【第2話】パンツとチョコレート
小さい頃の私はとにかく引っ込み思案で、いつも母親の親指を握っていた。母が私を公園に連れて行ってくれても、他の子供たちと一緒に遊ぶことができずに、ずっと母のそばを離れなかったし、また、ちょっとでも大きな声を出す人が特に苦手で、すばやちゃんおはようと元気よく声をかけてくる保育園の先生を母の陰からきっとにらみつけていた。そんな私にも積極的に声をかけて仲良くしてくれる友達がいた。それが、ももかちゃんである。そして、当時園内で流行っていたアニメのキャラクターのピンクのセーラー服をももかちゃんと一緒に着て私がはしゃいでいた時に、あの事件は起こったのだ。
「あらら、お漏らししちゃった?かけるくーん、すばやちゃんのパンツ取って来て。」
はーいとロッカーに向かって走り出した男の子が私の初恋の相手である。まさか、意中の人に自分の、しかもパンツを運ばせていたなんて。恥ずかしくて思い出したくない思い出である。しかし、あろうことか、この時の様子はしっかりとビデオに収められていたのだ。かけるくんの両親は離婚しており、かけるくんは母子家庭の一人息子だった。見た目も格好よくて優しいお母さん思いの男の子である。もちろん、園内でも女の子にモテモテで、かけるくんに結婚を申し込む子が何人もいた。
「1番はさくらちゃんと結婚して、2番はももかちゃんと結婚するから、すばやちゃんは3番目に結婚してあげるね。」
かけるくんとしては、好きな順に結婚するつもりだったのかもしれないが、さくらちゃんと離婚して、ももかちゃんと再婚、ももかちゃんと離婚して、私と再婚ということは、最終的には私の勝ちじゃないかと密かに喜んでいた。
保育園にはフルタイムで働く母親が私とかけるくんの母を含め4人いた。今ではそんな母親も当たり前になっているが、当時は女性は専業主婦になることが主流で、働きながら主婦業をしているとしてもせいぜいパートで働く母親がほとんどであった。そんな中で、毎日遅くまで働く4人の母親同士はとても仲が良く、子供たちも含めよく旅行にも行っていた。私は母の仕事の都合で、4歳の頃引越しをし、その保育園から離れることになるが、4人の母親とその子供たちの関係はその先もずっと続いていた。春休みや夏休みが来れば、母親たちは忙しい中で休みを合わせて、私たちをアスレチックや遊園地に連れて行ってくれた。私たちが高校生になるまでその関係は続き、その後も母の会が開かれていたが、かけるくんの母親が再婚して遠くに行ってしまったことを境にそんな関係もなくなってしまった。
小学校に上がって中学年くらいまでの間、私は毎年かけるくんにバレンタインのチョコレートを贈っていた。ホワイトデーにはかけるくんからお菓子の詰め合わせが届くのだが、デートのお誘いは一向に来ない。どうやら、私のチョコレートが本命だとは伝わっていなかったようである。もしくは、かけるくんにはその気がなかったのだろう。少し寂しかったが、不思議と悲しいとは思わなかった。付き合うとか彼氏彼女だとか、そういうことはまだまだ考えられない年齢だったのだ。小学生の女の子にとっては誰かを好きでいるだけで幸せで、その人に好きを伝えることがゴールなのである。初恋は叶わなかったものの、実は通っていた小学校ではそこそこモテていたのである。引っ込み思案だった性格もなくなり、色白で長いストレートの黒髪、男の子からはなぜかお嬢様だと思われていた。何人かに告白されたこともあったし、誰々が自分のことを好きだという噂を何度か聞いたこともあった。この時期が私の一番のモテ期だったのではないかと思う。
「聞いたかー、小林のやつ直島のこと好きなんだってよ。」
同じクラスに小林くんといういかにもガリ勉風のメガネをかけた男の子がいた。小林くんはいつも優等生ぶっていて、学級委員長にも自ら立候補するような目立ちたがり屋である。そんな小林くんは女の子から嫌われており、小林くんのそばによると菌がうつるとひどいいじめにあっていた。
そう、この頃から、私は何かしら問題があったり、変わった人に好かれる傾向があった。例えば、みんなから仲間外れにされている子や、性格が変わっていると言われる子、障害を持った生徒などに好かれることがよくあった。なぜ、そんな子ばかりに好かれるのか、その時は分かっていなかった。けれども、そういう子たちはだいたい友達が少なくひとりぼっちで、私は少なからずその子たちを可愛そうと思い、私が何とかしてあげなければと考えていた。だから、誰も声をかけないその子にわざわざ声をかけ、その子を助けた気になり優越感に浸っていたのだ。そんな私を周りの友達は優しいと勘違いしてくれていたが、実際それは優しさなんてものではなかったと思う。弱い子たちを気にかける私って偉いでしょうなどと思っていたに違いないのである。その間違った優しさは、私が中学生になっても続いていた。