第二項 登場人物紹介:ネタにされた人々(五)
〇ピソ(?-AD20)
<名前>
Gnaeus Calpurnius Piso
グナエウス・カルプルニウス・ピソ
<こんな人>
同姓同名の父は筋金入りの共和主義者として神君カエサルやアウグストゥスと敵対し、息子である彼も共和主義的共感と批判精神に富んでいたといわれる。元老院での発言が色々と残っており、自己主張の強い人、という印象がある。ティベリウスが元老院で癇癪を起こし、「(自分の意見を)宣言して投票する」と叫んだとき、「最初に投票してくれるなら皆それに倣えますが、最後ならムリですよ」とたしなめた、というエピソードがある(タキトゥス)。
<私見・偏見>
カミナリオヤジ。
〇神祇官ピソ(BC48-AD32)
Piso Pontifex(Lucius Calpurnius Piso)
ルキウス・カルプルニウス・ピソ
<こんな人>
同姓同名の執政官経験者(グナエウス・ピソの弟。通称「鳥占官ピソ」)がいたために「神祇官ピソ(ピソ・ポンティフェクス)」と呼ばれた。ガラティアやシュリアで総督を務めた他、トラキアでは反乱鎮圧の功により凱旋将軍顕彰を授けられている。アウグストゥスの死ぬ少し前、都警察長官に就任、二十年間公平に職務を遂行し、皆の尊敬を集めた。文芸の保護者としても知られ、ホラティウスは彼の二人の息子に詩を捧げている。
〇鳥占官ピソ(?-AD24)
<名前>
Piso Augur(Lucius Calpurnius Piso)
ルキウス・カルプルニウス・ピソ
<こんな人>
グナエウス・ピソの弟。神祇官ピソと区別するためにこう呼ばれた。兄同様に?一本気で率直な性格だったらしい。リウィア(アウグストゥスの妻。別項参照)の友人を告発した時にはティベリウスを困らせ、首都の腐敗を痛烈に批判して元老院で「田舎に引退する」と宣言した時には、ティベリウスを慌てさせている(タキトゥス)。グナエウス・ピソといい、ピソ兄弟は、結構ティベリウスを悩ませているようだ(笑)。
〇セイヤヌス(?-AD24)
<名前>
Lucius Aelius Sejanus
ルキウス・アエリウス・セイヤヌス
<こんな人>
セイユス・ストラボの息子。アエリウス一門の養子となったため、「セイユス一族出身の」の意味での「セイヤヌス」と呼ばれたと思われる。ティベリウス帝の信頼を受けて権力をほしいままにしたが、後にこの帝自身によって粛清された。
<私見・偏見>
古代の歴史家タキトゥスは、「粛清するのはいいがそのやり方が陰険だ」として、その本の中でティベリウスを非難しているが、塩野氏は著書の中で「陰険以外にどのような方法があったというのか」と擁護している。何はともあれ、やり方が陰険だったのは確かということだ(笑)。
〇パテルクルス(BC19?-AD31?)
<名前>
Gaius Velleius Paterculus
ガイウス・ウェレイウス・パテルクルス
<こんな人>
ティベリウスの信奉者の一人で、後に「ローマ史」を記してその治世を称えた。ゲルマニア、パンノニアで実際に従軍しているので、その記録として非常に貴重な資料となった。著書の中でティベリウスを誉めまくっており、その点でも極めて珍しい人である。
〇マクロ(?-AD38)
<名前>
Quintus Naevius Cordus Sutorius Macro
クィントゥス・ナエウィウス・コルドゥス・ストリウス・マクロ
<こんな人>
セイヤヌスの後の親衛隊長官。その前は消防隊(夜警隊)長官だった。一説に、瀕死のティベリウスが息を吹き返したとき、「あの老人の上に大量に布団を載せて逃げて来い」と指示し、この老帝を窒息死させたとかしないとか。妻を使ってカリグラを手なづけようとしたとかしないとか。中々にスキャンダラスな人である。最後は妻と共にカリグラによって粛清された。
【2020年5月22日追記】
ピソの生誕年はBC44-43のようですね。私はBC48設定で執筆していました。本文は訂正しませんが、こちらに追記します。