S4 理想郷を求めて
採集から戻った夜、その日は店を閉めて売品を片付けた一同は、ささやかながらテトラと共にホームパーティーを楽しむ事運びとなった。
日中の採集の目的が、マイキーの私用と知ったアイネは珍しく彼へ抗議として訴えた。日常の範囲で世界の楽しみ方を知って貰うという当初の目的に反して、生産の素材集めをただ手伝わせた事に彼女は憤りを覚えたのだ。況してや、その対象がバーダックの花弁であるという事が追い討ちを掛けた。
毒を以て友人を迎えるなどもっての外だと、アイネはご機嫌斜めだったのだ。
「それじゃ、皆飲み物とって。乾杯するよ」
積極的に用意から取り掛かっていたアイネに反して、若干マイキーは存在感を薄めていた。不本意は多分に含まれていただろうが、それでも彼は何も言わなかった。
折角の楽しい会を心持一つで台無しにする事は無い。キティが用意した温かな料理の数々がテーブルに並ぶと自然一同はいつもの主張を取り戻して行く。
「あ、僕とテトラのところにもビールきてる」と、タピオが注がれた紙コップを覗き込む。
「いいんじゃねぇの。今日くらい無礼講で」
ジャックの無礼講という言葉に反発したのはナディアだった。
「ダメですよ。やっぱり未成年の子がアルコールを口にするのは抵抗が有ります。いくらこの世界では法律に縛られて無いとはいえ、現実での常習性に結び付く可能性だってあるんですから。ここにオレンジジュースがありますから。はい、テトラさん」
「ありがとうございます」
差し出された紙コップを両手で丁寧に受け取ったテトラが先にタピオに手渡そうとすると、彼は「いいのいいの」と自らジュース瓶を手に取り、空いた紙コップにオレンジ色の液体を注ぎ始める。
「何でもいいから早く飲み物持てよ。もう喉がカラカラだ」と、痺れを切らしたジャックにアイネがテーブルを見渡す。
「皆持った? それじゃマイキー乾杯の音頭をお願い」
乾杯要るか、と一瞬怪訝な表情を見せたマイキーだったが折角のホームパーティーの温かい雰囲気を崩さぬように言葉を紡ぎ始める。
「折角の出会いなんだ。ジャックも言ったとおり、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。僕らがこの世界に来た目的は何であれ、一つ揺るがない共通点があるとすれば……」
あるとすれば……?
その答えを求めて皆の視線がマイキーへと集中する。
「僕らは理想を求めてこの世界へやってきた」
理想を……求めて?
同じ言葉が一同の頭の中を駆け巡る。
「ここが僕らの理想郷に為り得るかはまだ判断が付かないけどな。少なくとも、純粋な想いでこの世界に臨む僕達の心意気に乾杯しないか?」
「分かり難いっつうの。もうちょっと簡単にまとめろよ」
苦笑して野次を飛ばすジャックにマイキーは頭を掻きながら言葉を要約する。
「つまりさ……」
僕達の理想に乾杯――って事だよ。
マイキーの言葉の後に一瞬の間が在った。
だがやがて、そこには紙コップを付き合わせる六本の差し手が伸ばされる。
「思わず納得しちまったけど、理想に乾杯なんて何とも掴み難いもんだよな」
「どうしたの。そんな哲学的な台詞ジャックらしくないよ」
小憎たらしい笑みを浮かべるタピオの肩に回された頑強な腕が、その華奢な首元を締め付ける。
「でも、ジャックさんのいう事分かります。理想ってはっきりとその目に映し出せるものだとあたしは思ってた。でも、この世界に来てから理想って一体何なんだろうって。あたしが今まで望んでいたビジョンはもしかしたらただの願望なのかもって」
「難しいよね。正直、私には理想と願望の説明も付かないもの。理想を追うってとても難しい事なんだね」
ナディアとアイネのそんな会話を傍で聞いていたマイキーが冷静な私見を挟む。
「難しく考えるなよ。この手の問題は難しく考えると泥濘に嵌るからな。願望が理想と重なる事だってあるかもしれない。願望にしても理想にしても、大切なのは主体だろ。誰の願いなのか、誰の理想なのか。自分が今何を望んでるのか、そんな単純な問いかけから始めてもいいんじゃないか?」
「ちなみにマイキー、お前は今何望んでるんだ」
思わぬジャックの切り返しに、今日はどうしたんだと云わんばかりにマイキーは微笑を浮かべる。
「僕が今望むのはこの世界に求められる終着点さ。さっきの話じゃないけど、個人個人が理想を追う分には主体がはっきりしてる。だけどな、この星に付けられたARCADIAって一体誰の理想を表わしてるんだ」
「私達プレイヤーじゃないの?」
開け放たれたアイネのストレートな感想に思わず頷くマイキー。
「僕も思ったさ。だけど、それじゃ僕にはどうしても理解が出来ない」
理解が出来ない、という言葉が示すその意味を掴めずに説明を視線で求める一同。
マイキーは当然の説明責任を果たす為に言葉を続けた。
「万人にとっての理想郷なんて、この世に成立し得るのか。理想の形なんて人によって変わる。一人の理想が、一人の不幸を生むのが自然なんだ。この世界が本当に真の意味で理想郷に迫ろうとしているのならば、僕は知りたいんだよ。その終着点を。もしかしたら終焉なんて無いのかもしれない」
それはこの世界を求める一人の冒険者としての、純粋な疑問だった。
「僕達にはちょっと難しい話だね。ねぇ、テトラは今何を望んでるの?」
「ボクの……望み?」
少年達の何気ない会話が流れを変えて行く。
「恥ずかしいです。ボクには自分だけの小さな夢を追い求める事しかできないから。ボクが見る夢はとても小さくて、ただ自分が抱えられる範囲での幸せを掴めればそれでいいんです」
「その抱えられる範囲の幸せ……って?」と友人の顔を覗きこむタピオ。
その質問にテトラは答えられなかった。正確には答える事は出来た。
自らが告げる答えが、ささやかな幸せを壊しそうで――とても怖かった。
ただ少なくとも、タピオ達と食事を囲んで語り合うこの温かな場は彼にとって心地が良い夢のような空間だった。