〆第九章『夕陽に架ける橋』
この世界の夕陽はとても綺麗です。
荒野が赤焼けに染まるその輝きがボクは大好きでした。
だからどうしても見ておきたかったんです。
神様、ごめんなさい。
全てはボクの責任です。最後の最後にボクは望んでしまいました。
■創世暦ニ年
四天の月 雷刻 18■
赤焼けの空には陰影の無い光沢に包まれた巻雲が地平線の彼方へと続いていた。
夕陽に染まった地上では、天に向って雨乞いするサボテンを囲んで、幾声もの唸りが上がる。乾いた赤土に伸びたサボテンの長影を身を添えるのは野狼、ワイルドファングである。
荒野の厳しい食物事情は遂には野狼達にサボテンまで食わせるようになったのか。だがそれは少し違う。涎を滴らせて迫る彼らの瞳に、痛々しい棘を纏わったサボテンの姿は映っていない。
彼らがその瞳に捉えるモノは、サボテンの陰に身を落とし震えた小さな気配にある。
「どうしていつも……こうなっちゃうんだろ」
猛る野狼を前に小さな少年はまるで運命を受け入れたかのように、優しい微笑を浮かべる。
「お腹が空いてるんだね。キミ達だってこの世界の厳しい生存競争の中で生きてるんだもんね」
無造作に身体を差し出す少年に悔いは無い。目的は果たしたのだ。
最後にバスティアの地に沈む夕陽を見れたのだから。
「さようなら、ボクは忘れないよ。ここで見た夕陽を」
そして、少年は心の中で最後の想いを確かめる。
光の中でボクは現実に還るんだ
そして この世界でのボクの存在は消える
残した想いなんてない ここにボクの理想は無かった
野狼の牙がまさに咽元に当てられようとしたその時。
少年は世界から目を離す。閉じられた瞼が暗黒を導くと、ただじっとその恐怖と苦しみに耐えながら、消滅の瞬間を待つ。
首元より先に食い付かれた左腕が衝撃に麻痺すると、続け様に肢体を引き離すかのような暴力が小さな身体を襲う。
怖い。苦しい。叫びたい。しかし声は出ない。
理想を求めた世界に最後は絶望で送り出されるとは、なんという皮肉だろう。
神様 あなたがもしこの世界に本当に存在するならば教えて下さい
この苦しみの果てに いつかボクは理想に辿りつけるのでしょうか?
神に祈りを捧げた刹那、遂には咽元に鋭い衝撃が走る。
苦しみの中で、少年はただ世界に懺悔する。
神様 ごめんなさい
ボクの望みは 許されざるものなんですね
呼吸をする事も叶わず、与えられた苦しみが臨界点を過ぎる。
全身の感覚が麻痺したような浮遊感に、身体を覆っていた痛みが引いて行く。瞼を開けば、そこには平穏が在る。そうすれば、やっと現実へと帰る事が出来る。
恐怖からの解放は自らの死を以て達成されたのだ。
気が付くと野狼の気配は消えていた。恐る恐る開いた瞳に映るは、サボテンの陰影から眺める変わらぬ荒野の姿。
「なんとか無事みたいだな。立てるか?」
放心状態に掛けられたその言葉の意味を少年が理解するまでは幾らかの時間を要した。
逆光に佇む青年の表情を窺がう事は出来ない。だが、少なくとも差し出されたその手はとても温かかった。