先輩と僕と
月曜日と水曜日、そして金曜日の放課後にはバイトが入っている。生活費は叔父に出してもらっているのだが、いつまでもそれでは格好がつかない。僕の学校は基本的にバイト禁止なのだが身の上の事情も有り、特別に許可されている。もっともそのバイト先が駅前の本屋太埜書房ということもあるだろう。この店の店長太埜喜一は近所でもたぬき店長と知られた人物だ。その名前から容姿にいたるまでまるでたぬきそっくりで本人も自覚しているのか店の至る所にたぬきのポップが貼られていた。小さな子どもにも人気があり夕方になると小さな店内は子どもでいっぱいになる。その辺りから得た信頼から僕はここでアルバイトができている。
「いや〜眞岸君、待ってたよ。できるだけ早く準備してレジに入ってくれるかな。ぼくはほら、子どもたちの相手をしないといけないから。」
学校の先生みたいに小学生に囲まれながら軽い調子で店長は言った。とは言っても小学生はほとんど本を買わないので店の経営的には問題なのだが店長は「楽しそうな店のほうがいいだろ?」と言って彼らを拒みはしない。
「はい!分かりました。」
返事をしながら従業員の控室へ向かう。中に入ると既に先輩がたぬきのついたエプロンをつけていた。
「おう、後輩。えっと、名前はまあいいか。」
「向井先輩はいつも早いですね。あと僕は眞岸です。いい加減覚えてください。」
「いつもあたしか遅れてくるみたいなことを言うなよな。それと前に言っただろ、あたしのことは栞理と呼べって前にいったろ?」
「先輩も大学生なんですからいい加減自分の言ったことだけ覚えるのやめましょうか。」
「つれないねえ。というか、後輩君は真面目すぎるんだよ。生まれが遅いか早いかで上下関係が決まるなんてもはや古いぜ。」
先輩は鼻で笑いながら話を続ける。
「第一この店はきみのほうがながいだろ?」
「そうですけどね、向井先輩。仕方ないんですよ。こうして働いている以上常識はついて回るんです。どんな正しい考え方であっても常識の外にあればそれは非常識と同じです。」
「はあ〜、こういうのは理屈じゃないんだけどね。」
先輩は大きくため息をついた。というか、人の名前を覚えないのも結構非常識な気がしないではない。先輩と一緒に働き出してはや3ヶ月である。この先輩は大学2回生のアルバイト向井栞先輩である。名前負けしない容姿なのだが小鳥というよりは鳶とか鷹とかの類だ。狙ったものは逃さないなんて当たり前。行動力の大きさにはいつも驚かされる。しかし興味を示すものが極端に少なく、従って側から見ればオタクっぼく見えてしまう。「それでもいいんだけどね。」とは本人談。
「それより仕事はいいのかい後輩君?」
「僕より早く来てたのは先輩ですよね?」
手早くエプロンをつけ店内へと戻る。先輩はというとスマホをいじりだしていた。店長はサボりに関しては何も言わないが給料はしっかりと引かれている。控室をでて僕はそっとため息をついた。僕は正直あの人が苦手だった。会話の方向性が見えないし、どこに行き着くかもわからない。それにあの人はかなり勘がよく頭も切れる。もし生まれる世界が違ったなら間違いなく探偵になれただろう。だから今の僕の状況がバレるのが怖かった。明確な話は聞いていないがペナルティーになるかもしれない。ミスは許されないのだ。
頭を切り替え本の陳列やレジ打ちに集中する。すると驚くほど時間は早く進んだ。そういえば、最近は一日中考え事をしていたので何も考えないというのは久しぶりな気がした。自分の性格上合った仕事だと思っていたがまさかここまでとは思ってもみなかった。次から次にやってくる新刊を順番に本棚に収めていく作業がなんとも気持ちいい。今日は文庫本のコーナーをやったのだが店長に声を掛けられるまで、上がる時間をすっかり忘れていた。良くあることなので店長にも先輩にも笑われてしまった。そこでもやっぱり先輩だけは苦手だと感じてしまう僕がいた。