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私の心は、一体何を望んでいるというのでしょう

「はぁ……」

 就寝前、お兄さんに取っていただいたうさぎさんを抱きかかえながら、私は一人溜息をつきます。

「私は一体、何がしたいんだろう……」

 私が諦めてしまえば、全て丸く収まるのでしょうか。私がきちんと応援する側に回れれば、お兄さんは幸せになれるのでしょうか。

 でも、もし私が風祢ちゃんのストーカーを止めてしまったら、お兄さんにちょっかいを出すのを止めてしまったら。その時、私とお兄さんの繋がりはぷっつりと、蜘蛛の巣を切るよりもたやすく、切れてしまうでしょう。

 ……きっと、お兄さんはもし私がいなくなったとしても、何も思わないでしょうし。いえ、多少は心配してくれるかもしれません。けれどもそれは、“家族”の域を超える事は無いのです。そしてそれは、私の望む物では、ないのです。

 だからこそ私は、自分が幸せである為に犯罪に手を染め、そうして得た写真(えさ)でお兄さんを買収しているのです。だって、そうでもしなければ、私の所に繋ぎ留めておけそうにないのですから。何の取り柄も無い私が、何も無しにお兄さんのおそばにいられるなんて、そんな自信ありません。

 お兄さんの手料理をいただいたり、お勉強を見ていただいたり、一緒にお買い物に行ったり。そんな、私が望んで止まなかった夢は、砂糖菓子のようにもろく、桜のように儚く散って消え去ってしまうのです。例えそれが、正しい方法ではなくとも。褒められた事ではなくとも。私が望んだ事は全て、叶ったのですから。

 ええ、もう隠し通す事は出来ないでしょうし、その必要もありませんから、素直に言いましょう。私はお兄さんの事が、詩兄さんが、詩さんが大好きです。兄としてではなく、異性として男性として、幼い頃から恋焦がれているのです。

 けれども、大好きだからこそ、お兄さんの恋のキューピッドになって差し上げたいという思いも、かすかではありますが存在しているのです。これを人は、献身的だと言うのでしょうか。いいえ、私はそんな殊勝な女ではありません。だって私は、あわよくば風祢ちゃんの可愛くない所を撮って、お兄さんに諦めさせようなどと考えている意地の悪い女だからです。

 けれども、そんな事は出来る訳もありませんでした。第一に風祢ちゃんは超絶可愛く、非の打ちどころが無いスーパーな美少女なのです。可愛くない所なんて一つも見つかりませんし、何より友人の粗を探すなんて真似、空しいだけです。第二に、そんな事をしても無駄だという事は、この私が一番よく分かっているからです。きっと、あのお兄さんの事です。欠点があった所でそれも全て包み込んで、丸ごと愛してしまうでしょう。

「……私はどうしたら、良かったのでしょうか」

 どうして、こんな事になってしまったのでしょうか。もう訳が分からなくて、一人そっと泣き続けていました。

 そんな私の様子を、ひっそりと廊下で窺う姿があったようですが、その時の私は泣き声を抑えるのに必死で、気が付きもしませんでした。



 そして、次の日も、また次の日も、私は風祢ちゃんの事を一心不乱に撮り続けました。まるで、そうしていれば何かを忘れられるように。そうしていれば、お兄さんとの関係を続けられるとでもいうように。

 この生活が壊れる事だけが恐ろしくて、結論を先延ばしにして、目先の考えなければならない事からずっと、私は逃げていたのです。それはただいたずらに、自分の心を苦しめました。

 そんな生活が長く続く訳も無く、とうとう体調にまで影響が現れてしまいました。

「じゃ次ここ、梅里」

 それは数学の授業中の事。先生に問題を当てられましたので、返事をして答えを書きに行こうとしたのですが、思うように体が動きません。

「梅里」

 心配した先生が此方に様子を見に来て下さいます。大丈夫ですと、そう言おうと思ったのですが。無理矢理にでも立とうとしたのがいけなかったのでしょう。バランスを崩し、そのまま椅子ごと床の上に倒れてしまいました。

「梅里!」

「朔ちゃん!?」

 薄れゆく意識の中、私はこれだけは離してはいけないと思い、そっとペンダントを握りしめました。


「ここは……」

「おやおや、眠り姫のお目覚めだね」

 体の自由がきくようになった時、目の前にあったのは一面真っ白な壁でした。

「保健室、ですか」

「いやに冷静だねぇ。そだよ、なんか飲むかい?」

「いえ、大丈夫で」

 起き上がろうとしますが、またふらっとして倒れそうになってしまいます。

「まだ寝てなって」

 それを、一体どんな技を使ったのかは知りませんが、養護教諭の先生はベッドの隣にやってきてさっと支えてくれました。身長は私と同じぐらいに見えるのに、なかなか力もお強いようです。

「私、一体……」

 私を元通りに寝かしつけてから、彼女はさらりと言います。

「症状自体は、ただの貧血。だからしばらく寝てれば問題なっし」

「そうですか……」

 しかしここで、養護教諭は私の心が読めているかのように、確信をつきました。

「でも、君、しばらくゆっくり休めてないんじゃにゃい?」

「え、ええ……」

 容体を見ただけで、そこまで分かるものなのでしょうか。正直理由が理由なだけに、驚きを隠せませんでした。私が動揺しているのを横目に、彼女は続けます。

「何の悩みかは知らんが、悩む事は多いに結構」

 そして、びしっと指を突き立てて、諭すように言葉を発しました。

「でもね、辛いならちゃんと吐き出さないと、体も心もぼろぼろになっちゃうぞ?」

「はい……」

「さて少女よ、恋の悩みだろう? おねーさんにどーんとぶちまけてみなさい」

「恋、なのでしょうかね」

 この想いを、本当に愛だの恋だのという感情として良いのでしょうか。それさえも分からなくて、私はぼそりと呟きました。

「私にはおこがましい事です……」

 けれどもそれが、この不思議な先生の癇に障ったようです。

「あのさー、そういうの止めにしない?」

「え?」

 彼女は少し怒ったように、憤りをそのまま声に乗せます。

「最近よくいるんだよねー。自分には釣り合わないとか、もったいないとか、おこがましいとか。君ら中学生でしょー、そんなん関係なく無い? いや大人でもそんなん関係無いね。だってさ、自分と完全に同じ条件の人なんてこの世の中にいると思う? 双子だって完全に同じとは言えないっしょ? それをいちいちおこがましいなんて言って諦めてたら、人間は一生結婚はおろか恋も出来ないね。心が引かれたならそれでいいじゃない。禁断の恋だろうが略奪愛だろうが年の差婚だろうが、おねーさんは大歓迎だよ」

「はぁ」

「だーかーらーっさ、そのままで良いんじゃないの?」

「え?」

「別に、自分の気持ちを押し殺す必要はにゃいと思うんだにゃ~」

 この先生には、一体どこまでお見通しなのでしょうか。ふざけているんだか真面目なんだかよく分からない物言いではありましたが、少し気分が楽になりました。

 けれどもなかなか鬼畜なご様子。私が落ち着いた頃合いを見計らって、わざわざ止めを刺しに来ます。

「っと、さて。大分顔色も良くなったみたいだし、お家にお電話でも入れようかね」

「ぎゃああああ」

 そうです一番肝心な事を忘れていました。私はあろう事か、授業中に倒れたのです。先生やクラスメイトにも迷惑を掛けた事でしょう。でも、

「そ、それだけはご勘弁をおおおおおおお」

だからと言ってお父様やお母様、それに何よりお兄さんにご心配を掛ける訳にはいきません。

「え? ちみ、そのままで帰れると思ってるの?」

「うう……」

 それでも先生の言い分の方がよっぽど正しくて、私は黙って成り行きに任せるしかありません。

「さーて、電話、電話」

 せめて誰も出ませんように、そう祈りました。

 しかし切実な願いにもかかわらず、祈りは届かなかったようで、すぐに誰かが受話器を取ったようです。先生が先程とは異なりしっかりした口調で話し始めます。

「もしもし、私時(とき)(さだめ)中学校の養護教諭をしております……え? あ、はい。そうなんです。実は朔さんが、ええ、ちょっと体調を崩されまして、って落ち着いて下さい。今は大丈夫です。容体は安定していますというか元気です。ですが、念の為お迎えを、はい、よろしくお願いします」

「も、もしかして……」

 先生が対応に困られていた事と、離れているはずの私の位置からも聞こえるほどの動揺しきった声。嫌な予感しかしませんでした。

「なんか若めのおにーちゃんの声だったわさ」

「いやああああああああああ」

 予感的中。よりにもよって今一番会いたくなかった人が、全速力で駆けつけてしまうようです。

 その様子を見ていた養護教諭は、何を思ったのか楽しそうに言いました。

「え? もしかして君のお相手はおにーちゃんだった? 本当に禁断の愛ってやつ?」

「いえ」

「にょ?」

 先生には申し訳ないのですが、残念な事にそんな間柄では無いのです。

「私とお兄さんの間に、血の繋がりはありませんよ」

 すると、深い事情があると察して下さったようです。先程までの笑顔が嘘のように、真剣な眼差しで謝られてしまいました。

「……ごめん、私が悪かった」

「いえいえ、謝れるほどの事では」

 何故ならそこだけが、私にとっての唯一の救いだからです。


 そんなこんなで時間を取られてしまいましたが、あのお兄さんの事です。きっと光とは言わずとも音のような速さで此方に向かっている事でしょう。その為、猶予が無いと思い、急いで帰り支度をしていると、遠くの方から足音が聞こえました。そしてドアが勢いよく開いて

「朔!」

お兄さん、ど派手にご登場です。ここは保健室ですよ、と先生も言いたそうですが、あまりの剣幕に押されています。

「大丈夫なのか朔!」

「はい、ちょっと貧血で……。でも今は楽になりましたよ」

「そうか。なら良かった……」

 私の顔色を見て、お兄さんはやっと安心なさったようです。そうとなれば長居は無用とばかりに、傍らに置いてあった荷物をひょいと持ち上げ、

「よし、帰るぞ」

先に出ていってしまわれました。そうなればもう、私には後を追いかけるしか選択肢が残っていません。

「ありがとうございました」

「おう、気いつけてな」

 不思議な先生はそれ以上何も言いませんでした。ただ、その視線は頑張れよと応援してくれていたような気がします。


 何故あのような早さが実現したのかと思ったら、お兄さんは自転車で来てくれたのでした。その為自転車を引きながら、並んで歩いて帰ります。

「朔」

「はい」

「お前、最近あんまり寝てないだろ?」

 まさかのお兄さんにもばれていたようで、私は決まりが悪くなります。どうしてこう、私の周りには勘の鋭い方が多いのでしょうか。でも訳は言えるはずがありませんので黙っていますと、お兄さんは溜息をついてこう言いました。

「あんまり、心配掛けるなよ?」

「……はい」

 きっと、その心中は穏やかではないでしょう。倒れたと聞いただけでも、あれだけ心配して下さったのですから。それでも事情を聞かないで下さるお兄さんに、感謝しました。私はお兄さんを、見誤っていたようですね。どうしましょう、益々好きに……いえ、止めておきましょう。今そんな事を考えるのは不謹慎です。

 そんな私の内面の葛藤を知ってか知らずか、お兄さんは話題を変えて下さいました。

「さーて、今日の夕飯、何が良い?」

「そうですね……」

 正直あまり食欲は無いのですが、ふと思いついた事がありました。

「では、お兄さんが食べたいものを」

「俺が? うーん。じゃあ、カレーが良いかな」

「では材料を買いに行きましょう」

「そうだな」

「あ、あとこれはお願いなのですが」

「なんだ?」

「今日は私が作りますから、横で教えていただけますか?」

 なんだか今日は、お兄さんにお礼を込めて、作って差し上げたかったのです。

「病み上がりのくせに」

 私とお兄さんは笑いながら、ゆっくりとかみしめるように、家路を歩きました。


悩める乙女は第一の関門を突破しかけているようです。

がしかし、そうは簡単にすぱっと解決できないのが、思春期の悩みという奴です。

次話は少し視点を変えて悩んでいただく事にしましょう。

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