S8 [錬金術S.Lv8.00:ドライイースト]
■創世暦ニ年
四天の月 土刻 11■
緑園の孤島を覆う空はこの日も青く澄んでいた。島の淡水湖の畔では水浴びをする冒険者達を遠目にくつろぐ一人の冒険者の姿が在った。マイキーだ。
「さてと、今日の生産始めるか」
あれからタピオの事は気掛かりだったが、実質出来る事は何も無い。それでも、何か手助けはしてやれないかと心の中で考えてはみるが、やはり介入の隙は残念ながら見当たらない。
やはり、これは彼自身が解決すべき問題なのだ。
憂鬱とは無縁な変わり映えの無い生産の日々。長閑な日常は人に何を思わせるのか。少なくとも一個人、いや一冒険者としてこの世界の開拓に進んで力添えをしようという見上げた向上心や献身の姿勢から遠く離れた事は間違いが無い。
喧騒から離れる事で得た余興を否定するつもりは無い。実際、その余興を充分に楽しんでいる。ただ、同時にその余興に溺れている事も事実だった。
今もこの世界のどこかでは冒険者達が恐るべき先住民達と侵略戦争を繰り広げているかもしれない。そう考えると、この休暇で得た生産という余興はつくづく良い身分と言えた。
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●[錬金術S.Lv8.00:分解] 各種果物 = 天然酵母菌
●[錬金術S.Lv8.00:乾燥] 天然酵母菌 = ドライイースト
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手に取った赤林檎を眺めながら、生産工程を確認する。今回S.Lv8の生産課題となるのは『ドライイースト』の生成である。
生産原料としてはこの赤林檎を用いる。まずはこの赤林檎を分解して天然酵母菌を製造する。分解の際、他に原材料となる素材は存在しない。赤林檎を単品としてそのまま分解に掛ける。そして製造された天然酵母菌を今度は単品として乾燥に掛ける。こうして、二段階の生成行程を経て作り出されるものが『ドライイースト』なのである。
主にこれらの天然酵母菌やドライイーストは料理のパン生成で用いられる重要な原料である。
「普通パンって言ったらドライイーストで膨らませたものばかりだし。天然酵母パンとか食べてみたいな」
願わくばキティが料理の生産スキルを磨いて、パンの製造が可能になれば。いつしか朝食に焼きたての天然酵母パンを拝める日がやって来るかもしれない。
朝食は絶対にパンを推進するマイキーとしては、想像しただけで魅惑的な日々だった。
「そんな夢の生活に向かう為に、今は地道な努力に励む訳だ」
独り言のように呟きながら立ち上がったマイキーは湖畔周辺での素材採集へと向う。
まずは原材料となる赤林檎を集められるだけ集めた方が効率が良いだろう。赤林檎酢の生産の際に大方、この辺りに生っている林檎の樹の位置取りは掴めている。
とりあえずは湖畔の周辺を時計回りに探索を掛けてみるか。マイキーがそんな思案を巡らせていたその時だった。
ふと近場の茂みがガサガサと音を立てて揺れ始める。
オニオンポックルだろうか。それとも一応この辺りはシーフロッグの生息範囲内でもある。現在のマイキーのレベルならば襲われる心配は無いが、突然滑り気のあるあの緑色の肌が視界に現れるのは心理的に宜しくない。
マイキーがバロックナイフを構えて茂みへと歩み寄ったその時、突然茂みから飛び出す小さな影。小さな影は飛び出るや否や短剣を構えたマイキーの姿に、驚いた様子でその場にへたれ込む。
「わっ、待って待って! あれ……マイキーさん」
驚愕の声を漏らす小さな影の姿は少年だった。よく見慣れたとんがり頭の少年の姿に苦笑して短剣を下ろすマイキー。
「なんだ……タピオか? こんなところで何やってるんだよ」
高まった動悸を抑えながらゆっくりと起き上がったタピオは身体に付いた泥を払い始める。
「僕は湖に骨象の素材を集めに来たんだ。この淡水湖に落ちてるファンサービッグシェルっていう大きな貝がポーチの材料になるんだ」
「へぇ、ファンサービッグシェルか。聞いた事ない名前だな」
地表に転がった漂流者の剣を拾いタピオへと手渡すと、彼は素直に礼を述べる。
「それより、マイキーさんこそこんなところで何やってるの?」
「僕も生産さ。赤林檎を採ってドライイーストに加工するっていう地味な作業だよ」
その言葉が意外だったのか。タピオは剣を鞘に戻す事も忘れて、きょとんとした表情を浮べる。
「え、ドライイーストって。あのパンを発酵させる時とかに使う菌の事でしょ? あれって……林檎から採れるものだったの?」
「いや、正確には林檎から採れるものもある。実世界ではその方法は色々さ。とりあえず細かい説明は省くけど、ここではまず赤林檎を分解して天然酵母菌を作るんだ。この天然酵母菌がドライイーストの素材になる」
マイキーの説明に「へぇ」と頷いたタピオはそれ以上は深く追及はしなかった。
「生産は順調みたいだな」とマイキーの言葉にタピオは人差し指で頬を掻きながら微笑みを見せる。
「うん……まあね」
笑顔ではあるが彼本来の明るさが消え、翳りが見える。その理由を当然マイキーは理解していた。まるで、何か辛い出来事があった事を生産という余興で誤魔化しているような。
そんな心索からか自然とマイキーの口から言葉が零れる。
「なんか……いつものタピオじゃないな。何かあったのか?」
我ながら白々しい。だけれども切り口としては上等だった。
マイキーの何気ない質問に表情を一瞬歪めたタピオは再び笑顔を作り否定する。
「そんな事ないよ。いつも通りだよ」
「本当か? タピオは心配事があるとすぐに顔に出るからな。もし、本当に何か悩みがあるなら、無理しないで言えよ」
そうしてタピオの表情を真正面から見つめながらその茶髪の頭をくしゃくしゃと撫でるマイキー。
必至に取り繕って笑顔を見せていたタピオだが、ここでその表情が見る見るうちに歪んで行く。涙を堪えようとしているのか、だが溢れる水滴が抑えられず瞳から零れ落ちる。
「どうしたんだよ……タピオ」
マイキーの真摯な言葉にタピオは今一度向き直り涙を払う。
「本当に何でも無いんだ。僕湖に行かなくちゃいけないから。行くよ。それじゃ」
そうして、マイキーの前から一直線に走り去るタピオ。その後姿は酷く寂しそうで、マイキーから言葉を奪った。
――余計な事をした――
誰が言わずとも、タピオはこの問題を一人で抱えて自分で何とかしようとしている。そんな彼の誠意に対して、マイキーは安易な優しさから彼のその心の内を掻き乱したのだ。
今となってはもう遅い。だがマイキーは激しい後悔の念に捉われていた。安易な優しさが逆に人を傷付ける事もある。その事を忘れていた。




