雪の降る白い世界で
まるで、空をそのまま映したかのような瞳だった。
それが少しだけ寂しそうで、けれども、美しかったから。
だから、気まぐれに、手を差し伸べてみた。
「妾と共にこちらへ来るか?一度来てしまえば、二度とお前たち人の歩む道に戻る事は出来ないだろうが……今よりはマシな生活が出来るかもしれん」
人の一生は、鬼の姫にとって瞬きをするほどに短い時間。
刹那の間の暇つぶし。彼女にとっては、その、つもりだった。
しかし、差し伸べた手を取った少年は酷く幼く、小さく見えて。少年の紡ぎ出す笛の音がなんとも美味だったから。だから鬼の姫は、そっと微笑んだ。
「思えば、変わったなあ、お前は」
しみじみと、感慨深げに鬼と呼ばれる姫は青年を見上げ、ぽむぽむと若草色の衣から覗く白い手で、頭をなでる。
「妾が拾った時なぞ、骨は浮き出ておるし、小さいわ、不味そうだわで」
「姫。拾った、はないでしょう。拾ったは。せめて連れ帰ったとか表現を変えて頂けませんか」
「なんだ。不味そう、という部分は否定せんのか」
ニヤリ、と不敵そうに、少し切れ長な金色の瞳を細め、口元を隠すことなく、ゆるくウェーブのかかった白銀の髪をなびかせ、けらけらと笑う。
「姫は、出会った当初と比べると、随分と意地が悪くなりました」
「そうか?まあ、あの頃のお前はとにかく可愛くて素直で」
「私の性格が悪くなった、とおっしゃりたいんですね?私を育てたのは姫ですし、姫の影響を多大なるまでに受けていると愚行致しますが」
「ほう……妾の所為だと?」
「さあ、どうでしょうか。で、続けるんですか、食事」
「ああ。お前は美味だからな。もう少し食べたい」
そうですか、と呟いて、青年は笛を吹く。
世界は箱庭。
箱庭の中心は鬼の姫。
どこまでもどこまでも雪色で。
二人が出会い、共に過ごす世界は冷たく優しい雪の森。
「うむ、美味い」
そういって鬼の姫が微笑むから、青年も微笑む。
もっと食べて下さいと笛を吹く。
彼女は鬼。
美しいモノだけを喰らう異形の存在。
紡ぎ出した音は、空を震わせることなく彼女の内に消える。
毎日、毎日。
まるで厳かな儀式のように行われる鬼の姫の食事は、もう何年も青年の吹く笛の音だけだ。
「ああ、満足じゃ」
ふいに、音が世界に戻る。
空を震わせて。
空を響かせて。
音が世界を包む。
優しい、澄んだ音色。
「ああ、美しいな」
思わぬ拾いモノをしたと、笑う。
青年が生み出す音に耳を傾け、空を見上げる。
広がるのは、青年の瞳と同じ空の色。
真っ白な世界が、青年と出会ってから色を得た。
もうじき、青年の髪と同じ色の夜が来る。
青年と出会って、鬼の姫の住まう世界は変わった。
否。
彼女が変えたのだ。
彼女は鬼の姫。
人と共存など出来るはずもなく、静かな世界をと、人里から少し離れた森を隔離し、自分だけの世界を作った。
色のない世界。
雪色で統一された世界。
だが、それも青年と出会うまでの事。
真っ白ではつまらないだろうからと、空に青年と同じ目の色を付けた。
安らかに眠れるよう、青年の髪と同じ夜を創った。
全ては、青年の為。
そして、鬼の姫は気付く。
「まあ、美味しいものは美味しいのだから、仕方ない」
青年は変わった。
数年の月日。
出会った当初は、鬼の姫の腰までしかない小さな薄汚れた人の子。
今は、頭一つ分ほど高い。
鬼の姫は何一つ変わってなどいないのに。
「鬼と人の差、か」
ざわり、と風が吹き抜けて。
音が、消える。
「もう一曲如何ですか?」
「そうだな。頼む」
はい、と微笑んで。
また、美しい音を紡ぎ出す。
鬼と人では生きる時間が異なる。
これからも、鬼の姫は変わらぬまま、変わっていく青年を見続けるのだろう。
「やれやれ」
溜息一つ。
泣き笑いにも似た微笑み一つ。
「頼むから、長生きしてくれよ」
読んで下さり、ありがとうございました。