S14 Grande Rock Pias
■創世暦ニ年
四天の月 火刻 16■
翌日の早朝からは再び緑園の孤島の探索に当てられた。
島に上陸したマイキーとジャックは東海岸から島の中央部に向かって、麓のゆるやかな傾斜から山道へと足を踏み入れていた。緑の木々の隙間を縫うように伸びた落ち葉で彩られた山道を、息を切らせながら登る二人の姿。
「山登りなんて……俺らが一番忌み嫌う行為だよな。何で山登ってんだ俺達」と、皮肉めいて呟くジャックにマイキーが足場を遮っていた太い樹木の根元を跨ぎながら失笑する。
「そこに山があるから……なんてふざけた解答する気は無いさ。ただ、人間なんて思ってる程、理論的な生き物じゃない。多少の自己矛盾を孕んでる方が人間らしいって」
途中までは山登りに参加意志を表明していたアイネだったが、実際の山道を前に彼女は潔くドロップアウトして村へと戻って行った。今思えば彼女の選択が賢明だったのだろう。
背の高い広葉樹は木々の間を、愚痴を零しながら登る二人。登り始めて一時間もすると、その愚痴さえも聴こえなくなった。
山麓まではパピルスやオニオンポックルの姿が多く見られた。どうやら中央部はあのシーフロッガーの生息域からは外れているらしい。アクティブなモンスターが存在しない事は、現状二人にとっては幸運だった。だが実際は山道という想定外の障害に阻まれた訳だが。
「そろそろ今日の目的聞かせてくれないか」とジャック。
その言葉に振り向いたマイキーは「ああ、悪い」と一言呟くと、視線で近くの木の根元で小休止を取るように合図をする。
根元に座り込み、ジャックが香煙草を取り出したところで、マイキーは今回の目的を語り始めた。
今日の目的は他でも無い。この山岳地帯に存在する天を貫く岩盤。『巨人の岩槍』をこの目で確かめにとやって来たのだった。島の海岸から見上げた時に、マイキーの目測では山頂まではその高低差は300mには満たないだろうと判断していた。そして等角に近い菱形のこの島の53平方kmという総面積を考えると、島を東から西へ横断したその全長は10km程。中央部までは5km程という事になる。ならば実際に山を登り間近で巨人の岩槍の調査を行う事も可能だろうと考えたのだった。
だが結果は見ての通り、世の中は単純な割り算では測れない。直線距離で目的地まで辿り着けるものならば、距離を歩行速度で割ればその時間が算出出来る。そんな浅はかな思慮を嘲笑うかのように二人を迎えたものは、通行不可能な段差や鬱葱と生い茂った藪や低木。結局、山頂までは山中を大きく蛇行しながら進む羽目となったのだった。
今山中に静かに響く二人の呼吸音。息を切らせながらもマイキーはこの調査に希望を懸けていた。入手した三つ目の開拓言語『Grande Rock Pias』。その言葉が指し示す場所には必ず何かがある。
「Grande Rock Pias……か」
そう呟くマイキーの表情には静かに燃える輝きが秘められていた。
この世界に身を置けば嫌でも忘れ掛けていた感情を呼び起こされる。それは子供の頃に抱いていた冒険心とでも言うべきものなのか、歳を重ねる毎に忘れつつあるその純粋な衝動が今確かに甦り始めていた。
それから、どれ程の時間が経過したのか。いつしか緑地帯を抜けた二人は荒れた乾燥土を踏みしめていた。周りを彩っていた広葉樹はいつしか消え、背の低い低木が乾燥した地表に疎らに散っていた。
突如開かれた視界を前に二人は言葉を発する事も忘れ、自然と頂きの岩壁へと導かれて行く。山頂には強い風が吹いていた。
約三時間半という山登りを終えたその先に広がるもの。それは先程の純粋な衝動を呼び起こすには充分過ぎる程、目にも鮮やかな壮大な光景だった。
見渡す限りの海とそこに浮ぶ諸島を背景に、眼下に広がるは美しい緑の森。森の上空を舞っていたクロットミット達もこの高さまでは飛ぶ事はできないのか。その全てを一望の下に見下ろす事が出来る。
自然と身体の奥から力が溢れてくる。その素晴らしい壮景を前に二人はただ笑みを浮かべる他無かった。
そして充分にその景色を満喫した二人はふと背後へと振り向き、再びその身体を硬直させる。余りにも美しい景色を前に二人は当初の目的を忘れていた。そう、ここへ来た目的は一体何であったか。それは他でも無い。三つ目の開拓言語に記されていたあの言葉。
――Grande Rock Pias――
今二人の眼前には今空へと向かって一直線に伸びる巨大な一枚岩の姿があった。
剥き出された白壁。それは間近で見ればただの断崖。その高さは三十メートルは下らないだろう。まさに天を突くという表現が相応しいその雄々しき姿は、現実世界で見たどんな自然遺産とも似つかない。視界を埋め尽くすその圧倒的な存在感を前にただ二人は呆然と立ち尽くしていた。
香煙草に火も点けずに口に咥えたまま固まったジャックは、おずおずと口元にライターを当てる。動揺していた心を落ち着かせるように煙を大きく吸い込むと、肺の中で回して煙を吐き出して見せる。
「とんでもねぇな……しかもこれ一枚岩だぜ」
ジャックを背後にマイキーはその一枚岩へと歩み寄り、そしてそっと手を掛ける。
堅い岩盤が返すその確かな手応えは決して夢などでは無い。これは紛れも無くもう一つの現実なのだ。
何とも言えない想いを胸にマイキーが浸っていたその時、ふと彼はその岩盤の一角に存在する小さな暗がりに気付いた。
「これって……もしかして洞窟か」
岩盤を削るように開いた人が通れる程の小さな穴。穴からは強い風が吹いていた。
地下へと続いているのか、だが風が通っている事から何処かの地表に通じている可能性もある。
湧き起こる好奇心からその暗がりに入ろうとマイキーが手を伸ばしたその時だった。
突然、空気中に伝わる虹色の波紋。指先から広がったその波紋は、水面に雫を垂らしたように大きく空気中に広がりを見せた。
「どうした」
その様子に驚いたジャックが慌てて駆け寄る。
波紋は未だ波打ち視界の中で揺らめいていた。目の前で起こった現象を前にマイキーはただ黙り込み、頭の中に引っ掛かるある情報を必死に思い出そうと務めていた。
そして、時間にして僅か十数秒後。その情報を思い返したマイキーがふと顔を上げる。
――これは条件制限空間だ――
この世界にはある特定の条件を満たしていないと入れない空間が存在する。オープンβ時にはオラクルゲートなどと呼ばれ、その条件制限空間前にはシンボルアーチが掲げられていたようだが、今ここにはそんな物は見当たらない。だとするならば一体これがどういう現象なのか今一理屈の通った説明は出来ないが、現象としては酷似している。
PBを開き徐にマップスキャンを掛けたマイキーはそこで障壁に向かって今一度目を向けた。
障壁によって弾かれたその位置にはPB上では『自然オラクル』という文字が表示されていた。見慣れないその単語に、マイキーはクリックして詳細情報を求める。
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■オラクル
オラクルとはこの世界で発生する次空間の歪を意味する。この歪には大別すると『人工オラクル』と『自然オラクル』の二種類が存在する。人口オラクルとはこれは人為的に発生させた次空の歪で有り、特定エリアへの入場制限に用いられる。この障壁を取り除く際の解析は容易くPB上で確認する事が出来る。対して、自然オラクルとは名が示す通り自然の中で発生した次空障害で有り、この解除方法については基本的に解析が極めて困難な場合が多い。発生する起因も不明な点が多く、その性質は謎に包まれている。
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ヘルプの説明に目を通したマイキーは改めて障壁に向かって手を翳す。
同時に伝わる美しい虹色の波紋を見つめながら、洞窟への侵入をそこで諦める。
「自然オラクルか。発生原因は不明。これは人為的に発生させた歪じゃないとするならば、何なんだ」
次々と生まれる疑問を必死に抑えながら、マイキーは洞窟へと背を向ける。
振り返るとそこには腕を組んだままじっと波紋を見つめるジャックの姿が在った。
「骨折り損だったな。今はここに来ても何も出来ないみたいだ。洞窟に入るにはきっと何らかの条件を満たさないといけないんだろうけど。PB上では『unknown<解析不可>』表示だ。村へ戻ろう。アイネが待ってる」
マイキーの言葉に頷いたジャックと共にGrande Rock Piasに別れを告げる二人。
またいつかここを訪れる時が来るのだろう。それが近い未来か遠い先の話なのかは、今は想像もつかないが、とりあえずは今日の収穫としてはこの壮大な景色を見れた事だけでも大収穫と捉えるべきだろう。
▼次回更新日:6/1