を放ち続ける。
美しきこの洞窟で、静かにこの島を見守っていた主は今まさに力尽きようとしていた。その存在に敬意を払いながら、マイキー達はこの戦いを自らの糧とする。
かつてない緊張感に息を切らせ三人は、高まった鼓動を抑えるために胸に手を当てながら必死に自分自身を抑えていた。
いつしか濃霧は晴れ渡り、洞窟内には再び淡い光珊瑚の輝きで溢れていた。戦いの手を止めた三人は今水面に横たわる美しき聖獣の姿をその瞳に焼き付ける。
「……倒したのか」
そう呟くジャックの言葉を背後に水場に足を踏み入れたマイキーは静かに倒れているその美しき存在に手を掛ける。大量の生命力の放出を示す立ち昇るLEの光を見つめながら、そっとその鬣を撫でる。
こうした偉大なる存在を乗り越える事こそが、まさにこの試練が示す『洗礼』の形なのだろう。
水面に倒れた偉大なる主を前に、そこには今まさに試練を乗り越えた者達の姿があった。
▼次回更新日:6/8