第二項 登場人物紹介:ネタにされた人々(一)
〇ティベリウス(BC42-AD37 在位AD14-37)
<名前>
Tiberius Claudius Nero
(Tiberius Julius Caesar Augustus)
ティベリウス・クラウディウス・ネロ。後にアウグストゥスの養子となり、ティベリウス・ユリウス・カエサルとなる。
<こんな人>
帝政ローマ第2代目皇帝。初代皇帝アウグストゥスの妻の連れ子で、曲折の末に彼の後継者となった。ユリウス・カエサルが企画し、アウグストゥスが構築した帝政ローマを磐石とすること(塩野)に生涯を捧げた、と一応は言っておこう。極めて有能な人物であったことは大抵の人が認めている。
だが塩野氏も述べているごとく、「性格的な欠陥」が色々とあったために、政治家として不適切な言動も多く、ローマ市民は77歳のその死を歓呼で迎え、市内を踊りまわったという。
彫刻のコレクターでもあり、旅の途中で強引に召し上げたとか、公共浴場のものを強引に召し上げたものの、市民に怒られて返したとか、中々かわいいエピソードも残っている(プリニウス)。
<私見・偏見>
「有能だが不幸」「内気な性格が災いして陰謀ノイローゼになった」「心休まるときなどあったかと思うほど哀れな人生を送った」とか、色々な人が色々に書いている。毀誉褒貶の激しい人だが、深川のイメージは「父性の人」だった。非常に思慮深く忍耐強い性格ではあるが、ガマンが限界に来ると誰も予想しなかった形でオツムが大噴火を起こす、という、取り扱い注意の人でもある。
〇アウグストゥス(BC63-AD14 在位?BC27-AD14)
<名前>
Gaius Octavianus(Gaius Julius Caesar Augustus)
ガイウス・オクタウィアヌス。後に神君カエサルの養子となり、ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥスを名乗る。(アウグストゥスは「至尊者」の意味。)
<こんな人>
ローマの歴代皇帝の中でも、初代皇帝アウグストゥスの彫像は群を抜いて多いそうだ。だが、その像は全て三〇代の若々しい姿であり、七六歳まで生きたにもかかわらず、四〇代や五〇代の彫像は見当たらないらしい(塩野)。このことから導き出される可能性として、アウグストゥスは、
(一)若作りである
(二)不老不死である
(三)そもそも人間ではなく政治マシンである
など、様々に考えられるが、塩野氏は、清新さをアピールするためのイメージ戦略であったとする。はてさて。
ローマでは新参者の家に生まれながら、母方の大叔父カエサルに見出されてその後継者となり、アントニウスに勝利した後は、四〇年以上にわたって最高権力者の座(実質上の皇帝位)にあった。「ローマの平和」の立役者として皆の尊敬を集めたが、家庭内では不祥事や不運が続き、最終的には血のつながりのない継子ティベリウスに帝位を譲るという決断をせざるを得なかった。
<私見・偏見>
真面目で律儀で食えないじーさん。
家では愛妻リウィアの尻に敷かれ、質素な生活を愛してはいたが、公的にはケチではなく、自分の強運を告げた占星術に従って都市整備を行い、実入りは潔く社会に還元した。とはいえ恩着せがましいことに、それらの出費と業績を「神君アウグストゥスの業績録」として青銅の板に刻んで墓に飾るよう遺言した。後世へのPRである。出納簿と日記をこまめにつけていたのであろうか。
あの時代に76歳まで長生きし、後継者ティベリウスに後を託して大往生を遂げた。
「強運の頭脳派アウグストゥス」『古代ローマ散歩』