S2 光の迷宮
聳え立つ塔は永遠を感じさせる。だがそれは錯覚では無い。
東から昇った太陽が作る影はバスティアの大地を両断する。まやかしの夜にメルボルが夜鳴きする頃、荒野のワイルドファング達は、サボテンの影で夢を見る。空はまだ明るいにも関わらずだ。
全ての自然則が突如として現れたこの塔によって崩壊する。
これが神々の意志ならば、何人にも到底理解する事などできまい。
だが無謀にも地上生物の中で唯一抗う種が存在した。
神の御前では無能に等しい哀れな創造物だが、一つ張り合えるモノがあるとすれば知的好奇心だと云える。その飽くなき知的欲求こそがこの種の進化の象徴。
神の目に彼らはどう映っているのだろうか。
世界という箱庭で神の創造物に挑む人間を微笑ましくにでも見守っているのだろうか?
現地には多くの冒険者が集まっていた。だが賑わっている訳では無い。何をする訳でもなく無言のまま空を見上げて突っ立っているのだ。
荒野の風土に晒された外壁は、砂に塗れながらも純白を保っている。神聖という言葉が当て嵌まるのかは、もはや理解の範疇を超えている。ただ少なくともその様は不自然なまでに美しい。
得体の知れない神秘の実体を目の当たりにした時、そこには放心したオブジェが一つ増える。訪れた冒険者は皆一様に足を止め、人だかりの一部と成り下がる。
夢と現実が飽和するような奇妙な感覚。
神秘は時として人心を惑わす。その証拠に塔の周りでは錯乱したように群集に呼び掛ける宗教者が存在した。
「見よ、聳え立つ塔の姿を。これは偉大なる神の御意志である」
この塔が神の意志だという根拠は、もはや導師によっては必要など無いのだろう。
たとえ無根拠でも、目の前の神秘が催す得体の知れない衝動に突き動かされて、同様に神の意志を感じ取る冒険者達がその場には少なくなかった。
「導師様、この塔が神の御意志であるならば、我々はどうすれば良いのですか。進むべき道を御示し下さい」
「簡単な事よ。塔を昇るのだ。最上階に我々の求める幸せがある」
群集の一部が歓声を上げる。同時に怪訝な表情で拒否反応を見せる冒険者達も少なくは無い。
「馬鹿らしい、たかがゲームに幸福論なんか持ち込むなよ。ここは宗教語る場所じゃねぇんだよ」
「背徳者め。今に罰が当たるぞ! 貴様は地獄に落ちるのだ」
導師の叫び声と共に場が騒然とする頃――
荒野には噴煙を撒き散らし走り込んできたクラフトローラーが荷を降ろし始める。
現地に到着した冒険者達に紛れて赤土を踏んだマイキー達は現場の荒れ模様に苦笑いを零すと、例外無く眼前の白の巨塔を見上げ観客と同化する。
道中のクラフトローラーでは始終の塔の姿を確認する事ができた。
だが、実際に目の当たりにすると別質。遠目にはまだ幻想に留まっていた認識の中に、突如として実体が浮かび上がってくる。ふわふわと漂う煙に触れる事はできても掴む事はできない。そんな事は子供だって知っている。
吹き流れる香煙草の煙を見つめるジャックは何を想うのか。
「ただの幻想じゃなかったか」と浮かべた半笑いはきっとろくでもない事を考えているのは確かだろう。
「いよいよというべきか夢物語が身に迫ってきたな。こいつは一体僕らをどこへ連れてってくれるって云うんだ?」
「天国じゃないかな。きっと」
真面目に返したタピオの答えをマイキーは敢えて否定しなかった。
馬鹿らしいと思えた。塔の行く果てが天国だなんて、幻想の終着点にしては余りにも発想がチープだ。
だが、仮にもし本当に天国が存在するならば――と、そうも思えた。
天国への筋道を飾る始発点。そこは荘厳な門で飾られている。
ラッパ笛を吹く二人の天使が繋ぎ合わせた大理石の彫刻。白肌の少年少女は背中に生えた羽を目一杯に広げて、口先から伸びたラッパに息を送り込んでいた。
二人の天使達の姿はまるで鏡写し、だがその表情は対照的だった。
左門を務める少年は楽しそうに笑っていた。屈託の無いその無邪気な笑顔に対して、右門の少女はその頬に涙を伝わらせている。とても悲しそうに。とても苦しそうに。可憐な少女が訴えるその苦しみの根源を読み取る事はできない。
「あの子泣いてる」とアイネが呟いた。
呟きが残した静寂は、その時僅かにでも生まれた一同の心のぶれを表わしていたのかもしれない。
だが、誰も気付く事はできない。優秀な観察眼は隠されたいかなるトリックも見破る事ができるだろう。だが、それでも盲点はある。本来隠されるべき筈のトリックが既に目に映っていたら。
つまる話は、そいつは始めからそこに居たのだ。さも存在するのが当然のように。
門を潜った瞬間から世界が変わる。赤土の大地が見せる地平線は消え、澄み渡った蒼い空も何もかもが純白へと変化する。色を持つ者はただ冒険者と、そして天へと向かって複雑怪奇に入り組み伸びた光の階段、それから階段の所々に掛けられた七色の虹の橋。その全てが常識から逸している。
「夢みたい」と呟いたアイネの言葉が全てを集約している。物質主義者がこの光景を目の当たりにしたら悲鳴を上げるだろうか。それともそれは歓喜の声か。
眼前の光に足を掛けると、確かな実体が感触を返す。踏めるのだ。歩けるのだ。
光の上を歩く。想像できるだろうか? 歩いている本人達が想像できないのだから理解など至極困難。
敢えて物質に例えるならば厚さ一ミリの透明のガラス板の上を踏みしめているイメージが最も相応しい。踏み出す一歩が夢心地。
そして僅かに黄金色を帯び透き通った階段は空から降り注ぐ光を受けて輝きを放ち、彷徨う冒険者の目を眩ませる。
全ては幻。塔に踏み込んだ全ての冒険者達はその飽和感の中で自らの存在に問い掛けていた。