妹と僕と
家路につくころになるとちょうど陽が沈みかけていてあたりが真っ赤に染まっている。残り30日しかない人生を人類はいつも通り何一つ変わることなく消化している。知っているのは僕だけなのだが、だからこそ今の状況が悪い夢であってほしいと思う。せめてこのあたりで変なモンスターなんか出て来てくれたりしたらこれは夢だと割り切れるだろう。けれどこの世界は紛れもなく現実だ。
誰を救うのか。そう問われて最初に浮かんだ顔は、親友でもなく、先輩でもなく、彼女でもなく、妹の顔だった。今生きている唯一の家族。さかのぼればもう5年も前のことだ。話としては簡単なことだ。僕だけが風邪をひいて寝込んでいた。両親と妹はたしか買い物に出かけた。そこで事故に会ったのだ。事故の現場は僕たちが住んでいるマンションのすぐ近くの交差点。トラックにぶつかったことで車は前面が押しつぶしたようにぺちゃんとつぶれてしまった。両親たちはそこで死んだ。普段は助手席に座っていたはずの妹がその日だけは幸運なことに後部座席に座っていた。そのため妹だけが怪我は負ったものの生き残った。今思い出してみるとあの時の僕は神様とやらに感謝していた。妹だけでも残してくれてありがとうと。今はそれとは比にならないくらいの人が消されようとしているわけだが……。
両親が死んだあとは叔父の助力(主に経済的面で)を受けながら、以前と同じマンションで妹と生活している。住み慣れた赤く染まるマンションの様子もいつもと変わらずに僕を待ってくれていた。近くの公園から走って帰ってくる子ども達。大きく膨らんだスーパーの袋を持つ隣の家の河野さん。毎日のように眺めている風景だがあと30回しか見られないと思うと寂しくもある。
エレベーターなんて洒落たものはないため階段を使うしかない。僕の家は4回の一番西にある部屋だ。何でも父がいつでも夕日が見れるからなんて理由で選んだらしい。少し丘のような小高い所に立っていて、都合よく西側にベランダが付いている我が家では毎日のように夕日を眺めることが出来る。両手がふさがったままドアを開けようと悪戦苦闘する河野さんを横目で見ながら(いつも結局あきらめて荷物を下ろすのだが)一番奥まで歩いて行く。鍵を開けドアを開けると中から何とも言えない香りが漂ってくる。それと一緒にこんこんこんとリズムよく何かを切る音も聞こえてくる。この匂いは……今日のメニューはきっとカレーだろう。
「おかえりー」
キッチンの方から妹、夕の声だけが聞こえてくる。その間もこんこんとリズムは崩れることがない。ああ家に帰ってきたんだなと実感する。まだ朝の出来事からほとんど時間は過ぎていないのに、長い間家に帰って来ていなかったような錯覚を覚える。そして僕はかみしめるように言った。ただいま、と。
制服から部屋着に着替えてくると、すでに妹はセッティングを始めていた。予想通り今日のメニューはカレーとポテトサラダだ。ちなみにこのポテトサラダは』夕の料理の十八番でこれがなかなかにおいしい。自分でもまねて作ってみようとするのだがこれがうまくいかない。隠し味に粉チーズでも使っているのかと尋ねてみたら企業秘密だとか言ってはぐらかされた。今日のカレーとポテトサラダは僕たちの間でもはや定番のセットとなりつつあった。家族4人で使っていた大きめのテーブルに向かい合うようにして2人分の料理を並べる。この位置は両親が死ぬ前からのもので変わっていない。というか二人とも変えようとしない。二人で席につき頂きますと言ってから食べ始める。これもいつも通りの風景で何ら変わらない。
「ねえ聞いてよ、数学の先生がさー」
食事中の会話は他愛もない世間話ばかりだ。といっても妹に限って僕は聞く一方になるのだが。夕の愚痴を聞きながらポテトサラダを口に入れる。うん、うまい。次はカレーを一口。最近までは中辛だったカレー粉が辛口に変わっている。これも成長というやつなんだろうか?
「ねえきいてるの?数学の先生だからって英語が教えられないってダメだと思わない?」
夕の機嫌が悪くなると割かし怖いことを知っている。と言っても具体的に何かするわけではないのだが、獲物を狙う動物のようでいて、例えるなら猫のような……って何を考えているんだ!
「聞いてるよ。ってなんでお前は数学の先生に英語を聞くんだよ。」
「決まってるじゃない、数学の先生がイケメンだからに決まってるでしょ。」
さすが女子中学生。
「それに英語の先生教え方下手だから分かんないんだよね。それにたかが
中学生の英語だよ?答えてくれてもいいとおもわない?」
たかが中学生の英語が分からないのはお前じゃないか何て言わず真面目に答える。
「それは、専門性の違いじゃねーのか?獣医さんに人間見てもらえないのと一緒だよ。」
「そういうものなのかな?」
「そういうものなんだよ。」
「でもやっぱりそういうのは嫌だよね。」
夕はまだ中学2年。いつまでも幼いままだと思っていたら知らない間にどんどん成長していってしまった。彼氏が出来たとか聞かされた時はさすがに驚いたけど。それも食事中だった気がする。爆弾は突然投下された。
去年のことだ
「そういえば彼氏出来たんだよね。」
「へえー誰が?友達?」
「わたし」
「ふーん…………………!?」
みそ汁を口に含み僕の味噌汁も進化したな、あなんて思っていた矢先だった。うわの空で聞いていた単語が頭でつながった時思わずみそ汁を吹きそうになった。
「おい!ちょっとまて、そんなこと聞いてないぞ。」
「言う必要ないじゃん。」
ごもっともだが心の準備はさせてほしかった。こうあいさつとかに来られたら困るしな!
「いや、挨拶なんて来ないでしょ。」
さすが我が妹、心の中まで見透かされていた。
「……んーまあいいか。ほどほどにしとけよ。」
兄としての最低限のプライドは守り通せた気がした。内心はどこのどいつなんだ!?と大パニックになっていたが何もなかったようにふるまった。夕の話によると来週で交際は一年目らしい。うん、それはよかった。長続きするのはよいことだしもはや今更口出しするのも無粋というやつだろう。といってもそれは終わってしまうのだが。