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冷たい雨は、温もりをもたらしてくれました

 あの後はスーパーに行き、人参や玉ねぎ、豚肉等の材料を買ってからお家に戻りました。チキンにしようかビーフにしようか迷われていらっしゃいましたが、最終的にポークを選んだのは、それがお母様の味だからだそうです。懐かしそうに語るお兄さんは、私にはまぶしくて見えませんでした。

 結局私は病み上がりだからと、お手伝いもさせていただけないどころかお台所にすら入れてもらえなかったのですが、お兄さん特製のカレーはとても美味しかったです。いつもと違って優しい甘さがしたのはきっと、すりおろしたりんごが入っていたからでしょう。病人にはりんご、憎い事をしてくれます。もしかしたらそれが、お母様の味だったのかもしれません。

 しばらくの間はそんな感じで、お兄さんとの暮らしを満喫しておりました。なんだかんだで、私が一番近くにいるのです。まだまだ起死回生の、一発逆転ホームランのチャンスはあるのではないかと、そんな風にも考えていました。

 しかしそれでも、これからの事をどうにかしなければならない事は、重々承知しております。

 だって、もし仮に私の心を優先させるとして、今更どうしろというのでしょう。大分写真も報告書も溜まってきた所ですし、傾向と対策ぐらいすでに立っている事でしょう。そろそろお兄さんが重い腰を上げても、何らおかしくはありません。もし、風祢ちゃんに告白なんてしてしまったら……。勿論、風祢ちゃんがそれを受け入れるとは限りませんが、仮定に仮定を重ね、もし二人が付き合うような未来が訪れた時、私の心はそれに耐えきれるでしょうか。いいえきっと、おそらく無理でしょう。

 え、それならさっさと告白しちゃえば良いじゃないか、ですって? とんでもない! 今のお兄さんに、風祢ちゃん以外の女の子が目に入っている訳があるものですか! 私が思いを打ち明けた所で、玉砕するのが良い所です。なんてったって私は、“妹”。恋愛対象にはなりえないのですから。

 ……それでも今日も、もはや染み付いてしまったかのように、勝手にシャッターを切っている自分がいたりするのですけどね。はぁ。


ポタ、ポタ、ポタ。

 そんな事を考えながら、学校からの帰り道をてくてく歩いておりますと、突然雨が降り出してきました。朝の天気予報では降るなんて一言たりともおっしゃっていませんでしたから、これは大変です。お天気キャスターのお姉さんが、視聴者さんから怒られてしまいます。実際に予想をしているのは気象予報士の方なのですけどね。ではなく、今日は私が一番早く帰宅するはずですから、洗濯物を取り込まなくては。私も朝干してきましたし、あんなに朝はお日様がさんさんと降り注ぎ、これ以上無いと言うほどの快晴だったのです。お母様もきっと、ご家族の分を干されている事でしょう。

「急がなければ」

 折りたたみ傘を常に鞄に入れておくほど、私は用意周到な娘ではありません。仕方なく通学用鞄を頭の上に乗せて、駆け足でお家へと戻りました。


「うわあ……。これは、早く中に入れなければ」

 雨足はさらに強まり、折角乾いた洗濯物に大きなしみをつけていきます。私は鞄を縁側に放り投げ、自分が濡れるのも構わず、身を呈してかばいながら、出来るだけ素早く中に取り込んでいきます。水分を吸った布類は意外に重く苦戦しつつも、やっとの思いで私の分を終え、次はご家族の分を入れようとした時でした。

「何やってんだ、馬鹿!」

 お兄さんがお帰りになられたようで、ものすごい勢いで此方に向かって、一直線で走ってこられました。

「い、いえ、洗濯物が」

「後は俺がやる! お前は中に入ってろ!」

 初めて見るお兄さんの怒った顔が怖くて、私は鞄をひったくるようにして取って、その場から逃げ出しました。


 しかしそうは言っても、逃げ場などある訳も無く。居場所を求めて自室に戻った私は、鍵を掛けてドアのそばにうずくまりました。目の前が真っ暗になってしまい、立っていられなかったのです。

「……怒られて、しまいました」

 やはり洗濯物のような、プライベートの塊でしかない物を私が勝手に取り込むなど、まだ早かったのかもしれません。だって、私は本当の家族では無いのだから。例えそれが善意であっても、赤の他人であれば遠慮願いたいものですよね。触れられただけでも、嫌な気分になりますよね。

 この前はそれだけが、血の繋がりが無いと言うだけが、救いだと思っていました。けれどもご本人から明らかに提示されてしまうと、こうも悲しいものなのですね。一つ屋根の下に暮らしていても、所詮はただの、少し不幸な親戚の娘。私は家族としても認めていただけていないのですね。ずっと恐れていた事が今、現実となって降りかかってしまいました。立ちはだかる壁は厚く、人の感情さえ通す事は無く無機質で、そして、冷たい。

 そうやって考えれば考えるほど、涙が止まらなくて。普段あれだけ優しくしていただいているので、余計に辛くて。温かさを知っている分、それを失ってしまうのが怖くて。声を押し殺して、枯れ果てるまで泣き続けていました。


ドン、ドン。

 あれからどのくらい経ったのでしょうか。鈍い音がして、私の意識は現実へと引き戻されました。どうやら泣き疲れて、少々ほうけていたようです。

ドンドンドン。

「朔、いるんだろ」

 当然のように、扉の外に立っているのはお兄さんでした。今お家には、私とお兄さんしかいないのですから。

「はい、今開けます……」

 鍵を回しドアノブをひねったものの、顔を見る事は出来なくて、下を向きお兄さんの足元を見て言います。

「すみませんでした、出過ぎた真似をしてしまって」

「? いや、せめて合羽ぐらい着ろって、お前、まさか着替えてないのか!?」

 何故合羽なのでしょう、そこは傘で良いじゃないですかと、おそらくお兄さんの意図とは関係の無い所に気を取られてしまったからでしょう。吃驚して、変な声を上げてしまいました。

「ふえ?」

「服! びしょ濡れじゃないか!」

 そういえば……。取り乱してしまってそれどころでは無くて、着替える事さえ忘れていました。早く脱がなければ、制服がしわしわになってしまいます。

「……あ、すみません。見苦しい所を。すぐい着替え、て……」

「おい、朔!?」

 なんでしょう。急に体を動かそうとしたからか、頭がふらふらします。これは良くありません。先日の、教室で倒れた際のあの感覚と似ています。早く、言われた通りに着替えなくてはならないのに。お兄さんにご心配を掛けるのはもう沢山なのに。これ以上、ご迷惑をかける訳にはいかないのに。体が言う事を聞きません。

「しっかりしろ!」

 体勢を崩した私を受け止めてくれたお兄さんの声が、段々と遠のいていきました。


 ああ、私は熱を出したのか。そう気が付いたのは、意識を取り戻した後でした。

「うにゅう……」

 最近の私は、少しひ弱すぎるかもしれません。一度ならず二度までも、しかも今度は、お兄さんの前で倒れてしまうとは。情けなくてまた涙が出てきそうです。

「気が付いたか?」

「お、お、お、お兄さん!」

 声に驚いて起き上がったら、すぐ横にお兄さんが座っていたので、思わずのけぞります。

「まだ寝てろって」

「す、すみませんでした」

 今回は前のように倒れる事はありませんでしたが、パジャマ姿を見られたくなかったのもあって、すごすごと布団の中に戻ります。

「全く……。だから止めろって言ったんだよ。こんな寒い中濡れたら、風邪引くに決まってんじゃないか」

「ごめんなさい……」

 ついこの前倒れたばかりなのに。私には学習能力というものが無いのでしょうか。ますます申し訳なくなってきます。

「まぁ、そんなにひどくなさそうで良かった」

 顔色を見て判断なされたのでしょう。先程の怒った顔から一変して、やわらかな表情をしていらっしゃって、私も安心します。

「熱は?」

「大丈夫かと」

 体感的にはそんなになさそうなので、わざわざ測る必要も無いでしょう。と思ったのですが。

「でこ出せ」

「え」

 そう言うと、有無を言わさずお兄さんは顔を近づけ、自分の額を私のそれに乗せました。そ、それが昔ながらの体温の測り方だと言うのは分かるのですが、お家には体温計もある事ですし、それに別におでこじゃなくて、手で測ってもよろしかったのではないでしょうか。今の行動で逆に熱が上がったような気がします。

「……そこまで高くないか。まだ寝てた方が良いだろうけどな」

 測り終えると、ぱっと離れていって下さいましたのでほっとしました。正直、あんなに近くにお兄さんの顔があり続けたら、耐えられる気がしません。

 そこで流れを変える為に、先程から気になっていた事があったので、尋ねてみる事にしました。

「あ、あの」

「なんだ?」

「お兄さんが運んで下さったのですか?」

「ああ」

 やっぱり、受け止めて下さったのがお兄さんですから、そうだとは思ったのですが……。しかしそうなると、新たな問題が浮上してきます。私にとっては此方の方が本題で、此方の方が事と次第によっては熱も吹き飛んでしまうほど厄介です。

「……着替えも?」

 そうなのです。倒れた時の私は、制服姿だったはず。それなのに今は、箪笥にしまってあったはずのパジャマを着ています。という事はもしかして、とも思ったのですが、いくらお兄さんでもそこまでの度胸は無かったようです。

「いや、それは、母さんにやってもらった! から、安心しろ!」

 成程。それは良かったです。いえ、それよりも、

「お母様、お帰りになられたのですか?」

そちらの方が驚きでした。お母様もお父様もお忙しい身ですから、こんな時間にご帰宅なされるなど、滅多に無いのです。

「近くを通りかかったから、洗濯物が気になって寄ったんだと。助かったよ」

「そうですか……」

 今回は運悪く、お母様にまでお手数をおかけしたようです。嗚呼、本当何とお詫びをすれば良いやら……。

「とりあえず、お礼を」

「だから寝てろって。それに、母さんはまた仕事に戻ったよ」

 多忙を極める中、わざわざそんなお手間を……。更に肩身が狭くなるのを感じていたら、お兄さんがおかしな事を言い出しました。

「それに、礼はいらん」

「え?」

 だってお手を煩わせてしまったのですから、感謝と謝罪は当然の事ではありませんかと反論を試みましたが、キラースマイルに完封されてしまいました。

「家族だろ?」

「……はい」

 今まで考え込んでいた自分が、馬鹿みたいです。冷え切った体が、心まであったかくなりました。

「世話の焼ける奴だな」

 微笑みながら、お兄さんは私の頭をうりうりと撫でます。それがくすぐったくて、照れくさくて、でも心地良くて。

「強いて言うなら、さっさと治す事が今の朔に出来る事だよ」

「はい」

 今度は力強く、きちんとお兄さんの目を見て返事をしました。

「りんご食うか?」

「いただきます」

「じゃ、待ってろ」

 すっと立ち上がり、お兄さんは下の階にりんごを取りに行ってくれました。ああ、またご面倒をとも思いましたが、今日だけは、甘えさせていただく事にしましょう。なんてったって私は、お兄さんの“妹”なんですからね。

 ですから、ドア越しにお兄さんは何かを呟いていたようなのですが、誠に残念な事に私には聞こえませんでした。


「安心しろ。お前が良くなるまでは、そばで看ててやるよ」


悩める乙女第二弾、という訳で。

朔の立場は色々と複雑で、一方を認めれば他方が立たない、というような事が多々あります。

それを上手く自分の中で整理出来た時、彼女は決断できるのでしょうね。

次話、少しだけ物語が前進し、そしてクライマックスへと向かう事でしょう。

今しばらく、悩める乙女を応援してやってください。

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