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ARCADIA ver2.00  作者: Wiz Craft
138/169

 S5 湖底の世界

 湖上を包む薄霧は一時として晴れていた。代わって空に覗く蒼を眩く霞めるのは太陽。

 南中点から降り注がれる柔かな光は冷たく沈んでいた湖畔の外気を温めつつ在る。過ごし易さの増した正午、ウォールズ南部の湖岸には財宝に夢を見る多くの冒険者達が集っていた。沿岸でダイビング・スーツを纏う一様の中には、装備を整えたマイキー達の姿が在った。

 星の貝殻が撒き散らされた砂浜に弾ける水泡。打ち寄せる白波に置き去りにされた小さなヤドカリが居場所を求めて彷徨う中、波打ち際では鬼ごっこに興じるアイネとキティが歓声を上げていた。


「ウェットスーツってボディラインがはっきり見えるから、なんか嬉しいよね」


 思春期まっ只中の少年の発言に半笑いを浮かべるジャック。


「本人達の目の前で言ってみろ。特にあのブロンドの女に聞かれたらエロガキって言われるだけじゃ済まねぇぞ。大体あんな女の身体見て嬉しいなんて、お前もまだまだ未熟だな。あいつは胸とケツがでかいだけで器量は小さいからな。俺ぐらいのレベルになると人間性で女を判断するから……」

「ジャック……思いっきり聞こえてるんだけど」


 波打ち際で駆ける追う者と追われる者が交代すると、残されたキティとタピオが笑顔を見合わせる。


「馬鹿やってないで、さっさと潜るぞ。お前ら着水でまた冷たいとか騒ぎ出したら張り倒すからな」


 透き通る湖面に指先を浸し水温を確かめていたマイキーの一声が浮かれていた仲間達の心を手繰り引き戻す頃、波間のナディアはゆっくりとその細身を腰元まで冷たい水中へと沈めていた。

 振り向いた彼女の手招きに一同はいよいよアプトレイクへの潜水を意識し始める。水温に悲鳴を上げるかと予想されたマイキーの思惑とは反して、ここに来て仲間達は不安に駆られたのか急に言葉数を減らしていた。


「具体的に目的地の水深ってどのくらいなの?」と身体を水中に浸し、冷気に表情を歪めるアイネ。

「水深は約六十四メートルですね」マスクを装着したナディアは一度完全に水中に潜ると、呼吸を確かめて水面上に浮かび上がり、その美しい銀髪を振り解す。


 ナディアの言葉にジャックは唯一のダイビング経験者として忌憚無き意見を述べる。


「完全にファンダイブの域超えてるぜ。ズブの素人集団が潜るにしてはハードル高すぎだろ。それにこんな薄皮で水圧に耐えられるのか?」

「水圧調整は全てこのスーツがやってくれます。呼吸マスクが耳抜きの機能も自然に果たしてくれるので、何にも心配いらないんです」


 ナディアはさらに言葉を続けた。水中から掲げられた細い右腕に自然と注目が集まる。


「右手首の水深計のスイッチは浮き袋の役割を果たしてくれます。スイッチの真ん中の状態は浮力がゼロになって、下はマイナスに、逆に上は浮力がプラスになります」


 その説明に理解が回らなかったタピオが小首を傾げる。


「どういう事?」彼が疑問の答えを求めて視線を投げた先はいつもの人物だった。


 マイキーもまた水中に一度身を沈めて呼吸器を確かめながら浮き上がり、マスクに篭った声を響かせる。


「つまり、浮きたい時はスイッチを上に。沈みたい時はスイッチを下に。自由遊泳を楽しみたい時はスイッチを真ん中にって事さ」


 マイキーの説明に頷いたナディアは皆に向き直ると、呼吸器を外して愛らしい笑顔を見せた。


「目的地はウォールズから南西に向って七三十八メートル地点にあります。折角だから湖底を歩いて行きませんか?」



 全ての経験が新鮮だった。湖に身体を浸したあの何とも言えない冷たさに始まり、水面下で見る景色は地上の法則には縛られない。透明度の高い湖水はその在りのままの全てを鮮明に映し出す。

 水面という天蓋に向って伸びる寒色に染まった湖草は、外界から注ぎ込む光を求めて真っ直ぐに天に向って伸び、光が頭上から零れるその景観はまるで木漏れ日のように。湖底から溢れ出す無数の白泡が立ち昇り、光と交錯する。

 だが真に感動すべきはそんな湖水の光芸にはあらず。やはり視界の中で心を捉えるのは湖底に生える一面の純白だろう。海水温の上昇によって白化し死滅した旧世の遺灰とは異なる。そこには美しく生きた白珊瑚の姿が在った。


「一面の銀世界だなんて、まるで湖底に雪が積もってるみたい。こんな幻想的な冬景色が見れるなんて夢みたい」

「お前の頭は春だけどな」幻想に焦がれるアイネをマイキーの呆れ声が刺す。


 だが周囲の光景に心を奪われたのは一人では無い。


「水温冷たいね。アイネさんが景色を冬に例えたの僕なんとなく分かるよ。向こうに見える水色の点の集まりはなんだろう。やけに一杯見えるけど」


 柔らかい水土を踏みしめながら、両手で水を掻く様に前へと進んでいたタピオがふと歩みを止める。


「あれ……何かこっち向かってきてない」


 無数の点の接近が形を持ち具現化する。水中を推進し来るその姿は水魚の大群だった。

 水色の魚鱗の中央線に、頭から尾鰭まで伸びた鮮やかな青のラインが印象的な小魚の群れは、湖底を歩むマイキー達をまるで包み込むように通り抜ける。


「インターセットブルーっていうレイクフィッシュの一種です。この辺りでは有名で、主にアクアリウムでの観賞用に飼う方が多いみたいです」驚き呼吸を忘れる一同に笑顔で一言を添えるナディア。

「観賞用なんて高尚な趣味持ってる奴がいるもんだな。魚なんて食えれば価値として充分だろ」


 人の価値観によっては幻想など食欲にも劣る。


「ジャックに食べられる魚って可哀想だね」それは素直なタピオの感想だった。


 消えた魚影に移り変わって視界を覆う巨大な影。

 逆光に浮ぶ黒のシルエットは、生え渡る海藻の間を悠々と遊泳する巨大亀だった。


「この大きな亀は……モンスターなのかな?」と警戒態勢を採るアイネの肩を撫でるナディア。

「怖がらないで。アプトブロスっていう巨大亀です。ノンアクティブで気質のおとなしい子なんです。頭から尻尾まで全長十メートルもあるんですよ。ウォールズの街ではレストランで唐揚げとか特産料理として有名ですね」


 聞き覚えのある単語に反応したのは意外にもジャックだった。


「ああ、あの唐揚げがコイツか。美味かったし、一匹狩ってくか?」

「無駄な体力消耗すんな。大体、現状武器が持てない水中での戦闘は認められてないんだ。アクティブなモンスターがいないっていうのもシステム的な配慮だろ。敢えて喧嘩売る馬鹿がどこに居るんだよ」と、マイキーの制止に不本意そうに獲物の行方を見流すジャック。


 そんな二人のやりとりに案内役のナディアは正確な知識で説明補足する。


「正確には水中戦闘は可能なんです。水中では陸上武器は使えないので、防水加工された特殊な武器を購入する必要が出てくるんですが、幸いこのアプトレイクにはアクティブなモンスターは数少ないので、敢えて戦闘を望む冒険者の方以外は必要ないでしょうね。ちなみに水中武器はディープ・ブルーの分棟で販売していたんですけど、今回は必要ないので皆さんにはお勧めしませんでした。値段も高いですしね」


 水中での戦闘はただの遊泳とは異なり慣れるまではかなりの時間が掛かるだろう。

 付け焼刃な立ち回りで望む事は愚か。ナディアの言う通り、今回のクエストに水中戦闘が必要ないのであれば、後々ゆっくりと時間を取って研究を重ねた方が賢明と云えた。


 湖底の散策を初めて気が付けば約一時間半。周囲の景色への興が褪せる事は無い。

 辺りの景色はまた一変。美しき白珊瑚は姿を隠し、荒涼とした岩盤に深く地走った巨大な溝。


「何この深い崖……底が見えないよ」亀裂を覗き込むようにキティの肩を抱きながら崖下を見下ろすアイネ。

「どこまで続いてるんだ。ちょっとタピオ沈んでこいよ」とジャックが押し出した少年の身体が強張る。

「やだよ、危ないって。押さないでよ」


 自然造詣を前に賑やかさを帯びる一同。

 崖の先端へと歩んだナディアが説明の為に振り返り、両腕を広げて後ろ向きに崖に向って倒れる。その姿に思わず息を呑んだ者は少なくない。


「この断層は水竜喉ミクオリアと呼ばれる場所なんです。ここからは目的地は目と鼻の先です。泳いで渡るので忘れずにスイッチを真ん中にセットして下さいね。向かいの断層に見える中腹の窪みが目指す場所です。窪みは無数に有りますから、絶対にはぐれないように付いてきて下さい」


 光もおぼろげな湖底に刻まれた深い亀裂。対岸とする断層との間は裕に二十メートルは有る。

 崖から一歩踏み出した瞬間、そこには漆黒の闇が諸手を突き出していた。暗闇は根源的な恐怖の象徴だ。心底から突き上げる冷たい感情の奔流は、計り知れない奥闇が生んでいるのか。

 幻想が闇に霞む。だがそれでも人は……恐怖を跨ぎ、理想に溺れる。財宝の価値とは人を盲目にさせる不可思議な魔力を秘めている。それはいつの世でも変わらない。

 対岸の断層に沿って下るその景色が移ろう。

 青紫色に滲んだ褐藻が掛かった岩壁には、深紺の岩苔と純白に黒節の巻貝が無数にこびり付いている。その白亜の地層が生んだ歪み、岩盤が砕け覗いた暗がりが断層には幾多に口を開けている。不自然に抉り取られた大小無数のこの水穴の中に目的の洞窟がある。


「なるほど。財宝の隠し場所にはもってこいだな」


 ナディアに導かれた今、吸い込まれるような巨大な水中洞窟の一つを前にマイキーの呼吸マスクから水泡が漏れる。

 理想への扉は今開かれたのか、だがその足取りは重い。ここまで来た今も、何故だか財宝が幻と消えるような、そんな不可解な想いが一抹として彼の胸奥に過ぎるのだった。

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