お兄さんとおでかけする事になりました
日課の中に“風祢ちゃんの写真を隠し撮る事”が定着してきてしまったとある土曜日、私は意を決しお兄さんにお願いを申し出ました。
「お兄さん」
「なんだ、朔」
「お忙しい事を重々承知でお願いいたしますが」
「なんだ、言ってみろ」
ちょうどその時はお勉強を教えていただいている最中で、生徒の身である私としては中断するのはとても心苦しかったのですが、それでもチャンスは今しかないと思い、勇気を振り絞って言いました。
「明日の午後の五時間、いえ三時間程度で良いのです。この私にいただけないでしょうか?」
「なんだ、突然」
お兄さんの言い分はごもっともで、緊張のあまり少し話を割愛し過ぎたようです。そこで今度は、此度の目的を述べます。
「来週、遠足に行くんですが、制服ではなく私服でして」
「あー。それで買いに行きたいのか」
「はい」
流石はお兄さん。途中まで説明しただけで全てお見通しのようです。もしかしたら、私とお兄さんは以心伝心、心が通じ合っているのかも、なんて事を考えて、嬉しくなったりしていません。していませんよ。
「でもそれ、俺じゃなくて他の友達とかの方が」
そうやって、少しずれた事を考えていたからでしょうか。一番言われたくない所をつっこまれてしまいました。けれども、私はどうしてもお兄さんについてきてほしかったのです。お兄さんはお洋服のセンスも抜群で、いつも格好良く決めていらっしゃいます。ですから、是非選んでほしかったのです。
という訳で、最終兵器、起動します。
「……今日、風祢ちゃんの調理実習の様子を新しく入手して参りましたが」
「三時間と言わず丸一日でも、貴女にお供いたします」
エプロンに三角巾姿というのは、やはり破壊力抜群のようです。執事さんのようにかしづかれ、契約は成立しました。
「らんらららん♪」
そんな訳で日曜日。お天気も良く、絶好のお出掛け日和です。私はるんるんとお兄さんの横を歩きます。
「そんなに嬉しいか? 朔」
「ええ」
喜びのあまり素直に答えてしまいましたが、にやにやと笑うお兄さんの姿にはっとなり、慌てて付け加えました。
「か、勘違いしないで下さいね。詩さんをこき使えるのが楽しいだけなのですからね!」
ところがお兄さんが食いついたのは、弁明では無く呼び方だったようです。
「珍しく詩さんって呼んだな」
「おでかけしている時ぐらい、良いでしょう」
以前“下の名前で呼んでも良い”というお許しは得ていますので問題は無いはずです。いえ、それよりも、一応私も考えて差し上げたのです。お兄さんの体面という奴を。
「それに、“お兄さん”とお呼びしたまま私が詩さんをこき使ってしまっては、お兄さんはロリコンのストーカーという変態極まりないレッテルにさらに、シスターコンプレックスという新たな罪状が上乗せされる事になってしまいます。それでもよろしければ、いつも通りに“お兄さん”と親しみと愛着を持ってお呼びしますが」
「今日は是非、詩と呼んでください。朔お嬢様」
変わり身の術のように、お兄さんは百八十度回転して執事さんがするみたいな礼を私にしました。流石に、往来のある道のど真ん中でかしづいたりはしないようです。
「分かれば良いのです」
お兄さんにまだなけなしでも常識があった事に感謝し、その後は適当に話をしながらのんびりと歩きました。
それに、こうしていれば少しは、デートっぽく見えるかもしれないじゃないですか。
辿り着いたのは近所に新しく出来たショッピングモール。この時ばかりは田舎である事を感謝しました。こういうものは大型であればある程、郊外に建つものですからね。
「さて、どこから行く?」
「まずはお洋服を」
あちこち見て回りたいのはやまやまなのですが、それだと当初の目的を忘れてしまいそうなので、とりあえず先にミッションを済ませます。
「朔、お前普段どこの服着て」
「そんなこだわりを持つ中学生がいたとしたら、どう思われますか?」
「……嫌だな」
お忘れのようですが、私はまだ中学生。勿論、都内や繁華街に住まうお洒落な方々は、もう行きつけのお店等あるのでしょうが、私は先程もちらっと申した通り、田畑が残る地域のごく一般的な中学生です。そんな子どもにブランド志向があったら、逆に周りから浮いてしまいます。
そんな訳で、私が適当にお店を選び、お兄さんがそこで見繕ってくれる事になりました。
「これなんか似合うんじゃないか?」
「そうですか?」
お兄さんが選んでくれたのは、ショートパンツにTシャツ、上にはパーカーという活動的な組み合わせでした。しかしそこは流石お兄さん。ショートパンツの裾の折り返し部分は赤いチェック模様になっていたり、パーカーの裾や袖口にはフリルがついていたり、Tシャツには猫さんが描かれていたりと、デザインや色などで女の子らしさも兼ね備えています。
「嗚呼。今日のワンピースも可愛いが、遠足なんだろ? だったらこの方が動き易いと思うぞ」
さりげなくお褒めいただきましたが、今日の私の格好は黒のシックなワンピースでした。別に今日の為にお母様に頼みこんで買ってきていただいたとか、そんな事はありません。遠足の為に用意したのですが、行き先がアスレチックパークになってしまった為に変更せざるを得なくて、仕方なく着ただけです。黒を選んだのも、少しでも大人っぽく見せてデート感を上げようとか、そんな考えはちっとも無いのですから。
「な、成程。流石詩さん」
「いやいやそれほどでも」
「じゃあ試着してきますね」
照れて若干赤くなった頬を隠す為、私は店員のお姉さんに場所を教えてもらって、早速着てみる事にしました。お兄さんには試着室の前の椅子でお待ちいただいていたので、その間何を思っていたかなんて事は、お選びいただいたお洋服に袖を通していた私は存じ上げません。
――この椅子が、通称“彼氏専用椅子”だという事を、あいつは知ってるのかな?
「どうです?」
試着を終えて鏡の前でくるっと回転し、おかしく無い事を確認してから私はカーテンを開けました。しかし、私を見たお兄さんは、何故か振り向いた姿勢のまま固まっています。
「え、えっと、詩さん?」
「あ、ああ。可愛いよ」
何か変な所でもあったのかと思いましたが、そうではないようなので一安心しました。
「ありがとうございます。じゃあ、これにしますね」
再びカーテンを閉め着替えている間、何やら外でガッツポーズをする気配があったのですが、おそらく気のせいですよね。
「俺、グッジョブ」
――ニーソにあれは反則だな。
お買い物を済ませ、ここからは自由時間です。好きなようにふらふらと歩き、目についた物があれば立ち止まり、また歩き出す。そんなのんびりとしたウインドウショッピングを楽しみました。
途中、お兄さんが突然走りだしたかと思うと、その手には犬耳がついたパーカーが握られていて驚かされたという一幕もありました。なんでそんなにファンシーなものを、とも思いましたが、一緒に猫耳の小さいサイズの物も持っていらして、朔の分もあるよと言われたので仕方なく買う事を認めて差し上げました。念の為に申しあげておきますが、決してお兄さんとお揃いという事にひかれた訳では無く、猫耳が可愛かっただけです。
そんな感じで、あてどなく歩いていた時でした。
「はっ」
「あ、あれは」
思わぬ人物の登場に、私達は声をそろえて驚きます。
『風祢ちゃん……!』
なんと、前方からお兄さんの想い人であり私の観察対象である所のスーパー美少女が現れたではありませんか。カチ。
「な、何故こんな所に」
本日は頭にカチューシャをし、薄水色のふわふわとしたワンピースを着ていました。カシャカシャ。その姿は不思議の国のアリスを連想させます。カシャリ。
「しかも私服。これは撮るしかないですね」
そう言うと、彼女に向かって私は大きく手を振ります。
「風祢ちゃん!」
彼女は一発で此方に気付いたようで、とことこと走ってきてくれました。パシャ。
「朔ちゃん。それにお兄さんも」
「こここここここここここここここんにちは!」
「こんにちは」
お兄さんが緊張のあまり変な人になっていても、パシャパシャ、風祢ちゃんは気にしません。友人の心の広さに感謝しました。パシャリ。
「あ、朔ちゃん。このペンダント本当にお気に入りなんだね!」
「うん。何を隠そう、ここにいらっしゃるお兄さんにもらったんだよ」
「へぇ、そうなんだー。羨ましいな」
「えへへ」
ここで、私はちょうど後ろになっていたので分かりませんでしたが、正面にいた風祢ちゃんの方がお兄さんの異変に気が付きました。
「あら、お兄さん大丈夫ですか? ご様子が……。熱でもあるんですか?」
気になって振り向くと、確かに顔が真っ赤で、今にも倒れそうな雰囲気を醸し出しています。
「お兄さん?」
心配になり、私も声を掛けました。
「嗚呼、何でもありませんよ大丈夫です」
「そうですか? なら良かったのですが」
ここでタイムアップ。パシャッ。風祢ちゃんはお母さんと来ていたようで、呼ばれてしまいました。カチカチ。
「ごめんね朔ちゃん。またね」
「はい、また学校で」
ちなみに、今この数分で私はシャッターをさりげなく十回は切りました。その事を、お兄さんも勘付いていらっしゃったのでしょう。
「……お前、いつもそんな感じで撮ってるのか」
「いけませんか?」
「いや、なんか」
てっきり、もっとこうしろああしろと無理難題を焚きつけられそうな気がして身構えてしまいましたが、続いた言葉は存外あっさりとしたもので、拍子抜けしてしまいました。
「……まぁ、その調子で頑張れ」
――とりあえず、眼福。
再び歩き出した際、何かが耳に入ったような気もしましたが、その音はそのまま天に昇ってしまったようで聞き取れはしませんでした。
その後すぐにそろそろ休憩しようという事になりまして、手近にあったベンチへと腰掛けました。
「疲れてないか? 朔」
「いえ、全然」
確かにもうかれこれ数時間は歩きっぱなしですが、歩くのは好きですから、苦ではありません。それに。
「ずっと来たかったんですよ。このショッピングモール」
まだ半分ほどしか回り切れていませんので、先を見たいという気持ちの方が強いのです。
「ならいいが……。ちょっと待ってろ」
そう言うと、お兄さんはどこかに行ってしまわれました。
「ほい」
戻ってきたお兄さんの手に握られていたのは、おいしそうなソフトクリーム。
「ありがとうございます」
「うまいか?」
「おいしいです」
どうして、甘い物というのはこんなに人の心をほっこりとさせるのでしょうか。冷たさと甘さと、そしてお兄さんの優しさに癒されました。
「でも、本当広いな。一日じゃ回り切れねぇ」
「そうですね。まぁ見たかった所は粗方行かせていただいたのですが」
「そうか?」
強いて言うならば、今日見られなかった所はまた次の機会にと思わずにはいられませんでしたが、それは出過ぎたお願いでしょう。そっと、胸の中にしまい込みました。
「詩さん、あれ、ほしいです」
そろそろ帰ろうかと出口に向かって歩いていた時、ふと私の目にUFOキャッチャーの中の、可愛らしいうさぎのぬいぐるみが目に飛び込んできました。
「ああ、あのうさぎか」
「はい」
キラキラと目を輝かせていたからでしょうか。視線に耐えきれないとばかりに、お兄さんは頭をかいて言いました。
「しゃーねーな」
実はこのお兄さん、クレーンゲームもお得意なのです。私の誕生日の時には、苦労はなさったようですが、大きな猫さんのぬいぐるみを取ってきてくださいました。その黒猫さんは今もベッドの横にいて、寝る時はいつも一緒です。
「ほらよ」
思い出に浸っているうちに、どんなテクニックを使ったのかは分かりませんが、たった一回で獲物をしとめてきて下さったようです。お兄さんの手には、ガラスの中にいたはずの薄桃色のうさぎさんが握られていました。
「わー。ありがとうございます!」
想像通りもふもふで、思わず抱きしめてしまいました。すると、何故か私が、お兄さんに頭をわしわしと撫でられました。
帰り道。行きは太陽がさんさんと降り注いでいましたが、もうすっかり薄暗くなっています。そんなまた一味違った道を二人並んで歩きながら、お兄さんが言いました。
「なぁ、朔」
「なんでしょう」
「今度は俺の買い物に付き合ってくれよ」
そして、わざわざ私の顔を見るようにして尋ねます。
「良いだろ?」
そんなに良い笑顔で言われてしまっては、うなずくしかありません。
「勿論。断る理由がありません」
もっとも、私の方がお願いしたいぐらいです、とは付け加えませんでしたが。
「そっか。じゃあ行こうな。約束だ」
「はい」
ずっと歩いていたので疲れていたはずなのに、それも吹っ飛んでしまうくらいに、心がほんわりと温かくなりました。
しかしここで、今度は私が思い出してしまいました。今日、どうやってお兄さんを連れだしたのかを。
「あ」
「なんだ?」
「……本日の、報酬です」
「あー、さんきゅ」
写真をお渡しする時、私は何だか胸が苦しくなりました。
今回はいつになく、詩兄さんの心の声がだだもれでしたね。
まぁ朔が可愛いから仕方がないとは思うのですが、と作者も親バカを発揮しつつ。
しかし朔の方は、自ら持ち出した計画に、がんじがらめに縛られているようですね。
その辺りの苦悩は次話に続きます。
注:ちなみに、試着室前の椅子の通称が“彼氏専用椅子”となっていますが、あれは縡月が名付けましたのであしからず。他に名称があった際は教えていただけると幸いです。