S5 ビジャ遺跡
叡智は常に創造性の中に生まれる。時にその創造性は時代を逆転させる。大自然の中に残された古代の民の遺跡が現代の建築学を凌駕する事は時として少なくない。
灌木を骨組みに撥水性の強い特殊な粘土層で固めた土台に、築き上げられたドーム型の住居。集落を築き上げた民が一体どこから灌木を運び、この深い湿原の泥濘に地盤を固めたのか。凡そ理解の域を超えている。だが事実として其処には生活者達の洗練された叡智の結晶が残されていた。
だが悲しきかな。残された生活風景を象る建築物の多くは無残なまでに破壊されている。如何なる暴力が働いて、このような惨末を招いたのか。想像する事は心苦しい。
「ここがビジャ遺跡……何か殺伐としているというか。瓦礫の山だらけね」
「ラ・スール族っていう人達はどこに居るのかな?」
周囲を警戒するアイネに対して、無警戒なタピオの視線が泳ぐ。
古代から受け継がれてきた歴史的な住居の惨状を前に、マイキー達は戸惑いを隠さなかった。
「湿地帯には他に目ぼしい建造物は見当たりませんし、恐らくはここが彼らの生活圏だと思うんですけど」
瓦礫にこびり付いた水蘚の腐食具合を確かめるナディアを横目に、湿った葉煙草に苦虫を噛み潰しながら火を付けるジャック。
「湿地のど真ん中に生活感の無い廃墟の遺跡か。どうも、尋常じゃないな。リーダー、いつも通り指針を頼む」
指針を仰がれたマイキーはいつものように冷静だった。
「協力者が見当たらないなら、とりあえずはここへ来た第一の目的に従うだけだな。まずは精霊とやらを祀っている石碑を先に探しに行くか。僕の予想だとこの遺跡の何処かに精霊とやらを祀った石碑が存在する筈だ。信仰の対象である精霊を遠巻きに置く理由が無いだろ。信仰ってのは生活に密着してるから意味を持つんだ」
遺跡の中央に築かれた一際目立ったピラミッド型の建造物。一辺十八メートルの正方形を土台にされた高さ十三メートルの四角錐。入口の代わりに錐の頂点へと向って刻まれた階段。その外貌は遺跡の大分を占める住居を目的とした造詣では無い。この巨大な建造物が一つして台座を象っているのだ。
その意義に気付いた時、冒険者の多くはある一つの事実に気付く。
遺跡の中心に築かれた巨大な台座に一体何が祀られているのか? その謎を問い掛けた時に、ここでラ・スール族の信仰的背景の存在、精霊プラム・ド・モックの影が浮かび上がってくる。
年月を物語る古の水蘚の纏わり付いた精霊台の階段を上ったマイキー達は、そこに映った光景に思わず言葉を呑み込む。
高台に聳えるは一筋の石碑。だが、その姿は見る者の心に深い悲しみを与える。
「もしかして……これがプラム・ド・モックを祀った精霊碑なのかな」
しゃがみ込み石碑の一部分を拾い上げるタピオ。
「酷い……こんなにされてるなんて」
アイネの言葉が示すところの意味は、聳える精霊碑の惨状を物語っていた。
辿り着いた石碑は無残に破壊されていた。何者かの襲撃を受けた形跡が見られる。
「これがラ・サンディラに落雷を呼んだ理由か。精霊への冒涜もここまで来ると見事だな」
呆れ笑いを浮かべるジャックではあったが事態は深刻だった。
「でも一体誰がこんな酷い事?」と悲しみに怒りを交えて呟くナディアにタピオが首を傾げる。
「ラ・スール族かな」
だが、その答えは余りにも愚かと言えた。
「精霊碑の建造者でもあるラ・スール族がこの地の治雷を司る石碑を何で自ら破壊するんだ。根拠の無い発言は時と場合を選べよ」
マイキーの抑止に発言の軽率さを理解したタピオがしゅんと静まり返ると再びナディアが口を開く。
「明らかに人智を超えた力ですね。ここに長居するのは危険な気がします」
「この場はナディアに同意見だ。石碑をここまで破壊できる存在に遭遇したらまずいぜ」
珍しく慎重策を口にするジャックではあったが、逆に言えばそれ程までに緊張感を与える衝撃的な光景が其処に存在したと云える。
「荒廃した遺跡……消えたラ・スール族……破壊された石碑、これって何か関係あるのかな」
「無関係だとは思えないな。だけど、この辺り一体に漂う重圧感。これは死兆だ。根拠の無い発言は控えたいところだけど、ここは僕だけに限らず皆の勘に従わざるを得ないな。一旦退こう」
供物である雷光石の紫玉をアイネが石碑の残骸に添えて踵を返そうとしたその時だった。
「待って、紫玉が光ってる」
突如とした彼女の言葉と同時に真白な霊光に包まれて浮かび上がる紫玉。
静まり返った高台には、僅かに。だが聴覚を超えて直接脳裏に響くその不可思議な音声を、その場に居合わせた誰もが感じ取っていた。
――ワレ 我ハ精霊 プラム・ド・モック――
不思議な旋律が感覚を刺激する。人為的では無い明らかに不自然な言葉。
ワレ 我ハ精霊 プラム・ド・モック
旅人ヨ 我ノ願イヲ 聞イ遂ゲテ 欲シキ
コノ地 ラ・スールノ 治ムル地
神々ノ怒リヲ 鎮メル為 我 精霊ニナル
コノ地デ 我々ハ 平穏ニ 暮ラス
ダガ ラ・スールノ平穏ガ崩レル
人間 ヤッテキタ 湿原ノ魔物 狩ル
ラ・スールハ示ス 人間トノ和平ノ道
ソレガ共存ノ道 ダケド サンクテッド・アリゲス怒レリ
共存ナイ 存在許スマジ
湿原ヲ守ル ソレガ彼ノ心
我ラ 対立 サンクテッド・アリゲス 怒レリ
ビシャ ラ・スール 我 破壊サレリ
旅人ヨ 我ノ願イヲ 聞キ遂ゲテ 欲シキ
サンクテッド・アリゲス 討テ
言葉の余韻を噛みしめる。だがいつまでも心象に浸っている余裕も無かった。
「今のは精霊プラム・ド・モックの言葉……皆聞いた?」
アイネの呼び掛けに答えたのはジャックだった。
「ああ、穏やかじゃねぇ願いだったな。けどお前が浮かべてた疑問の答えはこれで解決したんじゃないか」
確かに聖言には、荒廃した遺跡、消えたラ・スール族、破壊された石碑のこの三物の関係性に触れる描写があったようにも思える。
「聖言に託されたサンクテッド・アリゲスって……一体何者なんでしょう?」
「難しい話は僕にはよく分からないけど、それが破壊者の名前なんだよね?」
タピオの問い返しに頷くナディア。
二人は自然とその答えをマイキーへと求める。
「見えざる存在者の姿を想像する事は愚策だ。僕らは見えるものだけを信じればいい」
「その見えざる存在者とやらに後ろ背中に喰いつかれる可能性は無いのか?」
ジャックの質問に対するマイキーの答えは明確だった。
「今はまだ見えないだけだ。何れ見えるさ。その時が奴の寿命だ」
このクエストの存在意義を考えた時に、其処には自然な流れがある。その流れに逆らわない限り、冒険者は一つの真実に辿り着く事になるのだ。