S2 湖上都市ウォールズ
月夜の湖面に張る薄霞は夜想を深める。幻想に包まれて、漂う水の細粒で乱反射する光の淡い煌きが月明かりによる歓迎では無い事を知った時、そこに冒険者が求めていた到着点が浮かび上がる。
霧霞の幕越しにシルエットを落とすのは隆起した円錐状の大地。推進する艦体が霧を払うと、朧気だった大地の輪郭の内側が、灯る無数の光子によって露になる。白々とした清涼な街壁、まるでエーゲ海に面するギリシア、ミコノス島を想起させる白塗りの街並みから漏れる明かりこそがその光源である。映す者を魅了して止まない芸術性はこの世界でも指折りか。湖上に映える一繋ぎの街並みはまさに聳え立つ白城。この美しき景観こそがウォールズの二つ名『湖城都市』を生んだ由縁である。
ウォールズの夜街は明るい。道通りには僅かな街灯と、窓際から漏れるプレイヤーハウスの生活灯の御蔭で出歩くには困らない。港から続く急な傾斜を帯びた細道の階段を上がると、耳に響くは闇夜に飛び交う冒険者達の活気高い掛け声だろう。狭い通りの両脇に続く色とりどりの風呂敷。敷物の主達は広げたスペース一杯に売品を並べ、行き交う冒険者達と商談を交す。ウォールズの露店市と云えば、知らぬ者は少ない。何故ならばここはまさに世界の広告塔、正式稼動前の情報公開に飾られた数枚のスクリーンショットの内の一枚として馴染み深い。当然、公開段階前では露店を開く冒険者は存在しない。CG表現された架空の商人達と行き交う冒険者等のイメージが、プレーヤーの深層意識に直接的に根付く事によってこの活きた露店市場が実現されたのだ。
露店が並ぶ通りを再び路地裏へ、視界を覆う白壁の家々が複雑に生む幾つもの分岐はまるで迷宮。街の地理に疎い者が無目的に歩けば迷子と化すのは必至。だが、円錐上という湖島の地形を考えるならば、傾斜のついた細道を上る限り市街の中心地へと続いている。ウォールズを訪れた多くの冒険者達はまず迷いの果てにその頂上を目指すのである。その例外と為らなかった、街中をぐるぐると回りながら散々の道程に膝を付き疲弊した一行が在った。マイキー達である。
「もうダメ……僕もう一歩も動けない。この街おかしいよ」
崩れ落ちるタピオの肩を支え起こすように抱きとめるキティ。幼子の支えを受けてまで、なお崩れる少年は自分自身の不甲斐なさを呪うように繋ぎ止めていた一本の琴線に手を掛ける。
だが安易に彼を批難する事は出来ない。こと一人を除いて、磨耗した体力は限界に近付いていた。
「夢は幻か……オランダの水路街と比較してどうだ、感想は?」
マイキーの問い掛けに高台から街並みを見下ろしていたアイネの長髪が揺れる。
月光に添えられた冷風が煌く艶やかな金髪を漂わせ、夢見る乙女の心理を後押しする。言葉も無く幻想に溺れる彼女の姿に溜息を吐いたのは一人だけでは無かった。
迷宮の果てと見做した湖島の頂上で階段の縁に座り込んだマイキー達がまず始めに視界に映したモノは虚ろ気に光る十字架だった。耳奥に柔からに注がれるは水音。呼吸が落ち着いたところで彼らは改めて瞬き目を凝らす。
水瓶を構えた美しき女神像が佇む白亜の噴水。その背後に静粛に構えるは……
小窓に張られた透き通るガラスが色調を崩す事は無い。白塗りの外壁は相変わらず、だが所々にはこの地特有の強烈な湿気によって剥ぎ落とされたのか、塗り直した跡も窺がえる。外壁を支える軸となる柱を象るのはギリシア彫刻のような美しい石像群、その柱像を見上げ辿った尖塔にその十字架は在った。どうやら教会のようだ。
教会の中は薄暗く、左右の高窓から差し込む月明かりが軌跡を描き、舞い散る埃の粒子を浮かび上がらせていた。両側に並ぶテーブル椅子では俯き熱心に祈りを捧げる冒険者達の姿が、中央を貫く赤織物の先に備えられた教壇には蒼白色を纏った石碑が安置されている。両奥に格子を通して映るのは懺悔室だろうか。
ウォールズを訪れるに当って幻想という言葉を何度聞かされただろう。だが事実目の前の光景を表現するに他に相応しい言葉が見当たらない。神秘的と言葉を変えたところでアイネはきっと大喜びするだろう。ならば敢えて隣に佇むアイネの表情を見る事もない、とマイキーは心に留めていた。
だが幻想に魅了された彼女は避けようともその口を開く。ねぇ、と切り出された言葉に続く言葉は予想するまでもない。紡がれるは理想と幻想。厄介な事だ。
「あれ……聖碑じゃない?」
突然アイネの口から漏れた予想外の言葉。俯いていた仲間達の視線が彼女の後を追い、そして交錯する。
教壇に飾られた発光する石碑、その輝きには馴染みが有る。大陸各地で幾度と無く出遭ったその輝きは間違い無く聖碑そのものだった。
だが、聖碑の安置所には決まって一つのルールが有る。街の開拓の礎となる聖碑と触れられるのはギルド内において、それはシステム上の普遍のルールで在った筈だ。
よくよく周りを見渡してみれば先程から一抹の違和感は拭えない。通路の両側を埋めるテーブル椅子の存在がその対象だった。何故ならば、教会という本来の機能を果たす為であるならば、椅子だけで事足りる。テーブルの存在は不自然だ。そしてよくよくそのテーブルを眺めてみれば、違和感の根源に気付く事は容易い。テーブルから伸びた端末コード。
「ここが……ウォールズのギルドなのか」とマイキーの呟きに被せるように仲間達が息を呑む音が響く。
生まれ変わった教会が持つ意味を理解したマイキー達が次に採る行動は、この街へ訪れた当初の目的と一致する。教会のテーブル椅子に並んだ彼らは端末コードにPBを繋げると、画面に目的のクエストを映し始める。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
▼探索クエスト
◆―――――――――――――――――――――――――◆
○大富豪ウォルタ・クリアの財宝(推奨Lv9~:難易度★)
今、ウォールズの酒場で最も注目を集めている話題と云えばあの大富豪ウォルタ・クリアが残したと云われる財宝だろう。酒のつまみに夢を語る冒険者の顔ときたら、それこそ酒の肴に最高なんだけどな。あんたもそう思わないか。それとも、こうしてクエストに興味持っている事からして、あんたも同じ穴の狢か。まあ、いい。それならば俺もあんたに一つ夢を託そうじゃないか。もし本当にアプトレイクに財宝が眠っているって云うのなら証拠品を見せて貰おう。報酬は、そうだな。この貴重な水宝石の指輪なんてどうだ。水の加護が得られる不思議な魔力を秘めた指輪だ。売れば三万エルクは下らないだろう。霞んだ夢物語の対価としては破格だと思うが、本当に夢を見せてくれるなら安いもんさ。乗るか反るかはあんた次第、酒に呑まれる日々には正直退屈してたところだ。せいぜい楽しませてくれよ。
◆―――――――――――――――――――――――――◆
瞳に映るクエストは明らかに難色を示す。だが運命は所詮、サイコロ任せ。振ってみなければ分からない事もある。サイコロ一つ振るだけで運命が決まるなら安いものじゃないか。だが、それは賢明とは程遠い答えでもある。
マイキーの瞳に輝く強い光。
一体僕はどれほどの過ちを犯してきたのか。だけども正直僕も平穏には辟易としてたところだ。
――ここは一つ夢物語に懸けてみるか――