S8 緑園の孤島
美しい緑に包まれた鳥獣達の楽園。緑園の孤島という名の由縁の通り、そこには雄大な大自然が広がっていた。イルカ島と比較するとその総面積は広大で、その全長は53平方kmにも及ぶ。
島の中央部に聳える緑々しい山々の頂きには奇妙に突き出た巨大な岩盤が天を貫いていた。
辿って来た海岸線から島へと上陸したマイキー達三人は砂浜からそんな緑地帯を見上げる冒険者の一群の中へと姿を混ぜていた。
おそらくはその多くが探索クエストに導かれてやって来た者達であろう。中には何も知らずに冒険者の一群に釣られてやってきた者達も存在するかもしれない。エリア人数を確認したところ島に存在するのは88567名。そのほとんどがLv1の冒険者であった。九万人近くのプレイヤーがこのエリアに存在すると言っても実際は、インディヴィジュアルシステムによって異なる位相に振り分けられている。ざっと見渡した限り、この浜辺に存在するプレーヤー数は百名といったところだろう。
冒険者達の多くが既にこの島の存在に気付き始めている。潮汐上、引き潮が発生する明け方から夕方までのみ渡る事が可能となるこの島には一体何が隠されているというのか。
「今日の目的はこの島の調査だ。出来ればサーチクエストの神秘の洞窟が指し示す場所くらいは確認しときたいところだけど。まぁ、まずはモンスターLvを判断しながら引き返せるうちに村へ戻ろう。日没になって海岸線が消えれば、明日の明け方までこの島で野宿になるから」
既に砂浜へ辿り着いた多くのプレイヤー達は草木が生い茂る島の中央部へと向かって歩み始めていた。彼らに遅れを取らないように三人もまた今ゆっくりと歩み出す。
イルカ島に比べて、緑豊かなこの島には多種多様な生物が生息しているようだった。上空には先程見たクロットミットの群れが飛び交い、砂利が草木に包まれた泥地へと変わる頃、辺りは完全に背の低い広葉樹林によって包まれていた。三人の視界の中でぴょこぴょこと奇怪な動きを見せながら泥地を徘徊する生物。横幅五十センチメートル程の巨大な玉葱のようなその生物はマイキー達の姿を見るとまるでお辞儀をするように、頭を下げて頭上の双葉を差し向ける。それが彼の警戒態勢であった。
「Onion Pockleか。Lv2。警戒体勢とりながらも攻撃して来ないところを見るとノンアクティブだなこいつ」
「狩るか?」とジャックが剣を引き抜いたところでマイキーが制止する。
「あそこにももう一匹居る。リンクする危険性を考えて今は様子見しよう」
そうして、戦いを避けた三人は盲目的に島の中を歩き続ける。
傾斜のついたゆるやかな上り坂は島の中央部に向かって続いている。三人はその傾斜から逃れるように自然と島の南側へと歩を向けていた。
マップで確認出来る事は島全体の輪郭のみだった。それ以外の情報としてはただ敵やプレーヤーが赤や青の点で表示される。
森の所々には黒翅に黄色の筋を持った、全長三十センチメートル程の美しき巨大蝶パピルスが飛び交い、その下では桃色の体毛に覆われた丸いモコモコとした兎に似た生物ラヴィが、泥地の合間に覗く草地の上でコロコロと転がり冒険者達を迎え入れていた。
マイキー達の姿に気付くと、丸めていた身体を開きその長い耳を向けじっと視線を投げ掛けるラヴィ。その様子にアイネはただ歓喜の声を上げていた。
美しくも愛らしい生物達の姿。非好戦的な彼らの姿にここまで戦闘を避けながら、一行は島の南海岸を目指していた。
柔らかな光が僅かに差し込む森の中を歩く事、三十分。
「何か戦闘意欲が今一そそられねぇよな。もっと戦い易い奴居ないのか」
ジャックが煙草を吹かしながら怪訝な表情で呟いたその時だった。
三人の視界の先で大きく飛び跳ねる黒い影。影は近くの茂みの中へと姿を消していた。
「見たか、今の」とジャックの言葉に頷くアイネ。
「私ここで見てるね。二人共頑張って」
「いや、お前も頑張れよ」
と、二人のそんな掛け合い漫才を聞き流しながらマイキーがゆっくりと歩み出す。
腰元から銅剣を引き抜いた彼は、茂みへと近づいて行く。万が一の時を考えて、いつでも迎撃できる態勢を整えていた。
そんなマイキーの姿を見て、ジャックもまたいつでも援護出来るようにと茂みの側方へと回り込む。
「二人共気をつけて」と心配そうに声を上げるアイネ。
「大丈夫だよ。死にゃしない」そう言ってマイキーがゆっくりと今茂みに手を伸ばして行く。その時だった。
突然、茂みの中から突き出された赤い何かに咄嗟に身体を反転させるマイキー。
同時に茂みからは体長一メートル程の巨大な影が姿を現していた。三人の丁度中央に飛び出したその緑色の肢体はヌメヌメとした光沢に包まれていた。口元からは血液が浮き彫りになった赤く長い舌が垂れ下がっていた。マイキーを攻撃したのがこの舌だ。
「マイキー、大丈夫か」とジャックの言葉に微笑するマイキー。
「全然問題無い。無傷」
そう呟いてターゲットへと銅剣を構えたマイキーは二人に指示を出し始める。
「Sea Frogger。Lv4のアクティブモンスターか。舐めた真似してくれたな」
一同の前に現れた巨大な緑蛙。
マイキーの視界内ではターゲットの死角へと静かに身を置き換えるジャックの姿が映っていた。彼の動きに無言で視線を送るマイキー。
同時に背後からターゲットの頭に突き立てられるジャックの鋭い剣撃。だが、滑りのあるその体表に弾かれジャックは攻撃した手を引き戻す。その瞬間、シーフロッガーの注意がジャックへと引きつけられる。突き出された赤い舌をジャックは紙一重でかわすと一旦距離を取る。
「頭ぶっ叩いたのにダメージ通ってないみたいだぜ。こいつ無理なんじゃないか」
ジャックの言葉にアイネもまた死角から攻撃を突き刺し、すぐに距離を取る。だがまたしても攻撃効果は得られなかった。
「Lv4だからな。流石にこのLv差はキツイか。皆、合図したら散開しよう。落ち合う場所はここから一番近い東の海岸で」
マイキーの言葉に頷く一同。ターゲットを中央に間合いをじりじりと遠ざける一同を前に、再びシーフロッガーが飛び上がろうとしたその時だった。
マイキーが腕を振り上げたのを合図に一斉に散開する一同。マイキーは飛び掛ってきたシーフロッガーの巨体を間一髪でかわすとそのまま森の東へと向かって駆け始める。
場合によっては獲物が自分達を追ってくる可能性は充分にある。どこまで追尾されるかは分からないが海岸まで出れば、振り切れる自信はあった。
ここから東の海岸まではそう距離は無い。足場の良い地形を選んで島の中央部から南へと向かって大きく迂回していたせいか、ここから海岸までは1km少しといったところだろう。
森の中を全力で走る事、数分。森の中ではところどころで悲鳴が鳴り響いていた。走っている最中に森の中には幾匹のシーフロッガーの姿を確認出来た事から、この周辺ポイントは彼らの生息区域なのだろう。この区域へ迷い込んだ冒険者達に浴びせられる洗礼という訳だ。
背後に飛び跳ねる無数の気配を感じながら、鳴り響く悲鳴が仲間のもので無い事を祈り、無我夢中で走り続ける。
僅か数分の時間でも、その緊張感からか酷く長い時間のように感じられた。次第に息が切れ始める。森の木々の向こうに浮かび上がる光。
そして、その視界が唐突に開けると、そこには真白な砂浜が広がっていた。完全に息を切らして、その場に倒れ込むように膝をつき項垂れるマイキー。
砂浜では数匹のシャメロットが徘徊し、その足跡を残していた。
その穏やかな光景を前に戦いの緊張感が自然と解れて行く。青い海原の向こうにはイルカ島の輪郭がはっきりと浮かび上がっていた。
そんな光景を前に今ゆっくりと真白な砂浜に腰を下ろす。
「あいつら、無事だといいけど」
そう呟き、溜息交じりに微笑するマイキー。
ただの軽い調査だと思っていたが、ここ緑園の孤島の生態系はなかなか手厳しいようだ。
▼次回更新日:5/20