S4 Diver's Shop 『Deep Blue』
■創世暦ニ年
四天の月 風刻 18■
世界を巡る朝の形は変わらない。窓辺を通して柔かな陽が差し込む。
白壁に弾かれる反射光が室内を柔らかく照らし上げ、眠人が横たわる天蓋付きのベッドへと身を添える。
帳を通して頬を撫でるその温もりにマイキーが寝返りを打ったとき、瞼の裏を差す仄かな明るみに微睡みの世界が開かれる。
ベッドから身を起こし、覚束ない足取りで光を辿り窓辺に着き一言。
「天蓋付きのベッドなんて……さぞかしアイネはお姫様気分だろうな」
窓の外には美しいウォールズの街並みが広がっている。その背景に映る巨大湖はまるで鏡映のように朝陽に煌きを返していた。
謎めいた少女と出会ってから一夜が明け、気持ちの整理が付いたかと云えばまだ曖昧だった。
ナディアと名乗った少女の案内で今日は街のダイバーズ・ショップへと向う手筈と為っている。アプトレイクの探索においてダイビング用品は必要不可欠。この街の地理に疎いマイキー達にとって正直彼女の申し出は有り難い。
だが道行きの旅人の関係で在ったマイキー達にとって、依然彼女の目的は掴めない。
クエストを遂行する上でのただの協力関係、彼女はそう言った。本当にそれが含みを持たないただの真意かもしれないし、何か裏に隠された意図があるのかもしれない。
とは言え、どちらにせよ今の段階では考えたところで無駄な事だ。彼女の真意を探る事など、当人でもない限りは凡そ計り知れるところではない。
――財宝の在処……か――
朝霧の街は気温が低い。身体を撫でる通風も相まって、外気に晒されたマイキー達の表情は自然と引き締まる。薄い霧霞に浮ぶ美しい白壁の街並みを横目に、一行はナディアの先導の元、ウォールズの露店市へと差し掛かっていた。
狭い道通りに並べられた色鮮やかな風呂敷と売品。昼夜問わず活気高い商人達の呼び声に、視線をあっちへこっちへと忙しく振り回しながら、その足取りを強く保つ。だが中にはそんな誘惑に堕ちる者も居た。
消えたのはアイネだ。その事に気付いたマイキーが足を止めると、隣を歩いていたジャックが無言で視線を投げる。マイキーは辺りを見渡しながら、背面十数メートルの露店市でしゃがみ込むアイネの姿を確認すると、ジャックに先へ行くよう目配せする。
「このロッド……蒼い装飾が付いて。綺麗、何の宝石なんだろう」
赤風呂敷の前でしゃがみ込んだアイネが手にするは一本の錫杖。
心を洗うような蒼色の宝石の付いたその輝きはウォーター・ロッドと良く似ている。だがその色合いの奥には深みが在る。ただのガラス球とは異なる宝石が持つ独特の質感。
「お嬢ちゃん、お目が高いね。これはアクアマリンって宝石を加工した魔法の杖さ。マジシャンには珍しい特殊な防御魔法を使う事が出来るようになるよ」と気立ての良さそうな黒ローブ姿の商人は、腕周りに付けた貴金属のアクセサリを音立てながら笑顔で商談を始める。
「特殊な防御魔法?」と尋ね返すアイネに商人は丁寧のその効果を加えた。
「ウォーター・シールドって云うんだがね。水属性の魔法ダメージを軽減できるっていう優れものさ。Lv5から使用可能な魔法だから、今のお嬢ちゃんでも使いこなせるだろう」
魅力的な商人の説明にアイネが完全に乗っかり掛けると、背後から歩み寄った影が突然、商談を断ち切るように口を挟む。
「使いこなすは別として用途が問題なんだよ。この辺りで水属性魔法を使う敵は居るのか?」
振り向いたアイネは背後の制止者の姿を一瞥すると、片手に眺めていたロッドを商人へと手渡す。
自制が利いたのだろうか。だが彼女の恍惚とした表情は何を物語るのか。
瞳を輝かせるアイネの耳にもはや抑止の声など届いていない。PBを広げトレードの画面に魅入る彼女は売品の値札もろくに眺めずに商人に笑顔を投げ掛ける。
「ありがとよ、お嬢ちゃん。本当は1000ELKの品なんだが、その可愛いらしい笑顔に免じて半額の500ELKに負けておこう。また来ておくれよ」
「わぁ、ありがとうお兄さん!」
無邪気に喜ぶアイネの姿は純粋と云うべきか、無知という云うべきか。
事の成り行きを見守っていたマイキーは溜息交じりに素直な感想を漏らす。
「浮遊癖も時と場合に応じて人に迷惑掛ける事をそろそろ自覚しろよな。加えて、お前確実にぼったくられるタイプだろ」
「なんで? 私騙されたりなんかしないよ。いい人だったじゃない、あのお兄さん」
まるで自覚の無いアイネに対して、説得は無意味。
「単価1000ELKの品が個人の裁量でいきなり半額の500ELKだぞ。どう考えても初期値ふっかけてるだろ」
ここまで伝えれば、後は言わずもがな。そんな店で品定めの出来ない買い物をする程、愚かな行為は無い。流石に意志の疎通は取れたのだろうと、マイキーが踵を返す。
「人を信用する事が出来ないのね。可哀想に……慰めてあげようか」
それはマイキーが説得を諦めた瞬間だった。
「お前に同情されると死にたくなるな。余計な事ほざいてないで、ほら行くぞ」
蒼天の彼方から街へと吹き寄せる風は冒険者の歩みを速くする。日は確実に昇ってはいるが、気温は一向に上がっているようには感じられない。空は快晴にも関わらず街は霞んでいると云う、相変わらずの不可思議な気候だった。
目的の店はアプトレイクの湖畔に構えられている一軒屋、地元では唯一のダイバーズ・ショップ『Deep Blue』である。鮮やかな空の蒼から水平線を経て深海の青へとグラデーションを掛けた下地に記された白文字のロゴ。爽やかな看板に導かれて店内へ歩むと、そこには清潔感漂うレイアウト空間が広がっていた。
人の背の高さ程もあるショー・ケースには位相の仕掛けを施したマネキンが飾られている。店内の随所に幾つも立ち並んだその一つ一つには、様々な彩りで合わせたダイビング・スーツと呼吸マスクがセットで備えられ、冒険者が近付くと自らのその姿を映す事が出来る。位相で区切られた空間に映る立体像は投影者によって異なる。このシステム故に来店者は装備した自らの姿を確認した上で購入に踏み切る事が出来るのである。
湖が見える窓辺のショー・ケースに自己投影しながら、タピオは隠し切れない期待を言葉として漏らす。
「湖の底に潜って探索なんて何だか神秘的だよね。僕ワクワクしちゃうな」
「それよりお前はちゃんと潜れるか心配しろよ」
冷やかしとも取れるジャックのせせら笑いに不本意と言わんばかり頬を膨らますタピオ。
「馬鹿にしないでよ。いくら僕だって水に潜るくらいできるよ。お風呂の底に沈んだ事しかないけど」
そんな少年の虚勢に笑みを零しながら店内を回るナディア。
「ちゃんと潜り方はあたしが教えますから。大丈夫」
入口間際のショー・ケースでは、黒地に蛍光ピンクのカットラインが入ったフォーマルなデザイン・スーツの前にアイネとキティが思い悩んでいる様子だった。入口越しに飾られた同デザインの色違い、ブルーのカットラインの入ったモデルの前ではマイキーが腕組みをして何やら独り言のように呟いていた。
「どうした、マイキー。何か気掛かりな事でもあんのか?」
一人の世界に入る事はいつもの事。ジャックが掛けた言葉は安い気配りの一つに過ぎない。
「いや……この店さ。ウェット・スーツや呼吸マスクは売ってるんだけど、酸素ボンベが見当たらないんだよ。別売りなのか?」
「酸素ボンベはありませんよ」
マイキーの些細な疑問には入口付近に歩み寄ったナディアが即答してみせた。
窓際でその返答を耳にしたタピオが動揺を前面に振り向く。
「え……じゃ素潜り?」
少年の動揺振りが可笑しかったのか、微笑交じりに首を振るナディア。
「いいえ、このマスクを付けるだけで呼吸する事が出来るんです。仕組みまではあたしにはわからないけど」
「なるほど、じゃあのクソ重たい荷をわざわざ背負う必要は無い訳だ。便利な世の中だな」
言葉を重ねたジャックに疑問を被せるのはアイネだった。
「ジャック、ダイビングした事あるの?」
「数年前に、沖縄の海で一度だけな。あの時は珊瑚礁が綺麗だったな。また見てみたいもんだぜ」
物欲しそうに指先をする仕草は煙草を求める証拠だ。だが流石に清掃の行き届いたこの店内に灰を落とす程、彼の倫理観も腐ってはいないらしい。
「奇遇ですね。アプトレイクは白珊瑚で有名なスポットなんですよ」
「素敵。白珊瑚の湖底なんて想像するだけで夢みたい」
幻想に溺れた発言を現実に引き戻すかのように素朴な疑問を浮かべたのはタピオだった。
「珊瑚って淡水で育つの?」
「アプトレイクは淡水湖じゃないからな。地盤の隆起によって元は海だった場所が隔離されたんだ。れっきとした塩水湖さ」
マイキーの説明に驚きを隠さない人物が一人。
説明役としての認識が薄いナディアにとっては彼の博識は新鮮に映ったようだった。
「お詳しいんですね」
「訪れる土地々々(とちどち)の事くらいは普通事前に調べるだろ。幻想や無目的にうつつ抜かした連中の正直気が知れない」
自分の事を刺されたように感じたのか苦笑いを浮かべながら顔を背ける面々に、ナディアの微笑が再び零れる。
ディープ・ブルーでの準備を終えた一同の想いは財宝が眠るアプトレイクの上空へと高らかに舞い上がる。
蒼空に吹く季節風から逃れるように、霧霞みの湖面に横切る鳥々の背影。
見下ろす巨大湖のどこかに伝説が眠っている。胸の高揚は気のせいでは無いだろう。在りもしない幻想や伝説に心を躍らされるのは冒険者の性だ。尽きない探究心の行き着く果てには一体何が待ち受けるのか。
ウォルタ・クリアの財宝、冒険者達を悩ませるその真相に今がその第一歩を踏み出す時だ。
▼次回更新予定日:11/23