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前編

「シルフィーもいい歳だし、そろそろ魔女に呪いでもかけてもらおうかしら」

 鳥のさえずりのような声で、お母様が不意に言った。

 冬も終わりに近づいて、外の光が差しが差し込む室内は暖かい。私たちは、のんびりと三時のお茶を楽しんでいた。そんな平穏そのものである場での発言だ。

 言っておくが、私とお母様の関係は良好である。今だって、一緒に楽しくおしゃべりをしていた。呪いをかけられる覚えなどない。

 何やら不穏な発言に、私は聞き返す。

「呪いをかけるとは、どういうことでしょうか?」

「だって、シルフィーも結婚相手くらい見つけなきゃ」

 お母様は小首をかしげ、にこりと笑う。成人した二人の子を持つ母でありながら、今なお可憐さは失っていない。小さな顔を縁取る金の髪が、きらきらと光る。

「私の結婚と呪いをかけられることが、どう繋がるのでしょうか……」

 いつものことだが、話が全く見えてこない。こめかみに手を当てながら言えば、側にいたルーシアが代わりに答える。

 ルーシアは、二年前からオルコット家で働いているメイドだ。私と歳が近いこともあり仲がよい。働き者で、お母様もかわいがっている。そのためこのように、気軽におしゃべりに混ざることも多いのだ。

「シルフィー様、結婚相手を見つけるには魔女の呪いです。隣国の姫様も、魔女の呪いで運命の相手を見つけられたのですよ」

「隣国の姫様って言ったら、眠りの呪いをかけられて療養されていた?」

 記憶の糸を辿りながらそう言えば、ルーシアは目を輝かせる。

「そうです。眠っている間に運命の相手が見つかるなんて、素敵ですよね」

 あれって、結婚相手を見つけるためだったの? 知らなかった。

 驚きから呆然としていると、紅茶のお代わりを注ぎながらルーシアが熱弁する。

「木々に囲まれた深い森の中、ガラスのベッドで眠りにつく姫様。そこに現れたのが、運命の相手の王子様です。七人の従者が見守る中、王子様がキスをすると姫様はゆっくりと目を開き……」

 ルーシアが夢見心地で語る。要約すると、いい結婚相手がいないなら魔女に頼みなさい、そんなところだろう。

「でも、お母様。私にはまだ早いような……」

 正直、いきなり結婚と言われても実感がわかない。友人の中には、もう結婚して家庭を持っている子もいるが。それに、オルコット家は他国との交易で財をなした商家だ。結婚するなら、家の利益になる方の元へだと思っていた。まあ、お兄様は慕っていた女性と婚約したけど。

「何を言っているの。シルフィー、あなたいくつになったかしら?」

「十八です……」

「十八と言ったら、成人の歳じゃない。いつまでも、のんびりしていたらだめよ」

 世間一般的には、結婚適齢期は十七から二十歳だと言われている。私も、結婚するような歳になったのは覆しようのない事実だ。だからと言って……。

「いきなり、結婚相手を見つけられるわけが……」

 いくら魔女でも、そう簡単に結婚相手を見つけてくれるとも思わない。そもそも、魔女って他人の恋愛を応援する人達だった?

 確か魔女の呪いは、政治の駆け引きや対外国への圧力として使われていたはずだ。それが、どうして結婚の相談人のようになってしまったのか。

「まあ、物は試しよ。実際に会って話を聞いた方がいいかもね。ルーシア、街に行くから支度をして」

「かしこまりました」

 ルーシアが嬉しそうに返事をして、ティーセットを片付け始める。

「さあ、シルフィーも」

 お母様に微笑まれ、私はゆっくりと席を立つ。成り行きとはいえ、結婚相手を探すことになるとは。私は、気づかれないように小さくため息を吐いた。


* * *


 賑わいとは程遠い街の外れに佇むその店は、一見すると小さな民家のようだった。赤い屋根から可愛らしい印象を受ける。看板には、『魔女の店「ノール」各種呪い承ります』と物騒な文句が書かれていたが。

 店の前には木製の看板が立っていて、ピンで無数の紙が貼られていた。何が書かれているのかしら。よく見ようとしたが、お母様が店のドアを開ける音がしたので私も慌てて続いた。

「いらっしゃいませ」

 店内に入ると、花のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。香りはきつ過ぎず、緊張がほぐれていく。

「こんにちは、エル」

 お母様は、出迎えてくれた魔女に親しげに話しかける。エルと呼ばれた魔女は、白いレースが縁取りされた黒いワンピースに身を包んでいた。背中に垂らした黒髪は長く、とてもつややかだ。飾り過ぎないその姿に、私は好印象を抱いた。年齢は、お母様と同じくらいだろうか。きれいな女性だった。

「久しぶりだね、アンネ。そっちの子は?」

 お母様のことを愛称で呼んだことに、私は内心驚く。お母様は、ごくわずかな人にしか愛称で呼ばせない。呼ばせても、せいぜいフルネームのアンネリーゼがいいところだ。

「この子は娘のシルフィーよ。シルフィー、こちらは魔女のエルヴィーラ」

「初めまして。シルフィーです」

 エルヴィーラに挨拶をすると、まじまじと見られていることに気がつく。

「あの、私に何か……?」

「いや、あのアンネにこんなに立派な娘がいたとはね。月日が過ぎるのは早いもんだ」

「そうね。あの時はお世話になったわ」

 何やら昔話に興じる二人に、私は置いてけぼりになる。ふと、エルヴィーラが礼儀正しくイスを勧める。

「まずはお掛け下さい。お話はそれからにいたしましょう」

「ふふ、変わらないわね。シルフィー、座りましょう」

「はい……」

 エルヴィーラとお母様の関係も気になったが、まずは体を落ち着けることにした。

 丸テーブルを挟んで、エルヴィーラと向かい合うように座る。テーブルの上には白いクロスが敷かれ、花瓶にバラが生けられていた。

「まずは、自己紹介をしなくちゃね。魔女のエルヴィーラだよ。得意な呪いは、変身の呪い。いけ好かない奴がいたら、どんな姿にでも変えてやるから気軽に相談しておくれ」

 エルヴィーラは、冗談とも本気とも取れる言葉を口にする。隣のお母様を横目で見れば、楽しそうに笑っていた。……とりあえず物騒な発言は聞かなかったことにしよう。

「まあ、現国王に代替わりしてから、依頼者の私怨や、呪いをかけられた人の怨恨を招くようなものは禁止されてるんだけどね」

 エルヴィーラは残念そうに続ける。つまり、先ほどの言葉は冗談だということか。

「エルはね、腕利きの魔女なのよ。私が結婚出来たのも、エルのおかげなんだから」

「えっ? もしかして、お母様は呪いの力でお父様と出会ったのですか?」

 初耳だと驚きを口にすれば、お母様は柔らかく微笑み頷く。

「知らなかった……」

「あら、だって話してないもの」

 お母様は、いたずらが成功した子供のように笑う。

 お母様が結婚したのは、十七の時だと聞いたことがある。だとすれば、エルヴィーラとは二十年ほど前から付き合いがあるのだろう。そんな以前から店を開いていたエルヴィーラは、一体いくつなのだろうか……? お母様も実年齢より若く見えるが、エルヴィーラも若く見える。

 新たな疑問がわき上がり、気持ちが落ち着かなくなる。そんな疑問を察してか、エルヴィーラが口を開く。

「魔女は、相手を不幸にする呪いをかけるだけじゃないんだ。薬草の知識も豊富だから、薬を作ったり、最近では美容の分野にも進出している魔女もいる」

 私の知っている魔女と、ずいぶんイメージが違う。それだけでも驚きなのに、お母様がさらに聞きなれない言葉を続ける。

「エルは美魔女コンテストで三位になった、正真正銘の美魔女でもあるんだから」

「美魔女?」

 えっと、何かしら? コンテストで三位になったからには、何かの実力者であるんだろうけど。

「美魔女コンテストは魔女が美しさを競う場で、上位三名が美魔女を名乗ることが許されるの。エルは、当時からきれいだったわね」

 お母様が、自分のことのように自慢げに言う。魔女が美しさを競うって、かなりイメージとかけ離れてきた。

「昔のことだよ」

 エルヴィーラは、謙遜するように短く言う。

「あら、エルの美容クリームはとても質がいいじゃない。さすが、美魔女だわ」

「美容クリームも作ってらっしゃるんですか?」

 魔女が作る美容クリーム。しかも、こんなにきれいな人が作った物。だとすれば、自然と興味がわいてくる。

「気になるかい? 今なら安くしておくよ」

「お、おいくらですか……?」

 ついつい、身を乗り出してしまいそうになる。そんな私に、エルヴィーラがにやりと笑う。

「まあ、それは置いといて。本題を聞こうか」

 私としては、置いておかないでほしいのだが。思い出したようにお母様が話し出したので、美容クリームは諦めることになった。

「この子の結婚相手を探すのに、呪いをかけてほしいのよ」

「そうだね。色々と種類があるけど、これ何てどうだい?」

 そう言って、エルヴィーラが一枚の紙を取り出す。そこには美しい書体でこう書かれていた。


-------------------------


 呪いの眠りツアー

 ~眠っている間に運命の相手が見つかる!~


 自然豊かな避暑地に建つ塔で、眠っている間に運命の相手が見つかります。

 完全個室制で、プライバシーにも配慮済み。

 どのお部屋からも美しい自然が望め、気分もリフレッシュすること間違いなし!

 運命の相手に、キスをされることで呪いが解けます。

 さあ、あなたの運命の相手を探しに行きましょう。


-------------------------


「あら、いいわね」

「ちょっと、待って下さい」

 私とお母様が、同時に正反対の反応を示す。

「これは何ですか?」

 こめかみに手を当て、ゆっくりと問う。突っ込み所が多すぎて、どこから言ったらいいのか。

「何って、見ての通りさ。気に入らなかったかい? ああ、虫が苦手なんだね。自然から離れて暮らしてると、森は虫やカエルが出るから嫌いなんてことも珍しくないからね」

 エルヴィーラは、一人で納得したように頷く。違う、そうじゃない!

「虫やカエルが嫌いだなんて、シルフィーも女の子ね」

 お母様が、のんびりとした口調で言う。違う、そうじゃない。

 早くも方向性の違いから疲れてきた。二人に任せていたら、とんでもない呪いをかけられるんじゃないかしら。逃げ腰になる私とは反対に、お母様はとても楽しそうだった。

「もっと、シルフィーも楽しめる呪いはないかしら?」

「じゃあ、これはどうだろう?」

「すてきね」

「嫌です」

 提案された呪いに、またもや同じタイミングで違う返事をする。お母様は、どうしてこんなにも生き生きとしてるのかしら……?

 それから何度か同じやりとりを繰り返し、エルヴィーラが悩み始める。

「案外、注文の多い子だね。それなら、これは?」

 そう言ってエルヴィーラが差し出したのは、色とりどりのドレスが描かれた紙だった。恐る恐る、紙に書かれている文章を読む。


-------------------------


 気分はお姫様! 貴女も憧れの舞踏会へ【貸衣装付き】


 豪華なドレスを着て、舞踏会へ行ってみませんか?

 参加者の男性は、みな呪いにかけられ姿が変わっています。

 さあ、貴女はタイムリミットの十二時までに運命の相手に出会えるか!?


『システム』

 気に入った相手を見つけたら、帰り際に靴を片方置いていって下さい。

 男性が気に入った相手の靴を持って、後日会いに行きます。

 見事に想いが通じれば、男性の呪いが解けます。


 注意:呪いにより変身後の姿は指定できません。


-------------------------


 今まで提示された呪いと違い、私に実害はなさそうだ。それにドレスを着れるというのも、少しだけ惹かれる。

「これは人気のある呪いだから、早くしないと定員に達しちゃうよ」

 私の反応を見てか、エルヴィーラが後押しする。お母様も、賛成の意を表すように微笑む。

 正直、結婚相手を見つけられるかは別としても、こんな経験滅多にできないし……。しばし悩んだ後、私はエルヴィーラに返事をした。


* * *


「よく似合ってるわよ」

「シルフィー様、おきれいです」

 お母様とルーシアにそう言われ、悪い気はしなかった。私は桃色のドレスを身にまとい、姿見の前でよく確認する。

 今日は、舞踏会の日。

 結局私は、エルヴィーラに紹介された舞踏会へ行ってみることにした。正直言えば少し不安だったが、こんなに素敵なドレスを用意してもらえると気分が上昇する。

 桃色は好んで身につけている色だ。エルヴィーラにそう伝えると、私好みのドレスを手配してくれた。花のように膨らんだスカート部分には、細やかな刺繍が施されいる。胸元にはバラの飾りがついていて、それだけで華やかな印象になった。

 サイズもちょうどよく、エルヴィーラには恐れ入る。緩く編んだ髪はサイドに流し、ドレスに合わせて白いバラを飾った。

「そろそろ時間ね。シルフィー、楽しんできなさい」

「はい、行ってきます」

 高鳴る鼓動を感じながら、私は用意された馬車に乗った。これからどこへ行くかは、事前に知らされていない。企業秘密なのだそうだ。

 馬車に揺られて、一時間ほど経っただろうか。振動が止み、御者が着いたことを知らせる。手を取られ外に降りると、目の前に立派なお屋敷があった。

 周囲は森に囲まれ、他に建物は見えない。確かに、これなら場所を特定されることもないだろう。

 扉の前では、燕尾服を着た執事が賓客を出迎えている。何だか、緊張してきた。緊張を悟られないように、ゆっくりとした足取りで扉へ向かう。

「いらっしゃいませ。招待状を拝見します」

 エルヴィーラからもらった招待状を差し出せば、執事はうやうやしくお辞儀をする。

「シルフィー・オルコット様でいらっしゃいますね。どうぞお入り下さい」

 執事の男性に、軽く礼をして私は中へ足を踏み入れた。 

「すごい……」

 案内されたダンスホールを見て、私は息をのんだ。そこは別世界だった。

 きらびやかなドレスで着飾った女性達、ホールを照らすシャンデリア。

 そして、タキシードを着込んだ、カエルにニワトリに、ブタ……。二本足で立ち、背筋を伸ばして女性達に熱い視線を送っている。

 多分、これがエルヴィーラの言っていた『呪い』だろう。体系は元の姿に比例するのか、小太りのトカゲや、ひょろりとした背の高いウサギもいる。

「これは、想像していたよりも迫力があるわね……」

 あえて、何がとは言わない。気にしてはいけないわよね。楽しまなきゃ。そう決意し、私は歩みを進めた。


* * *


「貴女のような美しい女性とは、初めて出会いました」

「……ありがとうございます」

「控えめなところも、また素敵だ」

 私は今、大柄なクマに口説かれている。燕尾服のボタンは今にも弾け飛びそうで、話していても気になって仕方がない。話に集中出来ないのは、それだけではないが。

「私達がこうして出会ったのも、きっと運命なのでしょう」

 クマの男性は、大きな爪の生えた手で頬をかく。私は、頬が引きつりそうになるのを必死で押さえる。

 運命って……。私達まだ出会って、五分と経っていませんけど? そう言いたくなるのを、すんでのところで飲み込む。

「もしよかったら、私と……」

「申し訳ございません。私、人に酔ったようで。失礼させていただきます」

 うつむきながらそう告げ、クマの男性から離れる。

 私は早々に疲れてしまい、壁の花になることを決めた。ホールの隅で他の参加者をうかがえば、みな楽しそうに談笑したりダンスを踊っている。

 帰りたい。お母様やエルヴィーラには悪いけど。きらびやかなドレスに惹かれた私とは違い、ここにいる人達は結婚相手を探しに来ているのだ。意識の差が生まれて当然だ。うつむき、目立たないように小さくため息を吐く。

 確か十二時までだと聞いたが、今は何時だろう。慣れない高いヒールの靴を履いているせいで、足も痛くなってきた。

 そんなことを考えながら、ふと視線を上げた時だった。一人の男性と目が合う。

「こんばんは」

 目が合ったのに何も挨拶をしなわけにもいかず、私は疲れた顔を隠すように微笑む。

「こんばんは。お一人ですか?」

「ええ、疲れてしまって」

 けん制する意味も込めてそう言えば、男性は納得したように頷く。

「私もです。どうもこのような華やかな場は、性に会わないらしい」

 男性はすらりとしたネコの姿で、落ち着いた雰囲気をかもし出していた。グレーの毛並みが美しい。

 男性の意外な返答に、私は少しだけ肩の力を抜く。この人も、私と同じなのかしら。そんな意識から、少しだけ警戒心が薄れる。

「母の勧めで参加したのですが、もう帰ってしまおうかと思っていたのです」

 正直に言えば、男性は柔らかく微笑む。

「帰られてしまう前にお話出来てよかった。同じ考えの方と会えて安心しましたよ」

「私もです。あなた様は、どうしてここに?」

「貴女と同じです。両親に、結婚相手を見つけて早く安心させてくれと言われたら断れなくて」

「同じですね」

「ええ」

 何だか、この方とは気が合うかもしれない。それまでの暗い気分が晴れてきた。

「そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね。私は、イアン・クーベルと申します」

「シルフィー・オルコットです」

 私も名乗れば、イアン様は少し考える素振りを見せる。

「どこかで耳にしたことがあるような……」

「それは多分、父が経営している商会のことだと思います。オルコット商会の名で、商店に卸される品もありますので」

 私も詳しくは知らないが、交易で得た品物には『オルコット商会』の名が明記されることもある。これは、品物に自信を持っている証なのだ。そのため、目にする機会もあるだろう。

「ああ、そうだ。オルコット商会の品は、質がいいと評判ですよ。私も目にしたことがありますが、とてもすばらしい物ばかりでした」

「ありがとうございます。父が聞いたら喜ぶことでしょう」

 褒められて、素直に嬉しくなる。笑顔を見せれば、イアン様が顔をほころばせた。

「貴女は、素直な方ですね。実は私も商いを生業にしていて、人を見る目には自信があるのです」

「まあ、お上手ですね」

 照れ隠しにうつむけば、イアン様の視線が私に向けられているのを感じる。

「本心を言ったまでです。これかも私とお会いしていただけますか?」

「ええ、喜んで」

 イアン様が安堵したように笑う。散々だと思っていたけど、こんな出会いがあるなんて。来てよかったかも。

 しかし、私は何か引っかかりを感じる。以前お父様から言われたことがあるのだ。

『オルコット商会の名を聞いて、近づいてこようとする奴には気をつけなさい』

 その言葉を思い出した時、私の中で疑念が生まれる。イアン・クーベル。どこかで聞いたことがある。どこでだったか、後少しで思い出せそうなのに。

「では、約束の印に靴をいただけますか?」

 イアン様が優しく微笑む。私はその声に反応せずに、思考を巡らせる。

 イアン様は、商いをしていると言っていた。オルコット商会の品は絵画や意匠を凝らした家具など高価な物が多く、そのため取引相手も限られている。それなのに知っていたということは、同じような品を扱っている証拠。商品を購入したということも考えられるが、もしそうであるなら最初からそう言うはずだ。

 そう言えば最近お兄様が、執拗に取引を持ちかけてくる人物がいると漏らしていた。身なりは整っているし物腰も丁寧だが、どこか怪しいと。

「シルフィーさん?」

「イアン様、商いをしているとおっしゃってましたよね」

「ええ、それがどうしましたか?」

 確証はない、だけどもし……。

「お店の名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

「お恥ずかしいですが、名前も知られていないような小さな商店です」

 一瞬、イアン様の手が小さく動く。私はそれを見逃さなかった。

 イアン様は嘘をついている。疑惑が確信に変わった。先述の通り、オルコット商会の取引先は限られている。名前の知られていないような小さな商店に、品物を卸すことはない。それなのに、イアン様はオルコット商会のことを知っていた。だとしたら、イアン様はオルコット商会と繋がりがある。もしくは、繋がりを作りたいと考えているかだ。恐らく、後者だろう。後は、家に帰ってから調べれば分かることだ。

「失礼いたします」

 私は利用されていたのだ。悔しさから唇をかみ、振り返ることなくその場を後にした。


* * *


 舞踏会から帰って来た私は、相当ひどい顔をしていたらしい。怒りと疲れから顔をしかめる私に、ルーシアさえも声をかけられなかったと言っていた。

 昼になり、ようやく怒りも治まってきた。昼食を食べながら、お母様と談笑する。それを見たルーシアも、安心したように表情が柔らかくなった。

「お母様、心配をおかけしました。ルーシアも、昨晩はごめんなさいね」

「いえ、シルフィー様が謝ることではないです。お話を聞く限り、悪いのは相手の男ですよ」

 ルーシアは食後のお茶の準備をしながら、力強く言う。

「確かに今回はご縁がなかったかもしれないけど、もう諦めるなんて言わないわよね?」

 お母様の言葉に、私は少し返答に口ごもる。正直、運命の相手を探すのはもうこりた。

「一度失敗したからって、投げ出してはだめよ。そんなことをしていたら、チャンスはやってこないわ」

 お母様の言うことも、もっともである。だとしても、魔女の呪い意外に方法はないのだろうか?

「さあ、食事も終わったことだし、エルの所へ行きましょう」

「はい!」

 楽しそうに支度をするお母様とルーシアに、私はお茶と一緒に言葉を飲み込んだ。


「昨日は……その顔を見れば聞かなくても分かるね」

 エルヴィーラが苦笑して言う。そんなに私って、顔に出やすいかしら? 今日も室内には、花の甘い香りが漂っていた。その香りで、少しは気分がよくなる。

 イスに腰掛けると、お母様が口を開く。

「また呪いをかけてほしいのだけど」

「そうだね……」

 お母様とエルヴィーラが話すのを真面目に聞いていたが、だんだんと話が脱線してくる。私が提案された呪いを、片っ端から拒否したせいもあるが。

 私は次第に退屈して、店の中を観察する。壁に沿うようにぐるりと棚が並び、乾燥した草花や怪しげな小瓶がたくさん陳列されていた。そこはやはり、魔女の店だと思う。以前、美容クリームも作っていると言っていたから、その材料になるのだろうか。

「気になるなら見てもいいよ」

 エルヴィーラに許可され、私は近くで見ることにした。初めて見る物ばかりで、私はすぐに夢中になる。

「何かしら?」

 棚の隅に、黒い小さな箱が置かれていた。金色の留め金がついていて、シンプルだがなぜか心引かれる。手の平に納まるほどの大きさの小箱は、持ち上げると軽かった。箱を開けてみると、中にはネックレスが入っている。

「きれい……」

 紫色に見えた石は、角度を変えると緑色に変化する。見る角度によって色が変化する石がはめ込まれたネックレスに、私はすっかり夢中になった。

 エルヴィーラを見れば、お母様と楽しそうに話をしている。少しだけ、そう思い私はネックレスを着けてみた。

「気にいたのならあげるよ」

 タイミングよく、エルヴィーラに声をかけられた。驚いて振り返ると、エルヴィーラはネックレスを指差す。

「よろしいのですか?」

「ああ、いいよ」

「ありがとうございます」

 嬉しくて、エルヴィーラにお礼を言う。

「それより、もう帰らなくていいのかい?」

「もうこんなに時間が経っていたのね。じゃあ、また来るわ」

 エルヴィーラに言われ時計を見ると、店に来てから三時間ほど経っている。帰り際にもう一度、お礼を言って店を後にした。


* * *


 次の日、私はカーテンから漏れる日の光で目覚めた。起き上がり、ベッドの上で伸びをする。今日は天気がよさそうね。いい日になりそうだわ。

 まだ眠気が残っているせいか、何だか体の感覚がおかしい。顔を洗えばすっきりするだろう。そう思い、ベッドから降りようとした時だった。私はバランスを崩し、床に倒れこむ。

「風邪でも引いたかしら」

 一人呟いて額に手を当てるが、熱はなさそうだ。気のせいかしら。それにしても、依然として違和感は残っている。首をかしげ考えてみるが、答えは出ない。私は考えることを止め、顔を洗うことにした。

「……!」

 そして洗面所に向かう途中、何気なく姿見に目をやった私は言葉を失くした。

 そこには、目を見開いたまま立ちすくむ、十歳ほどの少女が映っていた。木の実色の髪は少し寝癖がついている。確認するように瞬きをすると、鏡に映る少女も数回瞬きをした。胸元に白いリボンが飾られたネグリジェは、私が寝る前に着ていた物で間違いない。ネグリジェは、なぜか今の身長に合っていた。

 それは紛れもなく、見慣れた昔の私。しばらく呆然とした後、我に返る。

「お母様! ルーシア!」

 慌てて階段を降り、二人の名前を大声で呼ぶ。すでにリビングには三人いて、お母様はいつも通り微笑み、ルーシアは首をかしげ、お兄様はティーカップを落としそうになった。

「朝起きたらこんな姿になっていて……! どうしましょう!」

 涙目でうったえる私に、お母様は動じることなく普段通り言う。

「シルフィー、まずは朝のごあいさつでしょ?」

「は、はい。おはようございます。お母様、お兄様、ルーシア。え? お兄様?」

 挨拶をして、初めてお兄様がいることに気がつく。視界には映っていたが、混乱していたので認識が後からやってきたのだ。

「お兄様、いつ戻られたのですか?」

 お兄様はお父様と商品の買い付けで、国外に行っていたはずだ。お兄様と会うのは何ヶ月ぶりかしら。嬉しくてお兄様にかけよれば、複雑そうな顔をされる。

「昨日の晩に戻ってきた。しばらく家にいるつもりだ。それよりシルフィー、その姿は……」

「私にも分からないの。どうして、いきなり子供に……」

 昨日寝るまでは、いつもの姿だった。眠っている間に、いきなり若返るなどそんなことがあるのだろうか。

「魔女の呪いでしょうね」

 お母様が、のんびりとした口調で告げる。魔女の呪い? 確かにエルヴィーラのところには行ったけど、何も呪いなんて……。そう言いかけて、私はあることに気がつく。

「もしかして、このネックレス……」

 昨日、エルヴィーラからもらったネックレス。寝る前に外そうと思ったのだが、留め金が固く外せなかったのだ。もちろん、今もしている。

「とにかく、早くエルヴィーラのところへ行きましょう!」

 一刻も早く呪いを解いてもらいたい。必死にうったえる私に、お母様はまずは朝食を食べることを提案する。食事など喉を通る気がしなかったが、ルーシアにも勧められ私はしぶしぶテーブルに着いた。


* * *


「呪いだよ」

「やっぱり……」

 エルヴィラーは、子供の姿になった私に驚くことなく簡単に言う。

 朝食を食べ終え、さあ今度こそ行こうと言ったが、次は服をどうするかという問題に直面する。幸い、歳の離れた従妹に贈ろうとしていた服があったので、それを着ることで落ち着いた。それから急いで店に向かうと、開店にはまだ早い時間だったが扉は開いていた。まるで、こうなることが分かっていたように。

 そして、私がこの状況の説明を求めた返事が、先ほどのものだった。

「何で呪いがかかっていると分かっていて、ネックレスを下さったのですか?」

「何でって、勝手に着けたのはシルフィーだろ」

「それは……」

 エルヴィーラに詰め寄るが、根本的な原因を指摘される。確かにそうなので、反論出来ない。

「なら、呪いを解いてく下さい」

「無理だね」

「どうしてですか!」

 はっきりと言い切るエルヴィーラに、私は食い下がる。もしかして、ずっとこの姿のままとか……。最悪な考えが頭を過ぎる。

「普通、呪いは解除することも出来るんだがね。依頼人の承諾がないと解除出来ないのと、今回は正式な手順を踏んでないから無理なんだよ」

「そんな……」

 落ち込む私に、ただし、とエルヴィーラが付け加える。

「呪いを解く方法がないわけじゃない」

「どうすればいいんですか?」

 一縷の望みをかけて聞けば、エルヴィーラは簡単だと言わんばかりに答える。

「運命の相手とキスをすればいいんだよ。そうすれば、呪いは解ける」

「こんな子供を好きになるなんて、その方は変態じゃない!」

 私の叫びがむなしく室内に響く。十歳の子供に言い寄る男性を想像して、私は寒気を感じる。隣に座りるお母様は、それを聞いてにこやかに微笑んでいた。

「まあ、人の好みはそれぞれだし。きっと、いいお相手が見つかるわ」

「その相手が問題なのでは……」

 このまま子供でいるのも嫌だが、こんな子供が好みの男性に好かれるのも嫌だ。大きくため息を吐く私に、エルヴィーラが励ますように声をかける。

「呪いをかけると、情報を店に登録して掲示することになってるんだ。条件も提示出来るから、シルフィーに合う相手が見つかるかもしれないよ」

 もしかして、店の前にあった看板がそうだろうか。こうなったら、それにかけるしかない。

 結局、その日は情報を登録してもらい、相手からの連絡を待つことになった。運命の相手なんて、本当に現れるのかしら……。


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