世界をなめるな、転生者。
凡人。それは年齢を重ねれば重ねるほど誰もが自覚し始めるステータス。
辞書で引いてみると、以下の通りに記されている。
特にすぐれた点もない人。
普通の人。
また、つまらない人。
英語に訳すとordinary person、もしくはaverage person。読んで字の如くだ。
誰しも幼いころは自分が特別だと考える。
将来自分は絶対に成功するのだと。何の根拠もないのに。
魔法学校の先生が言っていたな。
「俺はバカだったから●●大学にしか行けなかったんだ」
クラスのみんなで大笑いしたさ。俺はそんなところ死んでもごめんだって。
失敗を繰り返し、人に馬鹿にされ、初めて分かった。
そして後悔して気付いた。
自分は特別じゃない。
自分は天才でも英雄でも何でもないのだと。
思い浮かべたことが脳裏を渦巻のように駆け回る。
私は、握りしめる気力さえ失った拳をかざし、石造りの天井を見上げた。
そうだ、あの日だ。
全てはあの日から始まった。
11年前の、あの日から。
▼▼▼
私は日本という国の企業戦士だった。よく言うサラリーマンというやつだ。
もう思い出したくもない記憶だが、30代前半でとある部署の長に任じられた私は、正直言って驕っていた。
同じ系列企業の部長会議で集まってみても、周りは軒並み40代から50代。ごく一部30代もいたことはいたが、彼らも私より年上だった。
中学、高校、大学入試。部活動にサークル活動。そして就職活動に結婚。
一度も失敗らしい失敗をせずに歩んできた私の人生は、まさに順風満帆といえた。
だが、今になって思うことがある。
失敗を一度もしたことがないということはすなわち、敗北を知らないということ。
私が人生の格言としてきた、古代中国のとある人物はこのように述べた。
故に曰わく、
彼を知りて己れを知れば、百戦殆うからず。
彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼を知らずして己れを知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。
この最後の一文。
敵情を知らず味方の事情も知らないのでは、戦うたびに決まって危険である。
失敗を敵と仮定するならば、これが私だった。
自分で言うのもおこがましいが、エリートコースを歩んできた私は、失敗も挫折も知らなかった。そしてそうなったとき、自分がどうしたらよいのかすら知らなかったのだ。
そして、運命あの日も――
その日も仕事を済ませた私はいつものように帰宅の途についていた。
混雑する地下鉄に乗り込み、両耳のイヤホンからお気に入りの楽曲を流す。そこまで帰宅時間が長くないとはいえ、混雑のストレスを軽減するのには効果的な方法と言えた。
携帯のチャットアプリの家族グループでは、妻が私の好物であるメロンパンをお土産に買ってきたという旨のメッセージを残してくれていた。まずは夕飯を口にしたかったが、食後に食べることを考えれば食欲が余計に促進された。
最寄り駅で降り、地上へのエスカレーターに乗る。いつもならば歩かずに上ってゆくのを待っているが、あの日は歩いてしまった。年甲斐もなくメロンパンに興奮してしまったのだ。
普段地上に出ると外すイヤホンを外すことも忘れ、私は自宅を目指して歩き始めた。多少雨がぱらついていたが家との距離は徒歩7分。速足ならばそこまで濡れることもないだろう。
歩き始めて数分。楽曲を聴きながら歩く街はとても新鮮だった。自動車の走行音も人の話し声も聞こえない。聞こえてくるのは自分の好きな音楽だけ。
これからは電車の中だけでなく、この道でもイヤホンを付けながら帰ってみようか。
そんなことを考えた矢先のことだった。
突然背中を押され、勢い余って車道に飛び出してしまった。転ぶことこそなかったものの、片耳からイヤホンが外れてしまった。
次に聞こえたのは悲鳴とクラクション。悲鳴はよくわからないが、クラクションは重苦しい吹奏楽器のような音だったため、バスかトラックだったのだろう。
咄嗟に周りを見渡すと、視界に1人の男が映った。瞬間、私はその男に違和感を覚えた。
上半身はパーカー。これは普通だ。雨がぱらついている以上、フード付きの服装は別に珍しいものではない。
下半身はジャージ。これも普通だ。近場へのちょっとした用事ならわざわざ堅苦しい服装をする必要はない。
だがその下は何もなかった。靴を履いていなかったのだ。これはさすがに普通では考えられない。
さらに異様だったのはその顔色だ。気味が悪いほどに青白い。さすがにモヤシとまではいかないが、カリフラワーや白アスパラを連想させる。
逃げなければならなかった。すぐにそうするべきだった。だが予想外の事態に私の身体は一瞬固まってしまった。
それが私の運命を決めた。
全身に衝撃が襲い掛かり、自分の肉体が浮遊する感覚があった。
はねられた、と認識した刹那。私の視界は暗闇に閉ざされていた。
▽▽▽
本来ならば、1人の不注意な男が事故で死んだという何の変哲もない人生だったはずだ。
だが、私としての自己認識はまだここにある。
そうだ。私は生まれ変わったのだ。
前世では黒かった髪の毛は金色に。幸い目の色はそのままだった。
前世の名前とは全く異なる、外国人のような名前を付けられた。以来私は本名で呼ばれたことは一度もない。
こうして私の第二の人生が始まった。
そしてもう一度エリートコースを……
歩めると思っていた。
だがこの世界に私の常識は通じなかった。
確かに技術レベルは低かったが、私にはそれを発展させるノウハウもなければ人脈もなかった。
冷静に考えて企業戦士の私に肥料の作り方が分かるわけがない。火薬?砦?軍の陣形?そんなものは論外だ。
なにせこの世界と日本との知識レベルは明らかに異なる。いい大人が足し算算引き算で頭を抱え始めるのだ。そんな小学生以下の脳みそ連中に企業戦略を解いたところで1ミリも理解できないだろう。まさに馬の耳に念仏だ。
そんなことばかりしていた結果。私は10歳で幼学校を卒業するころにはすっかり変人扱いされるようになってしまった。何度悪魔祓いを受けさせられたかはもう覚えていない。アホ共が。
ちなみに幼学校とはこの世界の子供たちが一般常識、といってもサルレベルだが、それを学ぶ場所だ。いわば幼稚園と小学校の融合体ともいうべきだろうか。
ああ。言い忘れたがこの世界には魔法なんぞというふざけたものがある。
どうもそれは生まれついての才能が最も大きく影響するらしい。曰く、努力しても限界値を伸ばすことはないだろうという、世に言う努力大好き人間が怒り狂って死にそうなものだった。
で、私にはその才能がなかった。微妙、などというレベルではない。文字通りゼロだった。悲惨だ。それに気付かされたのが7歳の時。
その時はまだ知識で見返してやればいいと思っていたが、そうはならなかった。何しろ私は既に変人扱いされ始めていたからだ。
第一紙が貴重だったので文章でまとめることができない。というかまとめたところでこの世界の住人は多くが文盲だ。書く意味がない。
しかも文の効率も恐ろしく悪い。この文法を考えた奴はすさまじいアホだ。断言できる。
魔法も駄目。学問も(周り基準では)駄目。
そんな私に残されていたのは、エリートコースどころの騒ぎではなかった。高等教育機関への進学などありえない。就職?変人を採用するところなどない。大体面接官が全員文盲ってどういうことだ。ここの住民は記憶操作でもされたのか。
幸い家が農家だったため、無職ということはなかった。だがこれも効率が悪い。牛らしきものをで犂を引く牛耕までは分かる。だがなぜ糞を拾って捨てる。肥料として使え。大地の神様がお怒りになる?知るか。勝手にキレてろ。
農民として土地と家を持ってから1年。私は11歳になった。
そしてある日、夜空を見上げて思った。
ああ。私は凡人だったんだな、と。
周りに受け入れてくれる環境があったから私は企業戦士としてのエリートでいられたのだ。この世界でなら農家や軍人の方がはるかに資源価値は高い。
前世で失敗しておけば、こんな思いもせずに済んだのかもしれない。自分が凡人だと思えるような人間だったら、私はこんなに追いつめられることもなかっただろう。
自分は天才ではない。前世で30年余、今世で11年。こんな簡単な事実に、計40年以上かけてようやく私は気が付いたのだ。
そして同時に、世界を憎んだ。自分が生まれ変わってしまったこの世界を。
八つ当たりだということは分かっていた。
この世界でもそれなりに周りと馴染めば、普通の人生は送れただろう。
だが私はそれをしなかった。できなかった。
どうやら私は、前世に未練を持ちすぎてしまったようだ。
翌日。私は街に出向いた。買い出しという名目ではあったが、本当の目的はそれとは異なる。
1年前までは本当に買い出しをするだけだった。それが普段の生活の中で心が躍る数少ないことだったからだ。
何がそんなに楽しいのか、と聞かれると一言で済む。
計算をごまかすのだ。
あらかじめ言った通りこの世界の住民は多くが文盲だ。ましてや計算なんかできるわけがない。
もちろんそういった事態を防ぐために、計算が一応できる小学生レベルの脳みその監視役がいるものの、こいつらも掛け算割り算ができない。そしてそいつらは給料の少ない、いわば下っ端役人だ。
案の定、金で懐柔するのは簡単だった。
始めたのはもう1年前になるだろう。
私が釣りをごまかし、その日監視役だった下っ端にその一部を渡す。もちろんこれには割り算が関わってくるのでごまかしながら、だが少しだけ慎重にだ。
徐々に私の持つ金は増えていった。両親は計算ができないのでごまかすのは難しい話ではない。私は役人の信頼を金で勝ち取り、徐々に人脈を広げていった。やがてその浮いた金は市場全体に広がり、それを利用した裏マーケットが誕生。私はそれの元締めとなった
前世の常識が通じないのならこの世界の常識を利用して最大限搾り取ってやる。現に数か月経った頃には、役人も詐欺師も犯罪者も、この街の社会の裏側に生きる者達は全員私の言いなりだった。
そして今日もそのはずだった。
裏マーケットで上納金やら賄賂やらを受け取り帰宅するだけ。
そのはずだったのに。
よくわからないフードを被った奴にそれがばれた。裏マーケットの根拠地にいきなり手下の役人が1人、後ろ手に縛られた状態で放り込まれたのだ。
そしてそいつは得意げにすらすらとイカサマを暴きやがった。
どうにか言い包めようとしたが、どうもそいつには四則計算の知識があるらしくさすがに限界があった。
しかも仲間と逃げようとした矢先、そいつの取り巻きと思わしき連中が私を取り囲んだ。
護衛の奴らは既に全員がやられていたのだ。
フードの男たちに捕まった私は、住民らから石を投げられつつ連行された。どうも役人らも上から下までほとんどが捕まったらしく、役所は一瞬にして空になった。
そして私は牢屋に放り込まれた。元締めということで特に厳重に管理されるのだという。
床に寝そべった私は、握りしめる気力さえ失った拳をかざし、石造りの天井を見上げた。
そして今に至る。
「あんたたちのせいで町中の人たちが苦しんでたのよ? 罪悪感とかは無かった訳?」
「やかましい。獣がしゃべるな」
牢の外から猫耳を付けた女が話しかけてくる。初めて見た。これが獣人という奴か。
その、なんだ。いざ目の前にしてみるとおぞましさの方が大きく感じられてしまう。
「そんな知識があるならみんなを豊かにしてあげることもできたじゃない」
そんな知識?四則計算のことか?ガキでもできる。
豊かにする?話も聞かない向上心もない、挙句教えようとした私を悪魔憑き扱いしてくるアホをなぜ救ってやらねばならないのだ。冗談じゃない。
「フードのあいつ、計算できたんだな」
「そうよ!シルヴァはすごいんだから!」
あのフードの男はシルヴァというらしい。
そこからはほとんど覚えていない。シルヴァはスゴイのだという自慢話を延々と聞かされていたように気がする。
確かにこの世界の住人にもかかわらず四則計算ができるというのなら大したものだ。
「ミリア、俺が話すよ」
すると奴が猫耳の女に席を外させた。そしてフードをとると、牢の前にかがみこむ。顔つきが思ったより幼い。
「俺はシルヴァっていうんだ」
「さっき聞いたよ」
見つめ返す。穏やかというか自身に満ち溢れたような表情だ。
「他の奴に聞いてもボスとかリーダーとかいうだけで本名は誰も知らなかった。お前は誰なんだ」
こんなところで本名を名乗るわけがないだろう。何のために名前を隠してきたと思っているんだ。
私が何を聞かれても答えるつもりがないことを悟ったのか、奴は立ち上がると再びフードを被った。
その時、奴の胸元から一枚の紙が落ちた。奴は慌てて拾い上げたが、そこに書かれていた文字に私の目は釘付けになった。
忘れかけていたが、忘れようもない。11年ぶりに触れた言語。
書かれていた文字は、日本語だった。
▽▽▽
次の日、奴は同じように私の牢屋にやってきたが、奴が転生者であることを問いただすのは簡単だった。
日本語で話しかけたらそれに返答したのだ。奴はしまったと言いたげな表情を浮かべたが、日本語のメモを見られた時点で詰んでいたことに気付かなかったのか。
奴曰く、自分は神様のミスで殺されてしまったのだということ。
そのお詫びとして神様からチートな能力を受け取ったということ。
特に魔法の才能がとんでもないものだったらしく、3人の少女と共に旅をしているということ。
奴は嬉しそうにペラペラと話した。私がゴミでも見るような眼をしていたことなど、気にも留めていない様子だった。
あまりにも気分よさそうに話すので、1つ聞いてみた。
「お前が死んだとき、もう1人巻き込まれたことを覚えているか?」
その瞬間、奴の表情は分かりやすいほど青ざめた。
「まさか、あんたか…」
「気付くのが遅いだろう。そもそも同年代という時点で気付け」
今まで気づかなかったのか。馬鹿なんじゃないか、こいつは。
どうも無職だったこいつは家で親と大喧嘩した挙句裸足で泣きながら駆け出したのだという。そして死のうとトラックに飛び込もうとしたらしい。
トラックにはねられると転生できるのだとどこかで知識を仕入れたというのだ。
だが飛び込む直前で怖くなりやめようとしたが、雨がぱらついていたことで滑って前を歩いていたサラリーマンに激突。そのまま2人仲良くはねられたのだという。
ああ、その激突されたサラリーマンが私ということか。
そうか。
ふざけるな。
「で、でもよかったじゃないか、こんな世界に転生出来て。剣と魔法の世界なんてみんな夢見る――」
「黙れ!」
年甲斐もなく怒鳴ってしまったが身体は子供。声変わりもしていない怒鳴り声に何の凄みもありはしない。
そのはずなのだが、奴は目に見えてひるんだ。どうせこの世界では天才だのなんだの言われて調子に乗っていたのだろう。
はは、まるで昔の私じゃないか。
「出ていけ。二度と私に近付くな」
吐き気のような嫌悪感しかなかった。一刻も早くこのクズから離れたかった。
だがそいつは当初の自信はどこへやら。おびえるような声色で言ったのだ。
「俺が日本であんな人間だったということはばらさないでくれ。頼む」
血管が切れそうになるとはこういう気分を言うのだと思う。冗談抜きで憤死しそうだ。いつぞやのローマ教皇も同じ気分だったに違いない。というか人の人生を志半ばで奪っておいて謝罪の一言もなしか。
第一なんなのだ神様のミスとは。自殺しようとしていたクズが一般人を巻き添えに死んだだけの話だろうが。
誰もが夢見る世界だと?何の知識もないアホ共相手にお山の大将のような真似をして何が面白いというのだ。
黙っている私を見て、奴は満足げに去っていった。
今まで憎んでいたこの世界への憎しみは、その神とやらへと移った。
そして私の心に残ったのは、あの男と神への殺意だけだった。
▽▽▽
次の日、私は牢屋から連れ出された。どうやら裁判にかけられるらしい。
まあこんな世界の判事なら知的レベルも知れたものだ。どうせ私を住民の怒りを受けて処刑するための魔女裁判だろう。
死ぬことがほぼ確実にもかかわらず、私の心はむしろ澄みきっていた。恥ずかしいことに私は自殺できるほどの度胸はない。このつまらない世界でどうにかなりあがってやろうと努力したが、もう限界だ。疲れた。
死ねるのなら悪くない。できる限り楽に殺してほしいものだ。
だが、1つだけやり残したことがある。
「あの男はどこにいる」
私を連行している男が怪訝に眉を顰める。
「シルヴァとかいうフードの男だ。どこにいる」
「黙れ! 貴様のようなクズがあの方の名前を口にするな!」
クズ?私が?
かもしれないな。
「あの方はな、この国始まって以来の大魔法使いなのだ! 既に陛下からもその力を認められ宮廷魔導士になることになっている! にもかかわらず様々な街で人々を救ってくださっているのだ! お前のような輩からな!」
うんざりだ。
なまじ力を持ったことがない奴がたまたま力を得ると、こういう始末のつけがたい人間になる。力を持ったことがなく、それを得ることに絶望していた人間なら尚更だ。
気持ちがいいか?
気持ちがいいだろうな。
日本ではなしえなかった自分の理想が文字通りに実現できる世界があるのだから。
巻き込まれたこっちはいい迷惑だ。
「待ってくれ。少し話を聞いてみるよ」
「ですがシルヴァ様…!」
「いいからいいから」
奴がどこからともなく現れ、私を男から引き離す。
そして私を人気のないところに誘導した。
「貴様に聞いておきたいことがある」
奴と向かい合う形で相対した私は、そう切り出した。どのみちもう時間はさほど残されていないのだ。
「なんだ?」
「その神とやらには会えるのか」
奴を転生させたような神だ。私を日本に戻すことはできるのかもしれないと考えたからだ。
もうこの世界に残されていたら私は頭がおかしくなる。いやもうすでに心が折れている。
「無理だよ。俺も会ったことはもうないんだ」
「そうか」
「なんであんな世界に戻りたいんだよ? この世界は最高じゃないか」
限界だ。
もうどうにでもなれ。
「ふざけるなよ…、貴様……!!」
堪忍袋の緒が切れそうだ。
なぜコイツのために作られたようなこんなつまらない世界で私が飼い殺しにされなければならないのだ。
思わず勢い余って胸倉を掴む。そしてそのまま続けた。
「かつて努力もせず、歩みだそうともせず、挑戦することさえせず、他人の足を引っ張るばかりだった貴様のようなクズに、なぜ二度目の人生が与えられているんだ! 貴様にとってつまらない世界だったかもしれないが、私にとっては大切なものがたくさんあったんだ!」
私には妻がいた。子供もいた。両親も兄弟も友人もいた。
「私はもう二度と家族に会えない! 私が死んで家族が生活に苦しんでいるかもしれないんだ! 貴様のように自分のことだけ考えてきた奴にはわからないだろう!」
「俺のせいじゃない!」
「貴様のせいだ! あの時自殺しようとしなかったら私は巻き込まれていなかった! 違うか!答えろ!!」
「俺だってこの世界で頑張ったんだ!」
「魔法の才能を神様とやらから受け取っておいて努力だと!? ふざけるな! 成功が約束された努力なんざ誰だってできる! 昔も今も何もしてこなかった貴様が偉そうに語るな!!」
自分でも論理が破綻してきているのが分かる。だが動き始めた私の口は止まらなかった。
「返してくれ! 私の人生を返せ!」
「無茶いうな!」
「私にはまだ日本でやり残したことがあるんだ!」
そういった瞬間、脳裏に様々な思い出がよみがえった。
前世、今世。それらが水をぶちまけるかのように弾け、広がる。
ジワリと涙腺が緩むのが分かった。年甲斐もなく涙が流れていくのが感じられた。
「頼む…頼むよ……。私には異世界なんていらない。ただ日本で自分が勝ち取った幸せを享受していたかっただけなんだ……」
その途端、私は吹き飛ばされた。
腹部に衝撃が襲い掛かり、地面を二度三度と転がる。
痛みを押さえつつ目を開けると、奴が右手を突き出した状態で立っていた。
「お前みたいな奴が…、お前みたいな奴らが俺を追いつめたんだ!!」
先ほどまでの私のように、奴は駄々をこねる子供の様に叫び始めた。
親が悪い。
周りが悪い。
政治が悪い。
助けてくれなかった社会が悪い。
プレッシャーをかけてきた奴が悪い。
○○が悪い。
□□が悪い。
聞いてやる価値もない。
そもそもどんな理屈があろうが私の人生が台無しにされていい理由にはならない。
「力こそすべて、そんなこの世界で魔法を使えないあんたにはわからないだろ? なにせ日本じゃ金もない、権力もない、学歴もない、女と寝たこともないような社会最下層の俺が、ここじゃこの世の支配者なんだぜ! 日本じゃいつも俺を見下してたような奴らも思いのままだ! 最高じゃないか!」
クズが。
お前より遥かにひどい境遇にあっても、血反吐吐きながら生きている人間もいるんだぞ。
人生をゴミの様に軽々しく捨てておいて何が支配者だ。
「お前なんかに壊されてたまるか! お前は邪魔なんだ! ここは! 俺のッ! 理想郷なんだよおッ!!」
叫び終わると奴は下を向き、風になびくようにユラリと首をもたげた。
「殺してやる…」
聞き取れないほどの声で、口を小刻みに動かしながら奴が近づいてくる。
私は死ぬのか。こんな奴に殺されるのか。
私は適当な小悪党として歴史に葬られ、こいつはこの世界で好き放題生きてゆくのだ。
そう思うと、やりきれない。
「が……っ」
腹部に焼けるような感覚が走った。
焼きごてを押し付けられたような感覚があり、痛みの後を追うように熱さが襲い掛かって来る。
刺された。
それを理解した瞬間、急激に意識が薄れてゆく。
痛みや熱さは意識しない間に消え去り、やがて肌を血が流れ落ちる嫌な感触が全身に広がる。
そこでようやくその原因を知る。
氷の柱だろうか。紅に汚れてはいるが半透明の棒のようなものが腹部を貫いていた。
紅に染まった地面を、泥が散らばるような音と共に靴が踏みつける。
薄れてゆく意識の中、私は最後の力を振り絞り眼球を動かす。
奴のニタリとした笑みが目に入った瞬間、私の意識はプツリと途切れた。
▽▽▽
うっすらと視界に光が差し込んだ。
私は、死んだはずでは?
この光は、自然のものではないな。
蛍光灯だろうか。
いや。そもそもの話、なぜ意識があるのだ。
私は死に損なったのか。
だとしたら死刑を待つ牢獄の中とでもいうべきだろうか。
奴はこの世界では英雄のように扱われている。それに邪魔だと言われた以上、奴は私を葬ろうとするはずだ。どのみち私は助からない。
最悪だ。
よりによって蘇生するとは。
人間の身体というのは、思うようにはいかないものだな。
そこまで考えた時、私は1つの違和感に気が付いた。
古いテレビゲームのような単調な連続音が聞こえてくる。
その音源を知ろうと、朦朧とする意識を手放さぬようにしながら首をわずかに動かした。
その瞬間。バサリと何かが床に落ちる音が聞こえ、私は勢いよく肩を叩かれた。そこまで強くはなかったが、叩くスピードが絶妙な速さを保っている。
「――さん!? わかりますか? ――さん?」
そこで呼ばれたのは、かつて慣れ親しんだ私の本当の名前だった。
直後、扉が勢いよく開く音と同時に、私は再び意識を手放した。
▽▽▽
私は今、日本の病院で治療を受けている。
治療、といっても経過観察に近い。いきなり植物状態だった人間が蘇生したことで、医者の方が混乱状態にあるのだろう。
病室で妻が持ってきてくれたメロンパンを頬張りながら、私は自分か蘇生した時のことを思い出していた。
当事者の私が言うのもなんだが、ある意味傑作だった。
医者と看護師は呆然。妻はパニック。娘は転倒。そして息子は号泣した。
どうやら私はトラックにはねられ、1か月にわたって意識不明の植物状態だったらしい。もう自力で意識を取り戻す可能性はほぼないと診断され、家族もほとんどが諦めていたそうだ。
私と一緒にはねられた人がいると聞き再び殺意がこみ上げたが、奴は事故の時点で即死だったそうだ。
私を巻き込んだところを周囲の通行人が見ており、奴の両親が私の家族の所に涙ながらに謝罪しに来たのだという。
ちなみにその両親から理由を聞いたところ、息子が父親の方を殴打したらしい。気持ちは分かるが落ち着け。
そして私は、あの日食べることがかなわなかったメロンパンを口にしているというわけだ。ついさっきメロンパンがほしいと冗談交じりに言ったのだが、娘が恐ろしい速さで買ってきてくれた。娘よ、病院で走っては駄目だ。
私がメロンパンを半分以上食べた時、口の中に違和感が広がった。変な味とかではなく妙な食感だ。カステラと一緒に底に敷いている紙を食べてしまったかのような感覚だった。
口の中でそれをより分け、指でつまんで引きずり出す。すると紙の切れ端のようなものが私の目の前に現れた。
袋からならまだしもパンの中からとは、ダイナミックな異物混入もあったものだ。
そして紙をゴミ箱に捨て、さらに食べようとした時だった。
――まさかこれ程の強靭な意思を持っているとは。
脳内に直接声が聞こえた。
周りを見たところ反応している人間はいない。どうやら私だけに聞こえる声のようだ。後遺症か?
――多くは転生させた時点でその世界に残ることを望むのじゃが。
仕方がない。私の妄想であったとしても、まずは正体を問うてみよう。
――お前は誰だ。
――神、とでもいえば信じるかの。
――どの神だ。ヤハウェとか言ったら脳天かち割る。
――物騒じゃのう。じゃが正しく言えば神という呼称は誤りじゃ。わかりやすく言えば、そうさな。この次元の管理者、とでも呼ぶべきか。
次元の管理者、とはこれまた誇大妄想も甚だしい。
――そなたたちの生きる3次元物理宇宙は数多に存在し、そのすべてが4次元空間宇宙の影響を受けておる。わしはその4次元宇宙に存在する、そなたたちの3次元宇宙を管理するものなのじゃよ。
文系の私にこんな知識はないので、この時点でこれが外部からの意思疎通だということに勘付くことができた。
――あの時は大変じゃったわい。何しろわしがちょっと手を加えたせいで2つも魂が循環せずに溢れてしまったんじゃから。別の3次元宇宙に滑り込ませるのには苦労したぞい。
――では奴が言っていた『神様のミス』とやらは本当だったのか。
――あの男の欲はとどまることを知らんくての、奴がまっとうに生きられる世界を探すのに随分手間がかかったわい。そちはそれなりに生きて行けそうだった故に、同じ世界にそのまま放り込んだんじゃがの。
貴様のせいか。家族が1か月苦しめられたのは。私が11年間苦しめられたのは。
――ふざけるな。それだけの力があるのならなぜ私をここに戻さなかった。別々の世界に放り込むという手もあったはずだ。
――それはできぬのよ。そなたたちの3次元宇宙をαと例えると、そなたたちの溢れた魂にはαというタグが付いておる。それをαという本来魂が循環するべき世界から溢れさせるだけでも問題なのに、別々の世界に放り込んだりしたら周りの循環システムが壊れるわい。
――じゃあなんで私のことを戻せたんだ。
――そなたがわしの与えた力で死んだからよ。そなたの魂をα´、やつのをα´´と仮定するとな、α´´を通じてわしの力がα´を3次元の肉体から分離させたということになった。つまりα´、そなたは管理者によって世界から溢れさせられた存在になったというわけじゃ。管理者の力が働いているならば、1度魂の循環システムから離脱しているが故、どこの世界に送ろうと自由。じゃからわしはそなたをこの世界に戻したのよ。
つまり私があの時魔法で殺されていなければ、この世界に戻ることは永久にかなわなかったということか。
この管理者とやらに感謝するべきなのか、それとも憎むべきなのか。よくわからなくなってきた。
――あんたをぶん殴りたいところだが、この世界に戻してくれたことには感謝しておくよ。
――助かるの、本当に大変じゃったんじゃ。じゃがわしをぶん殴るのは無理じゃろうて。わしがそちらに顕現すれば、そなたの星系は消し飛び、銀河が形を変えてしまうからの。
――は?
苦笑するように話す管理者に、思わずそんな声が漏れた。だが管理者はそのまま続けた。
――そちたちの3次元宇宙が物理法則を基本としているように、わしらの宇宙はエネルギーを基本としているんじゃ。それ故にな、わしにも物理的な形状はなくエネルギーの塊なんじゃよ。そちらのいう反物質エネルギーの虚数単位に食い込んだ感じかの。
反物質。
ちらと聞いたことしかない。詳しくは知らん。
そういう内容は理系と話せ。研究機関の博士とかと語りあえば、向こうは涙を流して聞いてくれるだろうさ。
――とまあここまでつらつらと話したがの、わしはそちにこんな話をするために呼びかけたのではない。じゃから忘れてかまわんぞ。
どうやら真面目に聞いていた私が馬鹿だったようだ。そして口調的にはここからが本題なのだろう。
――この世界に戻してやれたとはいえ、そちにはすまぬことをしたと考えておる。じゃからせめてもの詫びじゃ。願いを1つかなえてやるわい。
――4次元の管理者様がこんな3次元の虫けら1匹にずいぶんお優しいですね。
――そう卑屈になるでないわ。己を厳しく律さねば、管理者など務まるわけがあるまい。
素晴らしいな。
こんな管理者ばかりなら世の中も少しは良くなると思うのだが。
――何がよい。なんでもよいぞ。
――なら1つだけ。
チートなんかいらない。私の願いは1つだけ。
――あなたは3次元宇宙の時間には縛られないんですよね。
――無論じゃ。縛られていれば管理などできぬわい。
――ならば、奴が転生する世界を発展させていただきたい。奴の特別な力が奪えないのなら、その力が何の長所にもならないように。
――あの男に平凡な人生を送らせると?
――ああいう類いの人間は、自分が平凡であると知ると途端に進歩を止めてしまう。奴が地球でそうしたように。
――力を奪い、野垂れ死にさせることもできるぞい?
――すぐ死んでは意味がない。地球で味わったみじめな思いを、二度目の、特別だと妄信している人生でも味あわせ続けてやりたい。
転生したからチートだ? ハーレムだ? そんなうまい話があるわけないだろうが。ふざけるな。
――自分の幸せを願わぬとはのう。もう二度と出会わぬ魂のために、そこまでするものか?
――私があなたに自分のことを願えば、奴と同じになってしまう。人生や運命は、自分で切り開いてゆけるから面白い、楽しめるのです。
最後に敬語になってしまったが、それは問題ないだろう。
まぁ理由としては、上でつらつらと述べたきれいごとではなく、大方が私怨だが。
案の定、管理者は笑い声と共に薄れていった。
まるで時間が止まっていたかの様に、周りの喧騒が再び私の耳に入り始める。
終わったのだ。
軽くため息をつき、残ったメロンパンを口の中に詰め込んだ。甘い味が一気に口の中に広がる。
私はそれを胃に流し込むと、奴の最後の表情を思い浮かべた。
奴のように、転生したことに驕り、過去の自分を消そうとする者がいるならば。
奴のように、転生しさえすれば自分が理想の世界で過ごせると思っている者がいるならば。
はっきり言おう。そんなうまい話はない、と。
どんな姿形になろうと。
どんな力を持とうと。
最後に運命を決めるのはお前自身だ。
お前は、そう簡単に、お前を逃がしてはくれないぞ。
そして、今どうなっているのか知る由もない奴に向けて、言いたいことがある。
世界をなめるな、転生者。
主人公ともう一人。
世界をなめるなと、どちらの人物に思いましたか?